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京都府京都市上京区にある「護王神社」は、奈良時代から平安時代初期にかけて活躍した公卿「和気清麻呂」を祀る神社です。和気清麻呂の人柄・功績・御神徳が込められた基本の御朱印のほか、季節や行事の様子が表現される期間限定御朱印など、多種多彩な御朱印が授与されています。
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京都府京都市上京区、京都御苑の西側に隣接する「護王神社(ごおうじんじゃ)」は、平安京建都に尽力した「和気清麻呂(わけのきよまろ)」を御祭神としている神社です。創建年は不詳ですが、もとは和気清麻呂が開基した神護寺(じんごじ)の境内に、清麻呂の霊社として建てられた「護王善神社(ごおうぜんじんじゃ)」とされています。
和気清麻呂は、奈良時代から平安時代初期にかけて活躍した公卿です。奈良時代末期の神護景雲3年(769年)、第46代48代(重複)・称徳天皇(しょうとくてんのう)に重用されて権勢をふるっていた僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が、「道鏡を天皇にせよ」という宇佐八幡宮(うさはまんぐう、現在の大分県宇佐市にある宇佐神宮(うさじんぐう))のご神託を振りかざして天皇になろうとしました。その真偽を確かめるよう称徳天皇に命じられた清麻呂は、道鏡による数々の難儀を乗り越えて、ご神託が偽物であったことを報告しました。
清麻呂は道鏡の怒りを買い、姉・和気広虫(わけのひろむし)とともに大隅国(おおすみのくに、現在の鹿児島県東部)へ流罪に処せられてしまいます。しかし称徳天皇が崩御すると道鏡は失脚し、清麻呂と広虫は都へ呼び戻されました。
※宇佐神宮に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
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その後朝廷で目覚ましい活躍を続けていた清麻呂は、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)による長岡京遷都がなかなかはかどらなかった際、葛野(かどの、現在の京都府)の地に都を造営することを進言し、平安京建都に大きく貢献しました。平安京遷都の後も晩年まで人々のために尽くし、清廉潔白で誠実な人柄は多くの人々に慕われたそうです。
また姉の広虫も裏表のない人柄の良い女性だったとされ、天皇からの信頼も厚く、戦や乱で身寄りを失った子供たち83人を養子として養うなど、たいへん慈悲深い人であったと伝わっています。
江戸時代後期の嘉永4年(1851年)に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)が和気清麻呂の功績をたたえて正一位護王大明神の神階号を授けました。天皇自らが人臣に対して神階を授けたのはこれが初めてのことです。明治7年(1874年)には、護王善神社から護王神社に改名され、別格官弊社に列されます。別格官弊社とは、明治政府によって設けられた社格制度で、国に多大な貢献をした人物を祀る神社が列せられています。
明治19年(1886年)には第122代・明治天皇の勅命により、京都御所蛤御門付近にあった公家中院家邸宅跡地(護王神社が現在ある場所)に遷座され、大正4年(1915年)の第123代・大正天皇即位の際に和気広虫も主祭神として祀られました。
「護王」の名は、和気清麻呂が「王(=天皇・皇統)を護った人物」として評価されたことに由来しているとされています。

護王神社では、基本の御朱印のほか、季節や行事が表現される期間限定御朱印など、多種多彩な御朱印が授与されています。
私が令和3年(2021年)に参拝した際にいただいた基本の御朱印は、中央に「護王神社」、右に「和気公綜社(わけのきみそうじゃ)」、左に「参拝日」が墨書きされ、中央に「護王神社」、その右上に「我独慙天地(われひとりてんちにはず)」の朱印がおされるデザインでした。

和気公綜社とは、和気清麻呂を讃え、その神霊を祀るという意味を表す言葉です。
我独慙天地とは、清麻呂の言葉として伝わっているもので、「誰も見ていなくても天(自然の理・神)地(自らの良心)に恥じないように正しく生きよう」という意味です。道鏡からのわいろや甘い言葉に誘惑されず、また脅しに屈せずに、ご神託の真偽を正しく伝えた清麻呂の倫理観を表しています。
護王神社の基本の御朱印は、シンプルなデザインながらも、和気清麻呂の人柄や功績を伝える要素が詰まっているといえます。
私が令和8年(2026年)2月に参拝した際には切り絵タイプの限定御朱印を拝受しました。
紫と黄色が重なった台紙に、本殿手前の中門が切り絵で表現され、中央に「護王神社」の金押印、右には「京都御所西 和気公綜社」、左に「参拝日」が墨書きされるデザインでした。

護王神社の御祭神である和気清麻呂は、宇佐八幡宮のご神託の真偽を確かめることで、弓削道鏡の天皇の位をわがものにしようというよこしまなたくらみを阻止しました。宇佐八幡宮への道中で清麻呂は、道鏡が放った刺客により、足の腱を斬られ身動きが取れなくなりましたが、どこからともなく現れた約300頭のいのししに守られ、無事に宇佐八幡宮に到着し、気付くと足の傷も快癒し歩けるようになっていたそうです。
この故事により、護王神社は足腰の守護神として広く崇敬され、清麻呂を助けたいのししを霊猪として祀るようになり、「いのしし神社」の愛称でも呼ばれるようになりました。
中門に向かって右の「招魂樹(おがたまのき)」のそばには「足萎難儀回復の碑」が建てられており、足腰の病気やけがの回復を願う参拝者が絶えません。

護王神社では、行事や季節にあわせて気品ある美しい御朱印が授与されています。神社のすぐ東にある京都御苑や京都御所の観光ともあわせて訪れやすい立地ですので、京都観光の記念・思い出として拝受するのもおすすめです。
※京都御所に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
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中門両側にある招魂樹根元には「願掛け猪」の石像があり、その周囲に不思議な串が刺さっています。これは「座立亥串(くらたていぐし)」という願掛けの串で、自分の名前と祈願ごとを記した紙を串に挟んでこの場所に刺すという御王神社独特の作法です。

座立亥串の左には大きな彫刻が安置されています。これは祈願所建立のためにやむなく伐採した樹齢300年の桂の木を使用して、チェーンソーアーティストの城所ケイジ氏が手掛けた「飛翔親子猪」です。生命のよみがえりをテーマとして、翼の生えた神猪が子猪を守る姿が表現されています。

さらに全国から奉納されたさまざまな猪の像や置物が所狭しと展示されています。手水鉢にも霊猪が鎮座していて、いったい何頭の猪がいるのかと数えたくなるくらいです。
護王神社を参拝した際には、境内の霊猪を探しながらじっくりと散策してみてください。
護王神社は、足腰の健康と安全を守るご利益を求める人をはじめ、いつもたくさんの参拝者・観光客でにぎわう神社です。和気清麻呂や霊猪の御神徳が込められた御朱印や、季節や行事の様子が表現された美しい御朱印も人気になっていて、社務所では御朱印待ちの行列をよく見かけます。見どころが豊富で御朱印も楽しみな護王神社へ、ぜひとも一度お参りしてみてください。
ライター: iroha
京都市在住で副業ライターとして活動してます。仕事の合間をぬって京歩き・御朱印集めをする中で、ますます京都が好きになっていき、京都検定2級にも合格しました。歴史ある御朱印や可愛くて素敵な御朱印などをたくさん紹介できればと思っています。
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