- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
大阪府箕面市にある「勝尾寺」は、勝運祈願の寺として有名な古刹で、全国屈指の観音霊場としても知られています。御本尊・十一面千手観世音菩薩の力強い慈悲と自分自身の弱い心に打ち勝つ知恵を象徴する「大悲殿」の御朱印のほか、御詠歌や法然上人ゆかりの御朱印など多種多様な御朱印が授与されています。
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大阪府箕面市、「明治の森箕面国定公園」にも指定されている自然豊かな環境にある「勝尾寺(かつおうじ)」は、勝運祈願の寺として広く知られる高野山真言宗の寺院です。
勝尾寺は、奈良時代初期の神亀4年(727年)に、当時の摂津国(せっつのくに、現在の大阪府北中部と兵庫県南東部)の国司・藤原致房(ふじわらのむねふさ)の双子の子であった善仲(ぜんちゅう)と善算(ぜんさん)がこの地に入って仏道修行に励み、草庵を設けたのが始まりと伝わっています。その後、第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)の勅願を受けて寺院として整備され、皇子であった開成(かいせい)が初代座主を務めました。
平安時代の6代座主・仰巡(げいじゅん)は、第56代・清和天皇(せいわてんのう)が病に倒れた際、寺にいながら祈祷の力によって治癒したという伝説がのこっていて、この出来事により「王に勝った寺」として「勝王寺」の寺号が清和天皇によって贈られました。しかし、寺側はこれを畏れおおいとして「王」の字を「尾」に改め、「勝尾寺」としたといわれています。
その後、源氏や足利尊氏(あしかがたかうじ)をはじめとする多くの武将が戦勝祈願に訪れ、「勝ち運の寺」として広く信仰をあつめました。ここでいう「勝つ」とは、単に勝敗を意味するものではなく、自分自身の弱さや迷いに打ち勝つ「己に克つ」という意味も含まれています。そのため現在でも、受験や仕事、人生の節目における願掛けに多くの参拝者が訪れています。

勝尾寺では複数種類の御朱印が授与されています。
私がいただいた基本となる御朱印は、右から「西国第二十三番」、「梵字(キリーク)」、「應頂山勝尾寺」の朱印がおされ、右に「奉拝」と「日付」、真ん中に「大悲殿(だいひでん)」、左に「勝尾寺」と墨書きされるデザインでした。

「大悲殿(だいひでん)」とは、深い慈悲で人々を救う観音菩薩が祀られているお堂のことを意味し、勝尾寺においては御本尊・十一面千手観世音菩薩が安置されている本堂を指します。
勝尾寺の現在の本堂(大悲殿)は、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼(とよとみひでより)によって再建されたものです。平安時代末期の源平合戦の戦火で灰燼に帰した勝尾寺の境内を、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)、戦国時代を制し天下人となった豊臣家など、時の覇者たちが競うように復興させてきた歴史があります。

また、勝尾寺の本堂に祀られる御本尊・十一面千手観世音菩薩には、神秘的な伝説がのこっています。
奈良時代後期の宝亀11年(780年)7月13日、妙観(みょうかん)という仏師が現れ、わずか1ヶ月足らずで十一面千手観世音菩薩像を彫り上げました。そして8月18日に完成を見たその直後、妙観は忽然と姿を消してしまいます。人々は「妙観こそ観世音菩薩の化身であったのだ」と悟り、それ以来、仏像が完成した「18日」を観音菩薩の縁日と定めました。日本全国の寺院で行われている「18日の観音縁日」の発祥は、勝尾寺であるといわれています。この伝説に基づき、勝尾寺では現代でも毎月18日に御本尊の御開帳が行われています。
このような経緯から、勝尾寺は全国でも屈指の観音霊場として古くから信仰をあつめていて、御朱印にも記載されている「西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)」の23番札所にも選ばれています。西国三十三所とは、近畿地方の2府4県と岐阜県にある観音菩薩を祀る代表的な33の寺院を巡る霊場巡礼で、日本最古の霊場巡礼だともいわれています。
勝尾寺の大悲殿の御朱印には、1300年前の奇跡から始まった観音信仰の成り立ちや十一面千手観世音菩薩の深い慈悲、時の権力者たちが勝運祈願を行ってきた歴史などが宿っているといえるでしょう。
勝尾寺には、観音菩薩の徳を讃えた「御詠歌」が伝わっており、その御朱印も授与されています。
「重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ」
(どんなに重い悩みや不安を抱えていても、仏様の教えがある勝尾寺、仏様を信じてお任せすれば、この身も心も安らかになれるのです)
この歌を知った時、私の心はスッと軽くなるのを感じました。戦争や事件など、どこか安心しきれない現代社会の中で、私たちは気づかないうちに不安を背負っています。ですが「仏様という大きな存在に頼っていいんだよ」と、この御詠歌は優しく教えてくれているように感じました。
大悲殿の御朱印が観音菩薩の「力強さ」を表すものだとしたら、この御詠歌は私たちの心を包み込む「安心」そのものとだと思えます。
勝尾寺の自然豊かで静かな環境は、かつて歴史上の偉人をも癒やしたと伝わっています。
浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)は、四国へ流罪となりますが、赦免されて京都へ戻る前の4年間を、勝尾寺の境内の「二階堂」で過ごしたとされています。本堂の放つ力強い勝運のエネルギーとは対照的に、二階堂周辺には法然上人が念仏とともに過ごした穏やかな静寂が満ちているように感じます。まさに御詠歌にある「ほとけを頼む 身こそやすけれ」という安心の境地が、今もこの場所には息づいているかのようです。
この経緯から、勝尾寺は法然上人ゆかりの地としても知られていて、「法然上人二十五霊場」の5番札所にもなっています。法然上人の遺徳をしのぶ巡礼者が多く訪れ、法然上人ゆかりの御朱印を拝受しています。
1300年前から続く「勝運」の信仰は、現代の勝尾寺において「勝ちだるま」という形で参拝者の背中を力強く押しています。
参拝者はまず、自らの目標にふさわしいだるまを選び、背中に「成し遂げたい願い」を、底面に「その先にある人生の目標」を書き込みます。続いて本堂でお線香の煙をだるまに浴びせ、感謝の気持ちを込めます。最後に向かって右側の目に「自分に負けず、精進する」という誓いを込めて墨を入れます。この「目入れ」の瞬間は、だるまに命を吹き込むような、心地よい緊張感に包まれます。1年後、あるいは目標を達成した際には、感謝を込めて左目を書き入れ、境内にある「勝ちだるま奉納棚」へと返納します。
この勝ちだるまは、単なる願掛けの道具ではありません。自分の目標を託し、成就に向けて共に歩む「人生の伴走者」のような存在であり、勝尾寺の境内に並ぶ両目が開いた無数のだるまたちは、見事に自分に打ち勝った人々の「勇気と努力の結晶」といえるでしょう。

本堂へと続く参道や境内を歩いていると、ふとあちこちから視線を感じることがあります。石垣の隙間、灯籠の陰、あるいは木々の枝の上、そこには指先に乗るほどの小さな「だるまみくじ」が顔を覗かせています。
このだるまみくじは、引いた後にお守りとして持ち帰ることもできますが、多くの参拝者が自分がご縁を感じた場所に奉納して帰ります。何気なく置かれているように見える一つひとつの小さなだるまには、実は誰かの「今の迷い」や「ささやかな願い」が託されています。朱色の山門を背景に、あるいは勝尾寺の美しい自然の影に、ちょこんと座るだるまたちの姿は、勝尾寺ならではの愛らしくも神聖な風景であり、参拝者の心を癒す存在にもなっています。

勝尾寺は、伝説の十一面千手観世音菩薩像が祀られ、時の権力者から一般庶民までを広く迎え入れてきた歴史ある寺院です。拝受した力強い筆致の御朱印は、「己に克つ」という決意とともに自分自身と向き合った証であり、見返すたびにそっと背中を押してくれるかのような存在に感じました。名物になっている「だるま」の姿も楽しみに、ぜひ一度参拝に訪れてみてください。
ライター:paNi.K
正看護師として高齢者施設に勤務しながら活動するWebライター。お寺巡りや御朱印集めが趣味で、関西を中心に各地の寺院を訪れています。参拝しながら境内の空気や雰囲気を感じ取り、その体験を言葉として残すことを大切にしており、実際の参拝体験をもとに、寺院の歴史や御朱印の魅力を伝えていきたいと思っています。
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