- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
東京都青梅市にある「武蔵御嶽神社」は、関東屈指の山岳信仰の聖地として崇敬をあつめている神社です。「日本三御嶽」のひとつであることが記される御朱印には、強大な霊気が宿っているように感じました。
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東京都青梅市、関東屈指の霊山として知られる「御岳山(みたけさん)」の山頂にある「武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)」では、山岳信仰の聖地として長く崇敬をあつめている神社です。
武蔵御嶽神社の創建は、第10代・崇神天皇(すじんてんのう)の御代に遡り、皇族・武淳川別命(たけぬなかわわけのみこと)が、東方平定に訪れた際に大己貴命(おほなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ったことが始まりと伝わっています。大己貴命は日本の国造りをした大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名で、少彦名命は一寸法師のモデルになったといわれる小さくても知恵と力がある神様です。
奈良時代の天平8年(736年)に、高僧・行基(ぎょうき)が金剛蔵王権現像を安置したことで、修験道や山岳信仰の地として広く知られるようになり、平安時代に編纂された官社一覧「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」には、「大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみやしろ)」の社名で多摩八座のうちの1社として記されています。
中世に入ると、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)をはじめ多くの武将が崇敬し、有力御家人・畠山重忠(はたけやま しげただ)が奉納した鎧や太刀は、現在も所蔵していて国の重要文化財に指定されています。文暦元年(1234年)には大中臣国兼(おおなかとみのくにかね)が荒廃していた社殿を再興し蔵王権現を奉載しました。この功績により、大中臣国兼は武蔵御嶽神社・中興の祖といわれています。その後、元寇の際には、国家最大の危機を鎮圧するため、御神体を鎌倉へ移して蒙古退散の祈願が行われました。
室町時代になっても、室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が神領を寄進するなど、武家からの信仰は絶えることなく、徳川家康(とくがわいえやす)の関東入国後は朱印地三十石の寄進が行われています。慶長11年(1606年)には普請奉行・大久保長安(おおくぼちょうあん)によって社殿が改築され、江戸の西を守護する神として祀るため、社殿の向きが南から東へと改められました。
江戸時代中期以降は庶民の寺社巡りが盛んになり、「御嶽講(みたけこう)」が組織されて関東一円から参拝者が訪れるようになります。この講の文化は、現代でも地域にしっかりと受け継がれています。
明治時代の神仏分離令により、明治7年(1874年)に社名が「御嶽蔵王権現」から「御嶽神社」へ変更され、昭和27年(1952年)に現在の「武蔵御嶽神社」となりました。
現在の本殿に祀られている御祭神は、櫛麻智命(くしまちのみこと)、大己貴命、少彦名命、日本武尊(やまとたけるのみこと)、廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)の五柱です。櫛麻智命は占いを司る神様であり、日本武尊は武力と知略を兼ね備えた英雄神、廣國押武金日命は蔵王権現と同一の神格とされています。




令和8年(2026年)5月に私が拝受した武蔵御嶽神社の御朱印は、中央に「武蔵御嶽神社」、右に「奉拝」、左に「参拝日付」の墨書きに、左上に「月の御嶽」、中央に「神社印」の朱印、社名の左右には「武州御嶽鎮座(ぶしゅうみたけちんざ)」「奥多摩霊峯(おくたまれいほう)」と記された樹形の印がおされるデザインで、持参した御朱印帳に直書きしていただきました。

「月の御嶽」という呼び名は、「日本三御嶽」を「雪月花」に見立てた際、武蔵御嶽神社が「月」に当てられたことに由来します。「御嶽」とは「神が鎮まる尊い山」を意味し、古来より山岳信仰の対象として崇められてきた霊山の通称です。
日本三御嶽とは、一般には武蔵御嶽神社に加え、長野県・御嶽山(おんたけさん)に鎮座する「木曽御嶽神社(きそおんたけじんじゃ)」と、山梨県・金峰山(きんぷさん、甲州御岳山(こうしゅうみたけさん)とも呼ばれる)に鎮座する「金櫻神社(かなざくらじんじゃ)」のことを指します。伝統的な「雪月花」の美意識になぞらえ、木曽御嶽神社は「雪」、金櫻神社は「花」に見立てられています。
また、「奥多摩霊峯」の表記は、御岳山が古くから山岳信仰の対象とされてきた神聖な山であることを象徴しています。とくに円錐形の山容をした奥の院峰の美しさは格別で、境内にはその姿を遥拝できる「奥の院遥拝所」が設けられています。
奥の院は標高1,077mに位置し、武蔵御嶽神社から尾根道を40分ほど歩いた先にあります。ここには奥宮・男具那社(おぐなしゃ)が鎮まり、日本武尊が祀られています。江戸時代後期に編纂された武蔵国の地誌「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」には、東国平定を終えて奥の院に戻った日本武尊が国の平安を祈ったことから、武蔵御嶽神社が国家の安泰を祈る社となったという伝説が記されています。また、日本武尊が武具を岩蔵に納めたことが「武蔵」という国名の由来になったとも伝わり、御岳山そのものが武蔵国を代表する神聖な場所であり、人々が古くから山に畏敬の念を抱いてきたことがうかがえます。

古来、日本人は山に神が宿ると考えてきました。とくに稲作地帯では、山の神が春に里へ降り、秋の収穫後に山へ戻ると信じられ、その名残の神事が現代でも各地に残っています。
多摩川の源流近くに鎮座する武蔵御嶽神社は、水を司る農耕の神としても崇められてきました。下流域の農家は「御嶽講」を組織して毎春参拝し、その年の農作物の作柄予測が書かれたお札を受け取っていました。作柄予測は、武蔵御嶽神社で行われる占い「太占(ふとまに)」の結果によるものです。太占とは、鹿の骨を灼き、入ったヒビ割れから吉凶を読み取る古代の占術です。御祭神に占いを司る櫛真智命を祀る武蔵御嶽神社では、昔から太占が行われてきました。骨に入ったヒビの状態から、25品目の農作物の豊凶を占い、結果は10段階で作況表に記されます。この作況表は御札として頒布され、農家の人々はその年の作付けの判断に役立てました。現代でも武蔵御嶽神社では毎年1月3日に「太占祭」が行われ、占いの結果が頒布されています。太占を継承しているのは、同社と群馬県・貫前神社(ぬきさきじんじゃ)のみです。
樹形の特徴的な印がおされる武蔵御嶽神社の御朱印からは、険しい山を登り神に祈りを捧げてきた人々の信仰の強さと大自然のパワーが感じられます。
御岳山の山頂に鎮座する武蔵御嶽神社へのアクセスは、JR青梅線「御嶽駅」から「ケーブル下」まで約10分バスに乗り、御岳登山鉄道「滝本駅」からケーブルカーを利用するのが便利です。平均勾配22度を誇る関東一の急勾配をケーブルカーで一気に登り、終点「御岳山駅」から社殿までは、舗装された急坂と約300段の階段を上って向かいます。


御岳山駅から武蔵御嶽神社までは徒歩約25分の道のりです。道中には、「御師(おし)」と呼ばれる神職が営む宿坊が立ち並び、急坂の途中には、国の天然記念物である推定樹齢約600年の神代ケヤキがそびえ、長い歴史と信仰の深さを感じさせます。



急坂と階段を登りきった標高929mの山頂にある武蔵御嶽神社からは、関東平野を一望できる圧巻の絶景が広がります。晴れた日には筑波山(つくばさん)や房総半島(ぼうそうはんとう)まで見渡すことでき、登りきった達成感とともに、その眺望が参拝の喜びをいっそう大きくしてくれます。

武蔵御嶽神社は、愛犬を連れて参拝できる神社としても知られています。武蔵御嶽神社の末社に祀られる「大口真神(おおくちのまがみ)」は、絶滅したとされる日本狼で、日本武尊にまつわる伝説がその由来として伝わっています。
天皇の命を受けて東国征討に向かった日本武尊は、奥の院付近で白鹿に行く手を阻まれました。日本武尊は白鹿を邪神と見抜き、山ビルを用いて退けましたが、今度は邪神の放つ妖霧によって道に迷ってしまいます。そこへ白狼が現れ導いて危機を救ったといいます。日本武尊からこの地の守護を命じられた白狼は「大口真神」の名を与えられ、魔除け・火難除けの神として武蔵御嶽神社に祀られました。
鋭い爪と大きな口、長い尾を持つ日本狼の姿をした大口真神は、幕末にコレラが流行した際には、病を運ぶネズミを退治する存在として、その御札が江戸中に広まったそうです。
武蔵御嶽神社の大口真神は、古くから「おいぬさま」と呼ばれ人々に親しまれてきました。愛犬を連れて参拝に訪れる人も多く、ペット専用スペースが設けられたケーブルカーは、ケージなしで乗車できると好評です。また境内には愛犬の健康を祈願する祈祷所があり、祈祷後には御札とワンちゃん用の御供物を授かることができます。




武蔵御嶽神社は、御嶽山の頂に鎮座する山岳信仰の聖地で、「天空の神社」と呼ばれるにふさわしい霊気に満ちあふれています。神々の森に包まれながら参拝するひとときは日々の疲れを癒し、山の御力が息づく御朱印は新たな力を与えてくれることでしょう。
ペンネーム:木々野緑
日本の旧暦としきたりを日々研究するライター。御朱印との出会いは一期一会と感じていて、皆さまの良きご縁の一助となれるよう、御朱印にまつわる歴史や込められた思いをお伝えします。
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兵庫県淡路市にある「石屋神社」は、淡路島でもっとも古い神社のひとつといわれています。国生み神話で最初にできた島「おのころ島」であるとされる「絵島」が近くにあり、御朱印には「はじまりの島」と記され、蛭子が生まれた場所とされる岩樟神社の御朱印もいただくことができます。
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山口県萩市にある「円政寺」は、伊藤博文・高杉晋作らが幼少期に勉学に励んだ寺院として知られています。境内には「金毘羅社」が現存し、神仏習合の信仰の歴史を感じることができる「金毘羅大権現」の御朱印をいただくことができます。