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【御朱印情報】高知県「若宮八幡宮」の長宗我部元親ゆかりの御朱印

高知県高知市にある「若宮八幡宮」は、土佐の戦国武将・長宗我部元親ゆかりの神社です。元親にちなんだ特徴的な御朱印をいただくことができ、勇壮な長宗我部元親像や出蜻蛉方式の社殿など見どころもたくさんあります。

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長宗我部元親初陣戦勝祈願の「若宮八幡宮」

高知県高知市にある「若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)」は、創建から800年以上の歴史がある神社です。鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)が、祖父の源為義(みなもとのためよし)の冥福を祈り、京都の屋敷跡にあった六條左女牛若宮(ろくじょうさめうしのわかみや)に石清水八幡宮を勧請し、新たに「六條若宮八幡宮(ろくじょうわかみやはちまんぐう)」を創建しました。そのとき、土佐国吾川郡(現在の高知県吾川郡)の南部一円が六條若宮八幡宮の神領地として奉納されたため、神地鎮護の神として創建されたのが若宮八幡宮の始まりです。これは文治元年(1185年)12月30日のことと伝わり、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」にも記載されています。

 

永禄3年(1560年)には土佐の戦国武将である「長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)」が22歳の初陣の際、父の国親(くにちか)とともに長浜城攻略にあたったとき、若宮八幡宮の馬場先に陣を構えました。陣で一夜を過ごして戦勝祈願し、見事勝利したといわれています。
その後、元親は若宮八幡宮を「出陣祈願の社」と定め、戦のたびに戦勝祈願を行い、社殿も「出蜻蛉(でとんぼ)」という方式に改めました。若宮八幡宮の社殿は、正面から見るとイメージしにくいですが、本殿をしっぽに見立ててトンボがはねを広げて飛び立つような形をしています。トンボは後退しないため、「勝虫(かちむし)」と呼ばれて戦国武将に好まれていた縁起のいい虫です。

若宮八幡宮_社殿
珍しい「出蜻蛉」という構造の若宮八幡宮の社殿。

 

 

「長宗我部元親初陣の像」や歴史を物語る「大鳥居」、土佐の奇祭「どろんこ祭り」などたくさんの見どころ

若宮八幡宮にはさまざまな見どころがあります。参道は「鎮守の森公園」として整備されていて、公園内にある「長宗我部元親初陣の像」は必見です。像の下には大きな四国の地図があり、初陣以来25年の歳月をかけた四国平定までの戦いの歴史が刻まれています。

若宮八幡宮_長宗我部元親像
像の元親は槍を構え、四国を手中におさめようとする勇ましい姿をしています。

 

高知の三大奇祭に数えられる「どろんこ祭り」が開催される神田も参道の途中にあります。どろんこ祭りは400年以上も続く五穀豊穣・無病息災を願うお祭りですが、長宗我部時代に始まった説、藩政時代に始まった説など諸説あり、由来ははっきりしていません。
「奇祭」といわれるだけあり、その内容は神田での田植えの後に早乙女姿の女性が誰彼構わず男性の顔に田んぼの泥を塗るという変わったもので、泥を塗られた男性はその夏に病気をしないといわれています。そのため、泥を塗られた男性は女性にお礼を言うのが習わしだそうです。

若宮八幡宮_どろんこ祭り神田
参拝したのは田植え時期ではなかったため、どろんこ祭りが行われる神田には何もありませんでした。

 

長宗我部元親初陣像から大鳥居までは約200mの距離があり、まっすぐに道が続いています。社殿が近付いてくると社紋の「まり巴」が入った幟や大小さまざまな灯籠、狛犬が並んでいます。狛犬も灯籠も苔むしていて長い歴史を感じるもので、「安政」など江戸時代の年号が刻まれています。

若宮八幡宮_参道
参道から初陣の像が長い参道がまっすぐ伸びているのがわかります。

 

大鳥居にも長宗我部元親にまつわる伝説があります。天正14年(1586年)、豊臣秀吉に従って九州の島津討伐へ向かうとき、元親はいつものように若宮八幡宮で戦勝祈願を行いました。そのとき、軍旗が鳥居の笠木に引っかかり、落ちてしまうアクシデントが起こりました。人々はこれを「不吉だ」とおそれましたが、元親は「敵を笠にかけて討伐する吉兆である」として、そのまま出陣します。しかし、結果は惨敗となり、嫡男の信親(のぶちか)も「戸次川(へつぎがわ)の戦い」で戦死してしまいました。信親は織田信長が養子に望んだといわれるほどたいへん優秀な人物で、「信」の字は信長から与えられたという説があります。頼りにしていた嫡男を失った元親は自暴自棄となり、長宗我部家中を跡継ぎ争いで混乱させたまま、慶長4年(1599年)に亡くなりました。当時の鳥居は憤慨した元親が壊して海に流してしまいましたが、慶応元年(1865年)に地震があったときに鳥居の台座が浮かび上がったため、「これは神意である」と感じた人々が木造の鳥居を再建しました。現在の大鳥居は昭和55年(1980年)にコンクリート製で建て替えられたものです。

若宮八幡宮_大鳥居
長宗我部元親にまつわる伝説が残る若宮八幡宮の大鳥居。

 

 

 

 

戦国武将・長宗我部元親ゆかりの御朱印

若宮八幡宮の御朱印は墨書きと朱印のみの伝統的なもので、拝殿手前の社務所にて初穂料300円で御朱印帳に直書きしていただけました。

若宮八幡宮_御朱印
文字は「奉拝」「若宮八幡宮」と日付、朱印は「長宗我部元親公初陣祈願之宮」社紋の「まり巴」、「若宮八幡宮」「土佐どろんこ祭」です。

 

シンプルでありながら、この記事でご紹介した「長宗我部元親初陣戦勝祈願」「どろんこ祭り」の若宮八幡宮の歴史や伝統行事のことがすべて記された、神社の特徴を端的に表した御朱印です。
また、神社名の墨書きは、線の強弱がはっきりしていて、横線の一部が途切れていたり、はねやはらいが独特の形をしていたりと、とても特徴的で、直書きならではの雰囲気を味わうことができます。

 

 

若宮八幡宮は、高知県の武将として有名な長宗我部元親ゆかりの神社で、御朱印にも「長宗我部元親初陣祈願之宮」という朱印が押されるので、戦国武将好きの人や、戦国武将に関係する御朱印を集めている人におすすめです。神社のすぐ近くには高知県を代表する観光地「桂浜(かつらはま)」もあり、見どころもたくさんあるので、高知県での観光や御朱印巡りの際にはぜひ訪れてみてください。

 

 

 

 

ライター:kanakana
神社仏閣・御朱印ブロガー。徳島県を中心に四国や淡路島で神社仏閣巡りを楽しむ御朱印ガールで、年間300体以上の御朱印を拝受しています。御朱印を通じて神社仏閣の魅力をご紹介します。

 

 

 

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