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愛知県知多半島の南部に「南知多七福神」と呼ばれる開運めぐりがあります。七福神を祀る7寺社と宝船を祀る2寺を巡ることで、幸福や繁栄への願いが結びつくと古くから親しまれていて、それぞれの寺社で特徴的な御朱印をいただくことができます。
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目次
愛知県知多半島の南部の常滑市、美浜町、南知多町にある、七福神を祀る1つの神社と6つの寺院、さらに2つの宝船を祀る寺院で構成されるのが「南知多七福神(みなみちたしちふくじん)」です。
その起源は徳川家康(とくがわいえやす)の時代にさかのぼり、戦乱後に民衆へ平和と安らぎをもたらすため、徳川家康が七福神を祀ることを決めたと伝わっています。知多半島のなかでも、古くから幸福や繁栄への願いを結びつけてきた歴史のある寺社で構成されたといわれています。
時代を経て、昭和45年(1970年)に「南知多七福神」として正式に開創され、開運めぐりとして広く親しまれるようになりました。
七福神はインドや中国に起源を持つ福の神々で、「七難即滅七福即生」の仏教思想をもとに信仰が広がりました。新年の1月1日から7日までや、毎月7日の縁日に巡拝すると特に大きいご利益を授かれるといわれています。
また、南知多七福神には、宝船を祀る篠島と日間賀島の2ヶ寺も含まれています。
三河湾に浮かぶ篠島・日間賀島には航海安全や豊漁を願う地域信仰があり、宝船が祀られるようになったと考えられています。宝船は「幸福を運ぶ象徴」として、平安時代末期に「悪夢を乗せて流す」質素な船として始まり、室町時代には節分や除夜のお祓いとして広まりました。江戸時代には七福神を乗せた宝船が福徳を象徴するものとして町人文化に定着し、特に正月の2日には、宝船の絵を枕の下に敷くと良い夢を見るとされ、この習慣は広く浸透しました。
七福神と宝船を祀る南知多七福神の構成寺社とおすすめの巡礼コースは以下のようになっています。
【布袋尊】相持院(そうじいん) 常滑市
↓
【大黒天】野間大坊(のまだいぼう) 美浜町
↓
【寿老人】持宝院(じほういん) 南知多町
↓
【福禄寿】影向寺(ようごうじ) 南知多町
↓
【恵比須神】羽豆神社(はずじんじゃ) 南知多町
↓
【鶴宝船】正法禅寺(しょうほうぜんじ) 南知多町篠島
↓
【亀宝船】安楽寺(あんらくじ) 南知多町日間賀島
↓
【弁財天】遍照寺(へんじょうじ) 南知多町
↓
【毘沙門天】影現寺(ようげんじ) 美浜町
知多半島の南部を、海を渡る篠島と日間賀島も含んで周遊するコースになっていて、さわやかな海の景色と風を楽しみながら巡礼することができます。上記は名古屋方面から知多半島に向かった場合にもっとも効率よく巡ることができる推奨コースですが、巡る順番が定められているわけではないので、観光や散策もしながら、ご自身の都合のよいルートをみつけてみてください。
※南知多七福神では船にのって篠島と日間賀島へ渡る必要があります。令和6年(2024年)12月現在、篠島や日間賀島へ渡るための名鉄海上観光船の港がある師崎観光センターはリニューアル工事中(令和7年(2025年)10月下旬完了予定)のため、仮設営業を行っています。これに伴い、港から離れた場所に臨時駐車場が用意されており、港までは無料のシャトルバスで送迎が行われていますのでご留意ください。
昭和45年の正式開創時に、名古屋鉄道の協力で御朱印集めをしやすいように専用の「御宝印帖」が企画制作され、南知多七福神の構成寺社で販売されています。
御宝印帖は、七福神の7ページと宝船の2ページにあらかじめ「南知多七福神巡拝」「七福神名」「七福神イラスト」「神社仏閣名」が印刷されており、各札所にて朱印(1回100円)をいただきます。1回目の巡拝時には「七福神名」「七福神イラストや神社仏閣の宝印」「神社仏閣印」の朱印がおされます。2回目の巡拝以降は、同じ御宝印帖に朱印を重ねていく「重ね印」をするのが一般的です。重ね印の際には、七福神のイラストか神社仏閣の宝印がおされます。
残念なことに、コロナ禍の影響などで南知多七福神を巡拝する人が減少傾向で、専用の御宝印帖は今後増刷の予定はなく、現在の在庫限りで終了となるようです。ただし、まだ在庫は豊富にあるそうなので、南知多七福神を巡拝する際には入手されることをおすすめします。
専用の御宝印帖をもって南知多七福神を巡る人が大多数ですが、今回私はオーダーメイドで注文したオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に御朱印を直書きしてもらいながら巡拝しました。 本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の中でも「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。
特別な和紙と各札所で書き入れていただく手書きならではの書体のコンビネーションで、唯一無二の御朱印が完成します。直書きの御朱印、書き置きの御朱印をいただく場合の志納料は各寺社300円です。
本記事で南知多七福神の各札所の概要といただいた御朱印をご紹介していきます。
愛知県常滑市にある「相持院(そうじいん)」は、延命地蔵大菩薩を御本尊としている曹洞宗の寺院で、知多四国霊場の65番札所でもあります。
花の寺と呼ばれ桜の名所で知られていて、境内にある梵鐘は知多四国霊場随一の大きさを誇り、突けば延命長寿のご利益があるといわれています。
寺院周辺は日本六古窯の一つである「常滑焼(とこなめやき)」の産地で、寺院の壁の一部に陶器が使われている珍しい光景を目にすることができます。
※相持院の周辺の様子は、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場65番札所相持院→66番札所中之坊寺】「常滑焼」の産地を通るお遍路道
南知多七福神においては、家運隆盛・無病息災・商売繁盛・夫婦円満・子宝・開運・良縁などのご利益のある「布袋尊(ほていそん)」が祀られています。
大きなお腹と満面の笑顔で大きな袋を持った特徴の布袋尊は、中国の五代十国時代(10世紀頃)に実在した禅僧「契此(かいし)」と同一とされ、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身と信じられて神格化されたといわれています。
日本には平安時代末期から鎌倉時代初期に伝わり、室町時代には七福神の一柱として定着し、福徳円満や家庭円満の象徴として親しまれるようになりました。
相持院の布袋尊の御朱印は、大きな袋と大きなお腹が度量の大きさを示し、ほのぼのした雰囲気の布袋尊の朱印がおされるのが特徴です。
愛知県美浜町にある「野間大坊(のまだいぼう)」は、延命地蔵菩薩を御本尊とする真言宗豊山派の寺院で、知多四国霊場51番札所でもあります。
知多四国霊場50番札所大御堂寺(おおみどうじ)の僧坊のひとつが野間大坊のルーツで、大御堂寺は隆盛期には14坊をもつ大寺院で、知多半島の中で特に歴史が深く、知多四国霊場においても重要な役割を果たしてきた経緯があります。
豊臣秀吉や徳川家康も参拝した記録が有り、野間大坊のお堂は、豊臣秀吉晩年の居城・伏見城の一部を寛永年間(1624〜43年)に移築したもので、歴史的価値が非常に高いものです。
※野間大坊に関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】知多半島の人気観光スポットにもなっている源氏ゆかりの「野間の5ヶ寺」
南知多七福神においては、金運・開運・商売繁盛などのご利益のあるとされる「大黒天(だいこくてん)」が祀られています。
大黒天は、インドの破壊神「シヴァ」を起源とし、仏教に取り入れられて護法善神となりました。日本では大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合し、室町時代以降に親しみやすい姿になり広く信仰され、七福神の一柱として富や繁栄の象徴となっています。
野間大坊の大黒天の御朱印は、大黒天が持っている打ち出の小槌の朱印が中央におされるのが特徴です。
愛知県南知多町にある「持宝院(じほういん)」は、如意輪観音を御本尊とする真言宗豊山派の寺院で、知多四国霊場47番札所でもあります。
奈良時代の神亀年間(724〜729)に建立とされる観福寺の観音堂が後に持宝院になったといわれており、奈良時代の名僧・行基(ぎょうき)が開創したと伝わる由緒正しきお寺です。
境内は高台にあり、周辺の街並みや伊勢湾の海の気持ちの良い景色を見渡すことができます。
※持宝院近くの遍路古道に関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場47番札所持宝院→48番札所良参寺】風光明媚な切通しを通るお遍路古道
南知多七福神においては、長寿のご利益があるとされる「寿老人(じゅろうじん)」が祀られています。
高齢で白髪の賢者の姿をし、長寿の象徴である神使の鹿を従えた特徴的な姿で表される寿老人は、南極老人星(カノープス)が単体で日本に伝わったといわれていて、後述する福禄寿と胴体異名の神とされることもあります。
持宝院の寿老人の御朱印は、寿老人が持っている杖の朱印がおされるのが特徴です。
愛知県南知多町にある「影向寺(ようごうじ)」は、十一面観音菩薩を御本尊とする曹洞宗の寺院で、知多四国霊場40番札所でもあります。
室町時代の永禄年間に創建され、この地にあった影向寺と浄心寺、興福寺の三つの寺院が、明治元年(1868年)に合併して現在に至ります。
昭和46年(1971年)に祀られた子安観音が有名で、安産や子が健やかに育つように祈願する参拝者が遠方からも訪れています。
南知多七福神においては、子孫繁栄・財運招福・延命長寿のご利益があるとされる「福禄寿(ふくろくじゅ)」が祀られています。
福禄寿は、中国で南極老人星(カノープス)を表す星神で、長寿や福徳の象徴として崇められ、仏教では弥勒菩薩の化身ともされています。「福・禄・寿」の三つの願いを体現する神として信仰されており、仙人のような姿が特徴です。
影向寺の福禄寿の御朱印は、長い髭をたくわえ穏やかな表情の福禄寿が長寿の象徴である鶴を連れている様子を表現した朱印がおされるのが特徴です。
今回は私が参拝した際には住職不在でしたので、書き置きの御朱印に参拝日付だけを書き入れていただきました。住職がいらっしゃるときは、御朱印帳に直書きもしていただけます。
愛知県南知多町の最南端の羽豆岬(はずみさき)にある「羽豆神社(はずじんじゃ)」は、建稲種命(たけいなだねのみこと)を主祭神とする神社で、白鳳年間に創建されたといわれています。
日本神話の日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の際に、「幡頭(はたがしら)」を務めた建稲種命が祭神であるため幡頭(はず)から社名を羽豆としたという説や、地形が弓矢の「筈(はず)」に似ているため名付けられたという説、また、古代南方系海人の信仰であり、湾の西方の神である「泊頭の神」が由来であるという説など、いろいろな伝説がのこっています。
南知多七福神においては、商売繁盛・五穀豊穣・大漁祈願・学業成就などのご利益があるとされる「恵比寿神(えびすがみ)」が祀られています。
恵比寿神は、日本神話で伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の最初の子とされ、国産みで流された「ヒルコ」であるという伝承があり、流れ着いた場所で「えびす大明神」として祀られ、室町時代以降に福の神とされるようになったと伝わっています。
羽豆神社の恵比須神の御朱印は、社名の由来になったとされる「幡頭」の文字が朱印にもみられ、釣り竿や鯛をもった恵比須神の姿の朱印が印象的です。
愛知県南知多町の三河湾に浮かぶ篠島にある「正法禅寺(しょうぼうぜんじ)」は、釈迦牟尼仏を御本尊とする曹洞宗の寺院で、知多四国霊場38番札所でもあります。
南北朝時代の貞治元年(1362年)に、説宗讃和尚によって創建され、中興は仙鱗等膳和尚と伝わっています。仙鱗等膳和尚は、駿府で今川義元(いまがわよしもと)の人質になっていた幼少期の徳川家康(とくがわいえやす)を救出して、篠島で世話したという伝説がのこる人物です。篠島は、かつては伊勢神宮領だった歴史があり、正法禅寺の梵鐘には篠島が伊勢神宮領だったことを示す貴重な印がのこっています。
※篠島や正法禅寺に関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】札所が3ヶ寺あり伊勢神宮と関係が深い聖域「篠島」
南知多七福神においては、長寿や吉兆のご利益があるとされる「鶴の宝船」が祀られています。
鶴は1000年生きるという慣用句があるほど長生きの鳥であることから、長寿や吉兆の象徴とする信仰文化がうまれ、千羽鶴を折るという習慣も知られています。鶴の宝船は、縁起の良い白鶴が天に昇るイメージを伴い、特に長寿を願う際のシンボル的な扱いをされています。
正法禅寺の鶴宝船の御朱印は、向かい合った2羽の鶴の朱印がおされるのが特徴です。
私が今回参拝した際には住職が不在でしたので、書き置き御朱印をいただきましたが、住職がいらっしゃるときには御朱印帳に直書きしていただけます。住職が不在のことが多いそうなので、御朱印帳に直書きを希望する場合は、参拝前に電話で住職の都合を聞いておいた方が確実です。
愛知県南知多町の日間賀島にある「安楽寺(あんらくじ)」は、聖観音菩薩を御本尊とする曹洞宗の寺院です。
その昔、地震で海に沈んだといわれる寺の仏像が引き揚げられた時、1匹の大ダコが仏像を守るように抱きついていて、それ以来、島民は仏像を「たこ阿弥陀」として祀り、今もなお大漁と安全、子孫長久を祈願しているそうです。
※日間賀島や安楽寺に関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】巡礼文化も根付くタコとフグとビーチのリゾート島「日間賀島」
南知多七福神においては、不老長寿・幸福・繁栄のご利益があるとされる「亀の宝船」が祀られています。
亀の宝船は、安定した幸福や繁栄を象徴する縁起物といわれ、長寿の象徴である亀が財運や幸福を運んでくるとされています。亀と宝船の組み合わせは、特に穏やかで安定した暮らしや成功、健康や家庭円満といった生活の基盤となる願いを表しているといわれます。
安楽寺の亀宝船の御朱印は、甲羅についた藻が尻尾のようになり、蓑をはおったようにみえ、長寿を象徴する縁起物とされる「蓑亀(みのがめ)」の朱印がおされるのが特徴です。
愛知県南知多町にある「遍照寺(へんしょうじ)」は、弁財天を御本尊とする真言宗豊山派の寺院で、知多四国霊場36番札所でもあります。
奈良時代の神亀2年(725年)に行基が創建し、現在も大井地域にある医王寺(いおうじ)の十二坊のひとつとして開創され、鎌倉時代の火災により焼失し、師崎地域に移転され再興された歴史があります。
※医王寺や再興の歴史に関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】風光明媚な港町・南知多町にある札所群「大井の5ヶ寺」
南知多七福神においては、金運・縁結び・芸能などにご利益があるとされ、御本尊でもある「弁財天(べんざいてん)」が祀られています。
弁財天は、インドの創造神の妻サラスヴァティが神仏習合を経て仏教に取り入れられ、奈良時代から信仰が始まった女神とされ、日本では市杵島姫命(いちきしまひめ)や瀬織津姫(せおりつひめ)と同一視されています。
遍照寺の弁財天の御朱印は、表情の異なる3種類の弁財天の御朱印がおされるのが特徴です。御朱印の下部におされている弘法大師御生誕1250年記念宝印は、令和5年(2023年が)が弘法大師空海が誕生してから1250年の記念の年にあたることから知多四国霊場で企画された期間限定の特別な朱印です。現在は押印期間は終了していますが、遍照寺では御本尊が弁財天であることあって、特別に押印が継続されています。
※知多四国霊場の弘法大師御生誕1250年記念宝印に関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】参拝スタイルや巡礼の準備物と弘法大師空海御生誕1250年記念特別企画
※遍照寺と弁財天の御朱印に関して、以下リンクの記事でさらに詳細にご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】知多四国霊場36番札所「遍照寺」の弁財天開運御朱印
愛知県美浜町にある「影現寺(ようげんじ)」は、十一面観音菩薩を御本尊とする曹洞宗の寺院で、南知多三十三観音霊場1番札所で、知多四国霊場番外札所でもあります。
その昔、三河湾で漁師の網に十一面観音像がかかり佐久島に祀られました。後に疫病が流行った際に島守の夢枕に観音菩薩が立ち、三河湾を見渡すことができる高台の現在影現寺がある場所に十一面観音像を移したことから、影現寺は「時志観音(ときしかんのん)」の別名でも親しまれています。
尾張藩初代藩主・徳川義直(とくがわよしなお)が尾張各地を巡った際に時志観音に立ち寄り、その由来に感銘を受け、堂宇の修築を命じました。後に安産祈願したところ無事男児が誕生したので、安産成就の観音様として信仰をあつめるようになりました。
南知多七福神においては、無病息災・金運開運・商売繁盛のご利益があるとされる「毘沙門天(びしゃもんてん)」が祀られています。
毘沙門天は、インドの財宝神クベーラが仏教に取り入れられた北方の守護神で、財運や武運をもたらす力強い存在として信仰されています。室町時代以降、福の神として広まり、戦国時代には武将たちの戦勝祈願の神としても崇められました。「毘沙門天功徳経(びしゃもんてんくどくきょう)」には、福を願う者への恩恵は社会や国家の繁栄を願う者に授けられると記されています。
影現寺の毘沙門天の御朱印は、毘沙門天の使いであるとされ財運を象徴するムカデが図案化された紋の朱印がおされるのが特徴です。
南知多七福神は、知多半島の南部と三河湾に浮かぶ篠島と日間賀島にある9つの寺社をめぐり、運気向上や幸福を願う開運巡拝です。知多四国霊場の札所が南知多七福神の札所のいくつかと重なっているので、お遍路さんが巡拝している姿もしばしば目にします。知多半島のさわやかな海の景色を楽しみながら巡ることができますので、観光も楽しみながら気軽にぜひ一度巡ってみてください。
ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。
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山口県防府市にある「阿弥陀寺」は、鎌倉時代に奈良・東大寺大仏殿を再建した時に大きな役割を果たしました。「西のアジサイ寺」として多くの人が訪れる阿弥陀寺の由来、果たした役割、そして歴史を物語る2種類の御朱印をご紹介します。
福岡県北九州市戸畑地域の伝統的な祭り「戸畑祇園大山笠」は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている夏の風物詩です。祭りの中心となる「飛幡八幡宮」では戸畑祇園大山笠にちなんだ御朱印をいただくことができます。
山口県下関市にある「赤間神宮」は、平安時代末期の壇ノ浦の戦いの際に8歳で亡くなった安徳天皇を祀る神社です。安徳天皇を象徴する、天皇家ゆかりの菊の御紋が印象的な御朱印をいただくことができます。
奈良県桜井市にある「大神神社」は、日本最古の神社とされ、御神体山「三輪山」を参拝する古代の信仰形態を現代に伝承しています。三輪山を拝む拝殿の厳かな雰囲気を水墨画で表現した特別な御朱印をいただくことができます。