- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
熊本県玉名市にある「疋野神社」は、「延喜式神名帳」にも名前が残る由緒正しき神社です。シンプルなデザインの御朱印から、この地に伝わる「疋野長者の物語」「玉名温泉開湯伝説」など、脈々と受け継がれる信仰の姿を紐解きました。
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熊本県玉名市、菊池川(きくちがわ)の支流・繁根木川(はねぎがわ)のほとりに湯けむりを上げる「玉名温泉(たまなおんせん)」の温泉街からほど近い場所にある「疋野神社(ひきのじんじゃ)」は、1,000年以上の歴史を有すると伝わる古社です。
創建年は不詳ながら、社伝では第12代・景行天皇(けいこうてんのう)の九州巡幸の際に祀られたとされ、熊本県内においてもっとも古い神社のうちの一社であるといわれています。平安時代に編纂された歴史書「続日本後紀(しょくにほんこうき)」には承和7年(840年)に官社に列せられたことが記され、官社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」にも名を連ねています。
創建当時より、この地方の豪族であった郡司・日置氏(へきし)の守護神として崇拝されていましたが、日置氏の没落とともに衰退し、社殿の跡さえ不明な状態になってしまいました。
江戸時代に熊本藩主・細川氏によって再興され、現在の社殿へと受け継がれています。
疋野神社では、純白の大鳥居が参拝者を迎え、境内へ進むと古い石造りの鳥居が現れます。石造りの鳥居は、肥後細川藩の筆頭家老であった八代城主・松井直之(まついなおゆき)が寄進したものです。松井家が建立を願い立ててから30年後に完成し、300年以上を経た現在もその姿を残しています。


御祭神は、日本最古の史書「古事記(こじき)」にも名が記され製鉄の神とされる波比岐神(はひきのかみ)です。相殿には父神であり護国神社の神とされる大年神(おおとしのかみ)が祀られています。
現在では、縁結びや商売繁盛、開運招福などの幅広いご利益がある由緒正しき神社として、地域で親しまれています。

令和8年(2026年)6月に私が疋野神社を参拝した際にいただいた御朱印は、中央に「疋野神社」、右側に「肥後国」「式内社」の文字が記され、「式内縣社疋野神社之印」の朱印がおされるデザインで、書き置きで拝受し、初穂料は500円でした。

中央に堂々と記された「疋野」の社名をたどっていくと、この土地に古くから伝わる「疋野長者の物語」に行き着きます。
ここで目を向けたいのが、参道入口の純白の大鳥居の傍らに立つ石柱です。そこには、「式内の 疋野の杜へ 宮まいり 長者のごとき 幸を祈りて」と刻まれています。

昔、都にいた美しい姫君が「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」とのお告げを度々夢に見たため、供を従えてはるばる小岱山(しょうだいさん)の麓にある疋野の里を訪ねました。小五郎は、自分は貧しく食べる物もない身だからと断りましたが、姫君はお告げに従うため、ぜひ妻に迎えてほしいと願います。そして小五郎に金貨を渡し、米を買ってくるよう頼みました。
ところが途中で1羽の白鷺が飛んできたため、小五郎は金貨を投げつけました。傷を負った白鷺は、湯煙の立ち上る谷間へ落ちていきましたが、しばらくすると元気を取り戻し、飛び去っていきました。
小五郎からその話を聞いた姫君が「あの金貨があれば何でも買うことができたのに」と残念がると、小五郎は「あのようなものなら、この山の中にたくさんあります」と答えました。そこでふたりが山を探すと、辺りには金塊が数多く埋もれていました。こうして財を得た小五郎は、姫君と夫婦となり、やがて「疋野長者」と呼ばれるほど栄え、幸福に暮らしたというのが、この地域に伝わる疋野長者の物語です。
疋野長者ゆかりの疋野神社には、社殿の真裏に長者の御神陵が祀られ、毎年4月1日には「疋野長者祭」が斎行されています。
さらに、小岱山の麓には古代のタタラ製鉄の跡が数多く残っています。伝説に登場する「金塊」は、実際にはこの地で盛んに行われた製鉄によって得られた鉄や鉱物資源を象徴したものとも考えられています。疋野神社の御祭神・波比岐神は製鉄の神として信仰されていて、疋野神社が地域の産業とも深く関わっていたことがわかります。
また、白鷺が傷を癒した出湯は、かつて立願寺温泉(りゅうがんじおんせん)と呼ばれた現在の玉名温泉であり、この地が熊本を代表する温泉地として栄えたことにもつながっています。
つまり、御朱印に記される「疋野」という社名から土地の物語をたどっていくと、疋野長者、そして玉名温泉の開湯伝説へとつながっていくのです。御朱印は参拝の証であると同時に、その寺社が歩んできた歴史や、その土地に残る物語を知る入口でもあります。疋野神社の御朱印は、シンプルなデザインだからこそ、そこに記された一つひとつの文字の向こう側にある物語をたどってみたくなるように思えました。
疋野神社では、御朱印と一緒にいただいた「御神米(ごしんまい)」も印象に残りました。

御神米の案内には、近年は御朱印帳を預かったり、日付を書いたりすることが難しくなっていることから、御朱印を受けた参拝者に御神米を授けている旨が記され、「お米はご飯に炊き込んで御加護をいただいて下さい。」との言葉が添えられていました。
御朱印は参拝の証として大切に残し、御神米は家庭に持ち帰って普段のご飯と一緒に体の中へといただく。参拝が神社の境内だけで終わるのではなく、自分の生活の一部になっていくことは特別な体験になりました。
御朱印からたどってきた疋野長者の物語は、境内で今も「温泉」として息づいています。
本殿裏手、疋野長者を祀る御神陵のかたわらに「長者の泉」があり、温泉が湧き出し、御神水「福授水」として大切にされています。

私が疋野神社を参拝した日はあいにくの雨模様でしたが、ペットボトルやポリタンクを手にした地元の人たちが次々と長者の泉を訪れ、温泉を汲んでいました。
印象的だったのは、温泉の汲み方です。まず賽銭箱にお賽銭を納め、静かに手を合わせてから、「福授水」と刻まれた石から流れる御神水を、持参した容器に汲んでいました。

地域の人たちが神様から授かる水を大切にしている姿から、この土地に脈々と受け継がれている信仰の形を見させていただくことができました。1,000年以上の歴史を持つ古社と聞けば、ともすると遠い昔の信仰を想像してしまいますが、雨が降る中でしっかりとお参りをして御神水を汲む人々の姿を見ていると、疋野神社の信仰は決して過去のものではなく、今も地域の日常の中に息づいていることを感じました。
水を汲んだ人にうかがうと、持ち帰った御神水は料理やお茶などに使っているとのことでした。このようなことからも、疋野神社が地域の人々の生活に密接に関わり続けていることを垣間見ることができました。

疋野神社は、式内社としての1,000年以上の歴史を誇る神社です。御朱印を読み解くと、疋野長者の物語、玉名温泉の開湯伝説、今も本殿裏に湧く「長者の泉」、そして今を生きる地域の人々のさまざまなストーリーがつながってみえてきました。玉名温泉を訪れた際には、湯に浸かるだけでなく、疋野神社の参拝・御朱印拝受を入口に、疋野の地に伝わる物語と信仰の源流をたどってみてはいかがでしょうか。
ライター:湯巡人(ゆめぐりびと)
テレビ番組制作に長年携わった経験を持つライター。「体の疲れは湯で癒し、心の澱は御朱印巡りで洗い流す」という旅のスタイルで、温泉地を中心に訪ね歩き、温泉ソムリエマスターとヘルスツーリズムアテンダントの資格も取得しました。土地の空気感や御朱印に宿る物語をともに味わえたら嬉しいです。
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