- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
愛知県名古屋市にある「八事山興正寺」は、名古屋エリアの弘法大師空海信仰の中心的な役割を担い「尾張高野」とも称される大寺院です。御本尊の大日如来像は「名古屋三大仏」のひとつに選ばれていて、大日如来の伝統と格式の高さを感じる御朱印をいただくことができます。
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愛知県名古屋市にある「八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)」は、正式名称「八事山遍照院興正律寺(やごとさんへんじょういんこうしょうりつじ)」という高野山真言宗の寺院です。
約10ha(東京ドーム約2.1個分)の自然豊かで広大な敷地を有し、特に秋の季節は名古屋屈指の美しい紅葉が見られることで知られています。興正寺がある八事の地域は、興正寺建立前から、熱田神宮まで見渡せる眺望に優れた景勝地として親しまれていたと伝わっています。
※熱田神宮に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
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江戸時代の貞享3年(1686年)に天瑞圓照(てんずいえんしょう)和尚が、高野山にて弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)の五鈷杵を授かり、この地に修行の場を建てたのが興正寺の始まりとされています。貞享5年(1688年)に、尾張徳川家二代藩主・徳川光友(とくがわみつとも)の帰依をうけ、本山をもたない無本寺とし、真言律の教学と修行の場として諸堂建立が許可され、「八事山遍照院興正律寺」の寺号をいただき創建されました。以後は「尾張高野」とも称され、名古屋地域の弘法大師空海信仰、高野山真言宗の布教の中心的な役割を担ってきました。
創建当時は1つの寺院でしたが、その後に「西山普門院(にしやまふもんいん)」と「東山遍照院(ひがしやまへんじょういん)」にわかれます。御本尊を祀る大日堂がある東山遍照院は女人禁制の修行場でした。一方、西山普門院は女性も参拝可能で、多くの参拝者でにぎわっていたといいます。
現在の八事山興正寺には、西山の本堂と東山の奥の院・弘法堂に弘法大師空海が祀られており、両堂をあわせて参拝することが作法とされています。明治時代以降には、愛知県内の弘法大師空海ゆかりの寺院を巡る「知多四国霊場」を巡礼したお遍路さんのお礼参りの寺院としても信仰をあつめてきました。
※同じく知多四国霊場のお礼参りで参拝するお遍路さんが多い「三河三弘法」に関して、以下のリンクの記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
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八事山興正寺では、いくつかの種類の御朱印をいただくことができますが、まずは基本となる御本尊の大日如来の御朱印をご紹介します。
「奉拝」「参拝日」「御本尊名」「弘法大師名」「寺院名」の墨書きに、右上・中央・左下には朱印が押されます。
右上の朱印は「雲の空」と読み、御本尊の大日如来と関係しています。
大日如来は、真言密教の中心仏であり宇宙の真理そのものを象徴しているとされます。すべての存在や現象は大日如来の現れであり、彼は全ての世界に遍在するとされています。つまり、彼の存在は目に見えないものや広がり続ける無限のものともつながりがあるのです。
したがって、「大日如来」と「雲の空」は、真理と現象、永遠と一時的なものを対比的に示す仏教的な観点で深く関わっていると考えられ、そのことが御朱印で表現されています。
八事山興正寺の御本尊・大日如来像は、境内で一番高い場所にある大日堂に祀られていて、「名古屋三大仏」の1つになっている歴史的価値もある仏様です。
名古屋三大仏はほかに、名古屋市熱田区にある雲心寺(うんしんじ)の阿弥陀如来像、名古屋市中区にある栄国寺(えいこくじ)の阿弥陀如来像が選ばれています。
また、この御朱印におされている3種類の朱印は、明治時代の知多四国霊場の納経帳におされていたものとデザインが変わっておらず、八事山興正寺が伝統を重んじていることも感じることができます。
※知多四国霊場の御朱印と納経帳に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
この御朱印は、私が知多四国霊場巡礼用に特注したオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に直書きしていただきました。
本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。
力強さと安定感を感じられる書体だと私は思いました。線が太くしっかりとしており、文字に勢いがありながら、全体的には柔らかで流れがあり、自然なリズムがあるような印象を受けます。土佐手漉和紙ならではの表面感で、絶妙なかすれが出ていて、書体の表現力をさらに増してくれているように感じました。
御朱印を書いていただいている間に、「どちらからお見えですか?」と声をかけていただき、お互いの地元の話などをしながら、和やかな時間を過ごすことができました。筆が紙の上を滑る音を聞きながら、温かい気持ちになったことを、御朱印を見返すと思いだします。
八事山興正寺では、知多四国霊場の巡礼者用には、デザインが異なる御朱印も用意されています。
「大日如来」と「西方佛」の2種類の御朱印があり、どちらかをいただく、もしくは両方をいただくお遍路さんもいます。
通常の御朱印は「奉拝」と書かれますが、知多四国霊場巡礼者用の御朱印の場合は「奉納経」と記され、巡礼の意味が強調されています。また、知多四国霊場公式納経帳のサイズにぴったりあう書き置き御朱印も用意されていますので、それをいただいて公式納経帳に貼り付けることもできます。
八事山興正寺は、「名古屋二十一大師霊場」の結願の21番札所にもなっています。
名古屋二十一大師霊場は、弘法大師空海の御縁日である「二十一」にちなんで、江戸時代頃に尾張名古屋城を周辺の真言宗寺院を「金城下二十一大師」の札所として制定し開創されました。しかし、昭和の空襲により、寺院の焼失や戦後の合寺・衰退で寺院数が減っていしまいます。その後の復興で再び霊場を参拝する人が増えたことで、あらためて名古屋市内の有名寺院を札所に選定し、昭和44年(1969年)に現在の名古屋二十一大師霊場の名称で再興された歴史があります。
※名古屋二十一大師霊場の札所の中でも有名な「大須観音」に関して、以下のリンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
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八事山興正寺は、自然豊かな広大な敷地と歴史的建造物・仏像を有し、長く信仰をあつめ、名古屋市内の人気観光スポットにもなっている大寺院です。知多四国霊場を巡礼したお遍路さんがお礼参りに訪れることからも、地域の弘法大師空海信仰を重要拠点であったことがわかります。
明治時代から変わらないデザインの伝統と格式を感じる御朱印をいただくことができますので、参拝の証にぜひ拝受してみてください。
ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。
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