
- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
岡山県岡山市東区にある「西大寺」は、天下の奇祭「会陽(はだか祭り)」で知られる、高野山真言宗別格本山の名刹です。西日本における観音信仰の重要拠点で、中国観音霊場1番札所・百八観音霊場1番札所になっていて、御本尊・千手観音菩薩の迫力ある御朱印をいただくことができます。
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目次
岡山県岡山市東区にある「西大寺(さいだいじ)」は、山号は金陵山(きんりょうざん)、本坊は観音院(かんのんいん)の高野山真言宗別格本山の寺院です。
寺伝によれば、奈良時代の天平勝宝3年(751年)に周防国玖珂庄(現在の山口県岩国市玖珂町)に住んでいた藤原皆足姫(ふじわらのみなたるひめ)が金岡郷(現在の岡山市東区西大寺金岡付近)に観音像を安置したことに始まり、宝亀8年(777年)に大和の長谷寺(はせでら)で修行していた安隆上人(あんりゅうしょうにん)に「備前金岡庄の観音堂を修築せよ」と夢でお告げがあり、現在地に堂宇を建立したとされています。元々は犀の角を戴き鎮めた地に建立したことから「犀戴寺(さいだいじ)」と称しましたが、後に後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の祈願文から「西大寺」に改称したと伝わっています。
鎌倉時代に記された「金陵山古本縁起」によれば、正安元年(1299年)に堂宇を消失した記録のなかに、本堂、常行堂、三重塔、鐘楼、経蔵、仁王門などを構えていたことが記されており、すでに地域屈指の大寺であったものと考えられていて、地域であつい信仰をあつめていた様子がうかがえます。
西大寺で特に有名なのが「会陽(えよう)」です。
会陽とは、修正会(しゅしょうえ)という毎年正月に行われる法会の結願行事のことをいい、元々は寺の信徒に厄除けの護符の一種である牛玉(ごおう)を授けることからはじまりました。その後、牛玉が霊験あらたかということで多くの人が求めるようになっていき、やがては、牛玉で包んだ宝木(しんぎ)と呼ばれる木を裸になって奪い合うという形に変化し、現代にも受け継がれています。
西大寺会陽は「はだか祭り」とも呼ばれ、天下の奇祭として全国的に知られるようになりました。現代においても大規模に行われ、作法の伝承状況が良好であることから、平成28年(2016年)には国の重要無形民俗文化財に指定されています。
私が参拝した令和7年(2025年)2月13日は、翌々日に会陽開催を控え、境内では準備作業が進めらている真っ最中でした。
西大寺では、基本の御本尊の御朱印のほかに、他寺との両参り企画のコラボ御朱印、祭事にちなんだ限定企画御朱印など、多様な御朱印が、本堂併設の授与所で授与されていました。
基本の御本尊の御朱印は、「中国一番」「千手観音菩薩のキリークの梵字」「備前國西大寺」の朱印に、「奉拝」「大悲殿」「西大寺」「参拝日付」の墨書きが入るデザインで、納経料300円にて御朱印帳に直書きしていただきました。
西大寺の御本尊は、キリークの梵字の朱印がおされ、御朱印とともに御影をいただくことができる千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)です。
胸前の合掌する両腕以外に背後に40の腕をそなえ、1腕につき25の世界の衆生を救うとされ、25×40=1000の世界を救うという意味から「千手」と呼ばれている観音菩薩です。
災難、延命、病気平癒、夫婦円満、恋愛成就などあらゆる現世利益があるとされますが、西大寺の千手観音菩薩は、会陽に参加した時のまわしを腹帯にすると安産になるといわれていることから、特に安産の功徳が高い御本尊として信仰をあつめています。
大悲殿は、観音菩薩を祀る建物や、観音菩薩を御本尊とする寺院のことをいい、御朱印の中央に墨書きされます。
御朱印の右上に「中国一番」の朱印がおされるのは、西大寺が中国地方の5県に点在する観音菩薩を祀る33霊場と4つの特別霊場を巡る中国観音霊場巡礼の1番札所だからです。
全国各地に広がっている観音霊場巡礼は、大和の長谷寺の徳道上人(とくどうしょうにん)が観音信仰の功徳を人々に勧め、西国三十三所を開基したのが始まりで、長谷寺と縁の深い西大寺が中国地方における観音信仰布教に重要な役割を果たし、中国観音霊場巡礼の起点となる1番札所になっています。
※長谷寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】奈良県「長谷寺」の西国三十三所のルーツともいえる御朱印
【御朱印情報】奈良県「長谷寺」の四季を通じた「花の御寺」の特別御朱印
中国観音霊場と四国三十三観音霊場、九州西国霊場が結びつき、平成25年(2013年)に開創した百八観音霊場の1番札所も西大寺で、岡山県内や中国地方内はもちろん、西日本の観音信仰の拠点となる重要な寺院でもあります。西大寺では、百八観音霊場1番札所の御朱印も授与されています。
中国一番の大悲殿の御朱印は、株式会社四国遍路が制作・販売しているオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。
本紙は、高知県で伝統的に受け継がれている「土佐和紙」の中でも、現地で栽培・収穫された楮(こうぞ)という植物原料を使い、伝統的な製法で職人さんが1枚1枚手漉きした「土佐手漉和紙」です。大悲殿の迫力ある太字を土佐手漉和紙がしっかりと受け止め、文字が浮き出るようにより強調されているように感じます。墨の染み込みがよく、和紙らしい凹凸感とあたたかみの色が特徴の楮紙ならではの仕上がりだと思います。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。
基本の御本尊の御朱印のほかにも多種の御朱印が授与されていましたが、その中で今回私は「令和10年ご本尊ご開扉紀念黄金特別御朱印「大悲殿」」をいただきました。
令和10年(2028年)が西大寺開山1250年の記念の年にあたり、秘仏である御本尊・千手観音菩薩の33年に1度の御開扉が重なる大勝縁の年になることから、大規模な記念行事が企画されており、取り組みの一環としてこの黄金特別御朱印が授与されています。
この御朱印の納経料は、総事業費4億円の建造物や仏像などの修復にあてられるとのことです。
また、限定企画御朱印のうち、「北前船日本遺産認定記念特別切り絵御朱印「北前船と宝木の香り」」もいただきました。
北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて日本海沿岸を行き来した大型商船のことで、北海道から大阪まで途中で各地に寄港しながら物資を運び、地域間の交流や経済の発展に大きく貢献するとともに、日本各地の文化や風習の醸成・拡大にも寄与したとされています。
西大寺は備前国(びぜんのくに)・美作国(みまさかのくに)の内陸部から瀬戸内海にそそぐ吉井川の河口に位置していて、北前船で西大寺近くの港についた物資が吉井川を遡る高瀬舟で流域に供給されるようになると、全国各地から物資が集まる瀬戸内海における北前船の寄港地として発展していきます。西大寺の門前町も多くの商人や旅人で賑わうようになり、おおいに繁栄し、あつい信仰もあつめました。
このような歴史的背景や文化が受け継がれていることが評価され、西大寺が令和6年(2024年)に「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 北前船寄港地」に追加認定され、この特別御朱印が授与されていました。
この御朱印は、切り絵の美しい意匠性だけではなく、御朱印左上の宝木をイメージしたデザインの台紙部分に香りの粒がつけられていて、この部分をこすると実際の宝木に近い香りを体験できるという仕掛けがされています。こすってかいでみると、たしかにお香のような心地よい香りがしました。
今回私は2種類の特別御朱印を拝受しましたが、その他にもいろいろな種類の御朱印が授与されていたので、西大寺を参拝した際にはそのときに授与されている御朱印をチェックして、お気に入りのものを見つけてみてください。
西大寺を訪れた際には、本堂右奥にある牛玉所殿(ごおうしょでん)もぜひ参拝してください。
牛玉所殿に祀られている牛玉所大権現(ごおうしょだいごんげん)は、密教で如来の使者とされる五大明王を神仏習合の権現の姿であらわしたもので、中央に不動明王(ふどうみょうおう)、東に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、南に軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)と配置されています。
牛玉所大権現は西大寺の鎮守であり、会陽で授与されていた牛玉とも関係する身体堅固と病気平癒の牛玉所さまとして昔から信仰をあつめています。
牛玉所殿は、拝殿・釣殿・本殿・奥殿から複合建築で、集住大工の一派として著名な邑久大工の著名な田渕勝義が長時間をかけて明治13年(1880年)完成させた建築物としても貴重な文化財で国の登録有形文化財にも指定されています。
また、江戸時代から明治時代にかけて流行した「こんぴら参り(現在の香川県にある金刀比羅宮)」と牛玉所殿が関係しています。
諸国から多くの旅人がこんぴらさんに向う途中、寄港地である西大寺の牛玉所大権現と、備前国の霊地であるゆがさん(由加神社本宮)で災難・交通・旅行安全の参詣をする三社参りの風習が定着し、特にご利益がたくさんいただけると評判になりました。
明治時代初期の廃仏毀釈によりこんぴらさんから持ち出された不動明王像と毘沙門天像が牛玉所殿に合祀されていて、こんぴらさんとの深い縁が現代にも受け継がれています。
※由加神社本宮に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】岡山県「由加神社本宮」の千年帳にいただいた極太書体が特徴の達筆な御朱印
西大寺は、西日本における観音信仰の拠点的役割を果たしている寺院で、歴史的建造物や会陽をはじめとした伝統祭事なども現代にも受け継がれ、たくさんの見どころがあります。由緒正しき中国観音霊場1番札所の御本尊・千手観音菩薩の御朱印をいただけるほか、多彩な特別御朱印が授与されていますので、岡山県での御朱印巡りの際にはぜひ参拝してみてください。
ライター:千年帳編集部
オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」の商品詳細情報や魅力、こだわりなどを発信しています。千年帳を携えて寺社を参拝し、実際に拝受した御朱印の情報など、御朱印巡り好きの人のためのお役立ち情報もお届けします。
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