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【御朱印情報】大阪府「御霊神社」の皇紀が記載される珍しい御朱印

大阪府大阪市中央区にある「御霊神社」は、1000年以上の歴史があるとされ、摂津国津村郷の産土神社として信仰されてきました。御朱印は朱印と墨書きのみの伝統的でシンプルなデザインですが、元号と皇紀が併記された珍しいものです。

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摂津国津村郷の産土神社「御霊神社」

大阪府大阪市中央区淀屋橋のオフィス街にある「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」は、1000年以上の歴史があるとされる古社です。

 

摂津国津村郷の産土神だった圓神社(つぶらじんじゃ)が前身といわれています。
圓神社は平安時代の嘉祥3年(850年)から大阪湾岸の圓江(つぶらえ)で行われていた「八十島祭(やそしままつり)」の祭場とされた「圓神祠(つぶらしんし)」が元となっています。八十島祭とは、平安時代から鎌倉時代にかけて行われていた天皇の即位儀礼のひとつで、天皇の即位礼である「大嘗祭(だいじょうさい)」の翌年に摂津国の難波津(なにわつ)に使者を送り、国家の発展や皇室の安泰を祈りました。
大阪市北区の露天神社(つゆのてんじんしゃ、通称「お初天神」)も八十島祭に関連する旧跡とされています。
※露天神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】大阪府「露天神社(お初天神)」の「曽根崎心中」にちなむ御朱印

 

圓神祠に瀬織津姫神(セオリツヒメノカミ)、津布良彦神(ツブラヒコノカミ)、津布良媛神(ツブラヒメノカミ)が祀られると、神社名も圓神社や圓江神社(つぶらえじんじゃ)、津村神社(つむらじんじゃ)などと呼ばれるようになり、摂津国(せっつのくに、現在の兵庫県東部と大阪府北西部)津村郷の産土神社として信仰を集めました。
津村郷は現在の地名でいうと船場・中之島・土佐堀・江戸堀・靱・阿波座・立売堀、長堀、南堀江、北堀江などのエリアが当てはまり、大阪のメインストリートである御堂筋より西側一帯です。当初は現在の大阪市西区靱本町に鎮座する楠永神社(くすながじんじゃ)の近辺にあったといわれています。

 

安土桃山時代の文禄3年(1594年)に因幡国(いなばのくに、現在の鳥取県)鹿野藩主の亀井茲矩(かめいこれのり)より屋敷の一部の土地を寄進され、現在地に遷座しました。遷座したときに境内にあった八幡宮と源正霊神(げんしょうれいじん)を合祀しています。
源正霊神とは平安時代末期の武士・鎌倉権五郎景正(かまくらげんごろうかげまさ)のことです。鎌倉権五郎が祀られていることから「五郎ノ宮(ごろうのみや)」と呼ばれるようになり、これが転じて「ごりょうのみや」=御霊宮として現在の神社名の由来となったと伝わっています。

御霊神社_鳥居
鳥居の扁額は「御霊宮」となっています。

 

御霊神社というと非業の死を遂げたり怨みを持ったりして死んだ人を神として祀り、疫病や災害を鎮める「御霊信仰(ごりょうしんこう)」の神社が多いのですが、上記の由来からわかるようにこちらは関係がありません。
神仏習合の時代には神社の南側に十一面観音を御本尊とする神宮寺の「宝城寺」があったそうです。明治時代の神仏分離によって境内わけられましたが、現在も境内社の松之木神社と大黒社の間には小さな不動明王の石仏がお祀りされていて、神仏習合の名残がみられます。
後に宝城寺が廃寺となったため、境内跡地にはビルが建ち、ビルの前に鳥居だけがポツンと残されていて不思議な光景でした。

御霊神社_社殿
1000年以上の歴史を持つ御霊神社ですが、社殿や鳥居は平成の大改修で新しくなったばかりで、鮮やかな赤い色彩が印象的です。

 

 

元号と皇紀が併記される珍しい御朱印

御霊神社では朱印と墨書きのみの伝統的なデザインの御朱印がいただけます。
印は右下に「大阪淀屋橋」、中央上に社紋の「三つ巴と沢潟(おもだか)」、中央下に「御霊神社」、墨書きは右上に「奉拝」、中央に「御霊神社」、左側に参拝した日付が入ります。

御霊神社_御朱印
御霊神社の御朱印はシンプルで伝統的なスタイルです。

 

御霊神社の御朱印は伝統的でとてもシンプルなデザインですが、参拝した日付に元号だけでなく「皇紀(こうき)」も併記される点が珍しいです。
皇紀とは、神武天皇が即位した紀元前660年を元年とする日本独自の暦で、正式には「神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)」といいます。明治5年(1872年)に明治政府によって定められたもので、西暦+660年が皇紀となり、2024年の場合は皇紀2684年となります。
江戸時代後期に国学者(こくがくしゃ、日本独自の文化や思想を探るために古典を研究する学者のこと)が使うようになり、昭和初期から戦時中には日常的に使用されていました。

 

御朱印の日付は元号のみが一般的で、皇紀が入る御朱印はとても珍しく、東京の明治神宮など全国でも数えるほどしかありません。
※明治神宮の御朱印に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】東京都「明治神宮」の天皇家ゆかりの達筆な御朱印

 

「大阪淀屋橋」は現在は地名として知られていますが、もともとは土佐堀川にかかる橋の名前です。江戸時代に最初の橋がかけられたとき、日本一の材木商だった「淀屋」にちなんで名付けられました。御霊神社が鎮座する淡路エリアは淀屋橋からも近く、最寄駅は大阪メトロ御堂筋線の淀屋橋駅です。

 

直書き御朱印のほか、現在は季節限定の書置き御朱印も頒布されているようです。鮮やかな色彩が印象的な社殿や鳥居など境内の風景に桜や紅葉など季節のイラストが入っているので、参拝された際にはこちらもぜひチェックしてみてください。

 

 

 

 

御霊神社は、平安時代に行われていた即位儀礼のひとつ「八十島祭」の祭場といわれ、1000年以上の歴史がある神社です。皇紀が入る珍しい御朱印がいただけるので、大阪市内で御朱印集めをするときはぜひ参拝してみてください。

 

 

 

 

ライター:kanakana
神社仏閣・御朱印ブロガー。徳島県を中心に四国や淡路島で神社仏閣巡りを楽しむ御朱印ガールで、年間300体以上の御朱印を拝受しています。御朱印を通じて神社仏閣の魅力をご紹介します。

 

 

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