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【御朱印情報】静岡県「井伊谷宮」の「宗良親王と井伊氏の絆」の物語が込められた御朱印

静岡県浜松市浜名区ある「井伊谷宮」は、南北朝時代に活躍した皇族「宗良親王」を祀る神社です。菊の御紋と李の花の朱印がおされる御朱印には、戦う歌人として知られる宗良親王の功績や生き様、この地域を代々治めてきた井伊氏との絆の物語が込められています。

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南北朝時代に活躍した「宗良親王」を祀る「井伊谷宮」

静岡県浜松市浜名区、浜名湖の北の三方を山に囲まれ古くから「井伊谷(いいのや)」と呼ばれてきた地にある「井伊谷宮(いいのやぐう)」は、南北朝時代の第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の第四皇子である宗良親王(むねながしんのう)を祀るために創建された神社です。

 

宗良親王は、南北朝時代に南朝方の皇族として関東各地を転戦していた途上の海路で激しい嵐に見舞われ、九死に一生を得てたどり着いたのが、南朝の忠臣・井伊氏が守る井伊谷でした。井伊家17代当主・井伊道政は井伊谷に辿り着いた宗良親王をあたたかく迎え入れます。当時の情勢は、宗良親王に敵対する北朝が圧倒的有利でした。しかし、井伊家は宗良親王の父である後醍醐天皇から賜ったあつい信頼と、この地を託されたという恩義から例え勢力が衰えようとも一度結んだ絆を裏切らないと心に決め、宗良親王に対して命をかけて守りぬくと決意をしました。また、道政は自らの娘である駿河姫を親王の王妃として差し出し、公家と武家という垣根を超えた深い縁を結びました。この硬い絆があったからこそ戦いの中でも井伊谷が宗良親王にとっての安息の地となったそうです。その後、元中2年(1385年)8月10日に、現在の井伊谷の地で宗良親王は薨去、同所に墓所がたてられました。

 

明治2年(1869年)に井伊氏の末裔で当時の彦根藩(ひこねはん、現在の滋賀県彦根市)知事であった井伊直憲(いいなおのり)が井伊谷に宗良親王を祀る神社創建を出願し、明治天皇より勅許が下ったことが井伊谷宮の始まりです。
明治6年(1873年)には「官幣中社(かんぺいちゅうしゃ、例祭の際に皇室から幣帛(へいはく、特別なお供え物)が供えられるされる社格が高い神社)」に列せられ、静岡県内では三島市・三嶋大社(みしまたいしゃ)に次ぐ2番目(現在は富士宮市・富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)に次ぐ3番目)の格式を誇りました。
昭和5年(1930年)には昭和天皇、昭和58年(1983年)には現在の上皇上皇后両陛下(当時は皇太子・同妃両陛下)が参拝されるなど、皇室と関係が深い由緒正しき神社として信仰をあつめています。

井伊谷宮_鳥居
井伊谷宮では令和6年(2024年)9月に新調された真っ白な鳥居が迎えてくれます。
井伊谷宮_社殿
井伊谷宮の社殿では頻繁に厄除け祈祷が行われていて、社殿の背後に宗良親王の墳墓があります。

 

 

「宗良親王と井伊氏の絆の物語」が込められた御朱印

井伊谷宮では、多種多様な御朱印が授与されています。

 

基本の御朱印は、中央に「井伊谷宮」、右に「奉拝」、左に「参拝日付」の墨書きに、上部に「菊の御紋」、中央に「官幣中社 井伊谷宮」、下部に「李(すもも)の花」の朱印がおされるデザインで、持参した御朱印帳に直書きしていただき、初穂料は500円でした。

井伊谷宮_御朱印
力強い「井伊谷宮」の墨書きと、「菊紋」「李の花」の朱印が印象的な井伊谷宮の基本の御朱印です。

 

菊の御紋は皇室の御紋であり、御祭神である宗良親王に関連する皇室とのつながりを示しています。
宗良親王は後醍醐天皇と二条為子(にじょうのいこ)の皇子として応長元年(1311年)に生を受けました。後醍醐天皇は、足利尊氏(あしかがたかうじ)、新田義貞(にったよしさだ)、楠木正成(くすのきまさしげ)らを率いて鎌倉幕府を倒しましたが、その影の立役者として、比叡山の頂点である天台座主(てんだいざす)の地位にありながら、法衣の下に「腹巻」という鎧を忍ばせ、父を支えぬいたのが宗良親王でした。
井伊谷の地で亡くなった宗良親王の功績の大きさや地域との絆が菊の御紋が記される御朱印に込められていると思います。

 

また、宗良親王の母である二条家は和歌の宗家であり、その血を引く宗良親王も優れた歌人でした。
宗良親王が自らの歌をまとめた歌集は「李花集(りかしゅう)」と名付けられました。古来より、李の花は高貴な身分を象徴するものとされていますが、同時に風に吹かれて散る儚さも持ち合わせています。宗良親王は皇族という重い宿命を背負いながら風に吹かれては散り、また開きを繰り返す李を自らの生き様と重ねていたのかもしれません。
李の花言葉は「一生の誠実」「忠実」です。宗良親王が自らの歌集を李花集と名付けたのは自身の境遇を重ねただけではなく、劣勢にありながら命懸けで自分を支え抜いてくれた井伊氏の「誠実な一生」への恩義をその名に刻みたかったからなのかもしれません。
御朱印の李の花の朱印は、戦う歌人としても知られた宗良親王の生き様を表しているともいえるのではないでしょうか。

 

宗良親王は、幾多の困難をはねのけ各地を転戦し、戦乱の世を73歳という当時では驚異的な長寿で生き抜いたことから「長寿・除災開運」や、人生を切り拓く「道開き・交通安全」の守護神として、また歌人としての才から「学徳成就・合格」の神様として、あつく信仰され続けています。

 

井伊谷宮では、基本の御朱印の他にも、季節や祭事にあわせて授与されるアート御朱印など、多種多彩な御朱印が常時授与されていますので、参拝の際にはどのような御朱印が授与されているかチェックして、お気に入りの1体を見つけてみてください。

井伊谷宮_御朱印_桃の節句
私が再度参拝した令和8年(2026年)3月には桃の節句にあわせて、ひな祭りデザインの限定御朱印が授与されていました。
井伊谷宮_御朱印_クリア
季節の花が描かれたクリアタイプの御朱印はとても華やかでお気に入りの1体です。

 

 

 

 

井伊氏ゆかりの「井伊社」「龍潭寺」「井伊共保公出生の井戸」

井伊谷宮の境内およびその周辺には、この地を治め御祭神の宗良親王と強い絆を築いた井伊氏ゆかりの史跡があります。

 

井伊谷宮の境内の拝殿すぐ脇に静かに佇むのは「井伊社(いいしゃ)」です。ここには井伊道政と息子である井伊高顕(いいたかあき)が祀られています。

井伊谷宮_井伊社
井伊氏が主君である宗良親王を歴史を超えて今でも守り続けるかのように井伊社が鎮座しています。

 

井伊谷宮に隣接しているのが、井伊家の菩提寺である「龍潭寺(りょうたんじ)」です。龍潭寺は奈良時代に当時の高僧・行基(ぎょうき)によって開かれたと伝わる古刹で、宗良親王が井伊谷に滞在していた際に中興したといわれています。

 

また、龍潭寺の南方の田園地帯には「井伊共保公出生の井戸(いいともやすこうしゅっしょうのいど)」もあります。井伊共保は平安時代にこの地を治めた井伊氏の始祖であり、井戸は共保が誕生した場所だと伝わっています。この水辺から始まった一族の歴史が、宗良親王との絆を育み、幕末まで続く地域の発展へとつながったと思うと、特別な場所に思えてくるはずです。

 

井伊谷宮を参拝の際には、地域の歴史を深く感じることができる周辺の史跡にもぜひ足を運んでみてください。

 

 

井伊谷宮は、宗良親王の功績と井伊氏など地域との絆を現代に伝える神社です。井伊谷の地を歩き、井伊谷宮の御朱印を手にし、宗良親王や井伊氏の物語にふれた時、道を開く加護があらんことを願います。変化の激しい現代、私たちは時に誠実さを失い大切な絆を見失いそうになることがあるかもしませんが、そんなときには井伊谷宮を参拝し、ぜひ御朱印を拝受してみてください。

 

 

 

 

ライター:星野暁(ほしのあかつき)
子育てに奮闘する静岡県在住のウェブ小説家。お寺や神社の空気感が好きで各地の寺社を巡っています。境内に満ちている空気や御朱印の紋様に宿る物語、土地の呼吸などを言葉に紡いでいきたいと思っています。

 

 

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