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【御朱印情報】沖縄県「沖縄県護国神社」の17万7千柱への祈りが宿る皇室ゆかりの御朱印

沖縄県那覇市にある「沖縄県護国神社」は、沖縄戦をはじめとする戦没者17万7千柱を超える御霊を祀る神社です。御朱印には、皇室ゆかりの「十六弁菊花紋」の朱印がおされ、平和に対する皇室の願いや、数多の英霊を慰霊する祈りの気持ちが込められています。

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全国最多の英霊の御霊を祀る「沖縄県護国神社」

沖縄県那覇市、ゆいレール奥武山公園駅からすぐの奥武山公園の一角にある「沖縄県護国神社(おきなわけんごこくじんじゃ)」は、明治39年(1906年)に沖縄県主催で行われた「大招魂祭(だいしょうこんさい)」を起源とする神社です。大招魂祭では、沖縄県出身の戦没者の御霊を招き鎮め、神として祀られました。

 

その後、昭和11年(1936年)に大招魂祭が行われた地に「沖縄県招魂社(おきなわけんしょうこんしゃ)」として社殿が建立され、昭和14年(1939年)に「護国神社」へと改称、翌昭和15年(1940年)に内務大臣指定護国神社となり現在に至っています。
沖縄県護国神社が建立された「奥武山(アフノヤマ)」は、古くは人が住まない小島で、「奥武(アフ)」という地名には神々に通ずる地という意味があり、古来より信仰の聖地とされてきた歴史があります。
昭和20年(1945年)の第二次世界大戦における沖縄戦では、沖縄県護国神社の境内も米軍の砲撃を受けましたが、社殿は奇跡的に焼失を免れ、戦後の混乱を経て現在の姿へと再建されました。

 

沖縄県護国神社では、日清・日露戦争以降、戦争で国難に殉じた沖縄県出身の軍人・軍属をはじめ、沖縄戦で散華された一般住民の尊い御霊も神様として祀られています。その中には、那覇の十・十空襲や対馬丸の犠牲者も含まれています。さらに、北海道から鹿児島までの本土出身の沖縄戦での戦没者も合祀しており、現在の御祭神名簿には17万7,913柱が記されています(柱数は追加合祀の都度異なります)。これは、戦没者を祀る全国にある護国神社の中でも最多数で、沖縄が経験した戦争の重みを伝えています。

 

特定の神を主祭神として祀る一般的な神社とは異なり、戦没者の御霊を「護国の大神」として祀っていますが、家内安全・安産祈願・商売繁盛など、幅広い祈願を公式に受け付けており、慰霊にとどまらず地域に根差した信仰の拠点として大切にされています。

沖縄県護国神社_社号標
沖縄県らしい強い日差しを受けながらの参拝でしたが、緑豊かな境内で穏やかな気持ちになりました。
沖縄県護国神社_参道
南国の雰囲気を感じる植物が立ち並ぶ参道の先に、鳥居と社殿が見えます。
沖縄県護国神社_社殿
堂々とした社殿で、戦没者の御霊に心静かに祈りを捧げることができました。

 

 

17万7千柱への祈りが宿る皇室ゆかりの御朱印

沖縄県護国神社では、社務所にて9時から17時までの受付で御朱印が授与されており、種類は1種類でした。

 

中央に「沖縄県護國神社」、右上に「奉拝」、左には「参拝日付」の墨書き、中央上下に「十六弁菊花紋」と「沖縄縣護國神社」の朱印がおされるデザインで、持参した御朱印帳に直書きしていただき、初穂料は500円でした。

沖縄県護国神社_御朱印
黒々とした墨書きに、菊花紋と社号を刻んだ朱印が重なることで、凛とした力強い印象の沖縄県護国神社の御朱印です。

 

皇室の御紋である「十六弁菊花紋」が社紋として使われていることは、沖縄県護国神社が皇室と深いつながりがあることを表しています。
沖縄県護国神社には国のために命を捧げた数多の英霊が祀られていることや、沖縄戦では兵士のみならず一般市民の多くの貴い命が失われ、その後も米国の占領下におかれるなどしたことから、皇室からも強い慰霊の念が捧げ続けられています。現在の社殿が再建された、昭和40年(1965年)11月の遷座祭では、天皇陛下より幣帛が贈られました。

 

社号の角印には「縣」「國」の旧字体が使われています。これは、国道58号線沿いに立つ社号標の表記とも共通しています。
旧字体は戦前に使われていたもので、明治時代に創始され、昭和時代初期に内務大臣指定護国神社となった沖縄県護国神社の歴史が御朱印に刻まれているといえます。

 

沖縄県護国神社の御朱印には、日清・日露戦争以降の戦没者、沖縄戦の犠牲者など、17万7千柱を超える御霊を祈り続ける気持ちが凝縮されているように感じました。

 

 

 

 

上皇上皇后両陛下の平和に対する願いが込められた歌碑

沖縄県護国神社の境内には、大きなガジュマルの木があり、2基の歌碑がたっています。
これは、平成21年(2009年)が当時の天皇陛下の即位20年と御成婚50年の記念の年にあたることから建立された、現在の上皇上皇后両陛下の御製・御歌が刻まれたものです。

沖縄県護国神社_ガジュマル歌碑
寄り添う歌碑をガジュマルが守っているかのようです。

 

上皇の御製は、平成5年(1993年)に沖縄県で開催された「第44回全国植樹祭」で行幸された際に詠まれた琉歌(りゅうか、沖縄伝統の8・8・8・6調の和歌)で、
「弥勒世(みるくゆ)よ 願(にが)て 揃(すく)りたる人(ひと)たちと 戦場(いくさば)の跡(あと)に 松(まつ)よ植(う)ゑたん」
平和な世(弥勒世)を心から願って集まった沖縄の人々と共に、かつて激しい戦場であったこの地に、未来への希望を込めて松の苗木を植えましたという大御心が込められています。

 

上皇后の御歌は、昭和49年(1974年)に上皇后がまだ皇太子妃であった時代に各地の護国神社を参拝された折に詠まれたもので、
「鹿子(かこ)じもの ただ一人子(ひとりご)を 捧(ささ)げしと 護国神社(ごこくじんじゃ)に 語(かた)る母(はは)はも」
鹿の子のように、ただ一人のかけがえのない大切な我が子を国に捧げたのだと、深い悲しみを抱えながら護国神社で語ってくれたお母さんの姿が、心に残って離れませんという、戦争で我が子を失った母親の深い悲痛に寄り添う気持ちが表わされています。

 

悲惨な戦争を繰り返さない願いと、戦争によって苦しんだ人々に寄り添う気持ちが沖縄県護国神社に息づいていることや、皇室との深いつながりも感じることができる歌碑です。
沖縄県護国神社の境内には、慰霊のための碑や像が数多く安置され、社殿再建を支えた沖縄県民の名が刻まれた芳名板もあり、あらためて戦争の記憶に向き合い、平和について考える貴重な機会になりました。

 

 

沖縄県護國神社には、17万7千柱を超える御霊が祀られ、御朱印にも皇室をはじめ現代を生きる人々が英霊を慰霊し、平和を願い続ける祈りが込められているように感じました。沖縄県護国神社を心静かに参拝し、御朱印を拝受する経験は、戦争や沖縄の歴史と正面から向き合うきっかけになるはずです。

 

 

 

 

ライター:たまえ
家族旅行では各地の神社仏閣を訪れ、御朱印巡りを楽しんでいます。弓道や茶道にも親しみ、日本文化への興味が尽きません。その土地の空気や人との出会いを大切にし、思わず訪れたくなるような御朱印の魅力を発信していきたいと思っています。

 

 

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