- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
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島根県津和野町にある「太鼓谷稲成神社」は、日本五大稲荷の一つに数えられ、千本鳥居は山陰の小京都・津和野を代表する景観として知られています。願望成就から名付けられた日本で唯一の「稲成」の御朱印をいただくことができます。
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現在の島根県津和野町には、鎌倉時代の元寇の役の後、山陰沿岸警護のために石見に下向した関東武士の吉見氏により城が築かれました。当初は一本松城と呼ばれ、その後に三本松城に改名され、関ヶ原の戦いの後、吉見氏に代わり城主となった坂崎出羽守直盛により、津和野城として城下町とともに大改築が行われます。しかし、大坂夏の陣による大坂城落城の際に徳川家康の孫娘で豊臣秀頼の正室・千姫を直盛が救出し、千姫の扱いを巡って江戸幕府と対立した「千姫事件」で坂崎家はわずか16年で断絶。その後城主となった亀井家の下、津和野藩4万3000石の城として明治維新を迎えます。
江戸時代の安永2年(1773年)に、津和野藩第7代藩主・亀井矩貞(かめいのりさだ)が、津和野城の鬼門に当たる太鼓谷(たいこだに)に城の鎮護と領内の安寧を願い、京都の伏見稲荷大社からお稲荷様を勧請し創建したのが、現在の「太鼓谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)」です。
太鼓谷稲成神社は、江戸時代は藩主以外の参拝を禁止する「殿様だけの祈願所」でした。一般の人が参拝できるようになったのは、明治時代に入ってからです。今では、宮城県の竹駒神社、茨城県の笠間稲荷神社、京都府の伏見稲荷大社、佐賀県の祐徳稲荷神社と並ぶ「日本五大稲荷」の一社として全国から参拝者が訪れています。
※祐徳稲荷神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】佐賀県「祐徳稲荷神社」の農耕の神をイメージした御朱印
「太鼓谷」の地名は、刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷あいという意味からつけられており、津和野城の一角でした。今でも境内から眼下を見下ろすと、石畳の通りや細い路地、かつての藩校跡や家老の屋敷など、江戸時代初期に形成された城下町の町並みがのこり、「山陰の小京都」とも呼ばれる津和野城下を一望でき、視線を上げると津和野城の石垣を眺めることができるビュースポットでもあります。津和野城跡トレッキングコースの一部にもなっていて、「三本松城」「津和野城」の御城印を太鼓谷稲成神社の売店でいただくことができます。
太鼓谷稲成神社の社名は、稲荷神社の通常表記である「稲荷」ではなく「稲成」という漢字が当てられています。城主による願望成就の願いが込められ、日本で唯一の「稲成神社」となった不思議な言い伝えが残されています。
京都・伏見から稲荷神社をお遷ししてお祀りした直後の頃、城の蔵番をしていた藩士が鍵を失くしてしまいます。「7日以内にみつけよ」とお殿様から申しつけられた藩士は、殿様しか入れないお稲荷様にこっそり7日間の願掛けのお参りをしたのです。7日目の朝、自宅の囲炉裏の鍋かけに失くした鍵を見つけ、全てを殿様に打ち明けたところお咎めを受けず、ご神意の高い神様だということで「稲成」と改称されたという逸話です。太鼓谷稲成神社は「失せ物探し」にご利益がある神様として知られており、津和野に残る言い伝えは民衆の願いから生まれた話なのかもしれません。
太鼓谷稲成神社では、日本で唯一「稲成」と表記される社印がおされ、日本五大稲荷であること、山陰の小京都・津和野に所在していることなどが示された御朱印をいただくことができます。
太鼓谷稲成神社は、明治時代になり一般の人の参拝が許されてから、大きな発展を遂げますが、その象徴であるのが「千本鳥居」です。263段の石段に約1000本の鳥居が並び、8割が御礼のため、残り2割が祈願のために建てられたものだそうです。境内のすぐ下に駐車場が整備されているため、石段の参道を通らなくても車で社殿の近くまでいくことができるのですが、ぜひ参道を歩いてみることをおすすめします。私は境内から千本鳥居の参道を降りて麓の弥栄神社へ行き、再び千本鳥居をくぐりながら登ってみました。それでも30分ほどで往復できたので、太鼓谷散策にちょうど良いと思います。
殿様のための祈願所が、全国から人が集まる神社へと生まれ変わったのは、鉄道の発達にも関わりがあります。大正11年(1922年)に山口県の新山口駅から津和野駅までの山口線が開業し、翌年には日本海沿岸の益田駅まで延伸します。このことにより、山陽本線と山陰本線がつながり、多くの参拝者が全国から訪れるようになったのです。
令和5年(2023年)は御鎮座250年の記念の年にあたり、11月19日には御鎮座250年奉祝祭が執り行われました。御神木のかえで、神様のお使いのお狐様、山肌を埋める千本鳥居が描かれている御鎮座二百五十年記念の御朱印も授与されました。
神事に合わせて、期間限定の特別な御朱印が授与されることがあるので、興味がある人は太鼓谷稲成神社のホームページやインスタグラムをチェックしてみてください。
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太鼓谷稲成神社には、四ヶ所参りという独自の参拝形式があります。「元宮(もとみや)」「命婦社(みょうぶしゃ)」「新殿(しんでん)」「新殿裏奉拝所(しんでんうらほうはいしょ)」の順番にお揚げと蝋燭をお供えし参拝する方法です。
●元宮
京都の伏見稲荷から稲成大神と称される宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)をお祀りした場所が、現在の元宮です。江戸時代末期の慶應3年(1867年)の津和野藩による神社整理により、吉見氏が室町時代中期に建立した熊野権現社も現在の元宮に移されてきました。熊野権現社には、熊野大神と称される伊弉冉尊(いざなみのみこと)をお祀りしています。二つの神様をお祀りした神社は、熊野神社と呼ばれるようになりました。さらに大正12年(1923年)に現在の社殿を建立した際に稲成神社と改称し、昭和44年(1969年)の新殿建立により、元宮と名付けられました。
●命婦社
稲成大神のお使いの夫婦の白狐神である命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)をお祀りしています。元宮の背後に鎮座しており、命婦社での祈りは京都の伏見稲荷大社に通ずるといわれています。
●新殿
昭和44年(1969年)に参拝者の増加により新殿が建立されました。元宮と同様に、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の2柱の神様をお祀りしています。駐車場から一番近く、とても立派で目立つ社殿なので、四ヶ所参りを知らない人は新殿のみ参拝する人が多いです。
●新殿裏奉拝所
稲荷信仰の御祭神は、本殿の背後より出入りするという言い伝えがあり、ご祭神に最も近い場所からお参りできるように作られています。ここで参拝する人は少なく、静謐な空気が流れていました。
四ヶ所参りをした参拝者は、通常の御朱印とはデザインが異なる見開きの「四拝」の御朱印をいただくことができます。
太鼓谷稲成神社は、津和野城との関わりが深く、山陰の小京都と呼ばれる津和野の城下町の発展とともに歩んできた歴史ある神社です。島根県内では出雲大社に次ぐ、第2位の参拝者数を誇ります。津和野の歴史や由緒正しき稲荷神社であることが示された御朱印や、神事に関連した期間限定の御朱印をいただくことができます。独特の四ヶ所参りの参拝で、四拝の御朱印を拝受するのも特別感がありおすすめです。
※出雲大社に関しては、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
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※同じ津和野にある弥栄神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
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ライター:さくらブロッサム
歴史好きなWebライター。関西地方で暮らしていた18年前に御朱印に出会い、子どもを連れて家族で神社仏閣を巡り、集めた御朱印帳は3冊になりました。夫婦二人暮らしになり、神社仏閣巡りを再開。人々の祈りに込められた思いを大切にした御朱印の魅力をご紹介します。
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