- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
奈良県桜井市にある「長谷寺」は、真言宗豊山派の総本山としてあつい信仰をあつめる寺院です。日本で最も歴史が長いとされる巡礼「西国三十三所」のルーツとも考えられていて、観音信仰を象徴する御本尊・十一面観音菩薩の御朱印をいただくことができます。
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奈良県桜井市にある「長谷寺(はせでら)」は、万葉集で「隠口の泊瀬(こもりくのはつせ)」と表された、大自然にかこまれた静かな水辺にたたずむ、真言宗豊山派の総本山である寺院です。
歴史が古く、創建の詳細は不明とされていますが、飛鳥時代の朱鳥元年(686年)に、法相宗の創始者・道明上人(どうみょうしょうにん)が天武天皇(てんむてんのう)の「銅板法華説相図(どうばんほっけせっそうず)」を安置したことが始まりという説があり、奈良時代に入って神亀4年(727年)に徳道上人(とくどうしょうにん)が十一面観音菩薩像を刻み祀ったと伝わっています。
平安時代の承和14年(847年)には国家から固定の収入を得られる重要な寺院である「定額寺(じょうかくじ)」に選ばれ、天安2年(858年)には「三綱(さんごう)」という寺院の運営・管理を司る僧職の制度が整備されたことにより、国から重要な寺院として正式に認められ、官寺としての地位を確立し、宗教面だけでなく政治や社会においても重要な役割を果たすようになります。
平安時代中期以降、観音霊場として貴族を中心に信仰をあつめ、「初瀬詣で(はせもうで)」として広まっていきます。当時の最高権力者であった藤原道長(ふじわらのみちなが)も参拝したことからも、その重要性や格式の高さがわかります。
創建当初は東大寺の末寺で法相宗に属していましたが、平安時代中期には興福寺の末寺となりました。
安土桃山時代の天正16年(1588年)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)による根来寺攻撃の影響で、新義真言宗の僧侶が長谷寺に移り、その後は専誉僧正(せんよそうじょう)が指導者となり、長谷寺の山号「豊山」にちなむ「真言宗豊山派」を確立し、全国にある末寺の総本山として現代でも中心的な役割を果たしています。
長い歴史があり、宗派の総本山としての格式や立派な建造物、また豊かな自然環境も相まって、宗教的な重要性のみならず、奈良県を代表する観光地にもなっていて、日常的にたくさんの参拝者・観光客が訪れています。
長谷寺は、観音菩薩を祀る近畿地方2府4県と岐阜県の三十三ヶ所の札所寺院と三ヶ所の番外寺院からなる巡礼「西国三十三所(さいこくさんじゅうさんしょ)」の8番札所になっていて、西国三十三所8番札所の御本尊・十一面観音菩薩の御朱印をいただくことができます。
「西国第八番」「参拝年」「梵字」「寺院名」の朱印に、「奉納経」「参拝日」「十一面観音」「寺院名」が入るデザインで、志納料500円で納経帳に丁寧に書き入れていただけました。
三十三所巡礼は、観音経に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳にあずかるために三十三の霊場を巡拝することを意味し、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされています。奈良時代以降、日本各地で同様の霊場巡礼が開かれていきますが、西国三十三所は最も長い歴史があるとされています。
長谷寺は、三十三所巡礼の起源と深く関わっていて、そのルーツとも考えられている重要な寺院です。
奈良時代初期の養老2年(718年)に、長谷寺の開基である徳道上人が62歳のとき、病のために亡くなりますが、冥土の入口で閻魔大王(えんまだいおう)に会い、生前の罪業によって地獄へ送られる者があまりにも多いことから、日本にある三十三ヶ所の観音霊場を巡れば滅罪の功徳があるので、巡礼によって人々を救うように託宣を受けるとともに起請文と三十三の宝印を授かり現世に戻されたそうです。
そしてこの宝印に従って霊場を定め、徳道上人と弟子たちが三十三所巡礼を人々に説きますが、世間の信用が得られずあまり普及しなかったため、機が熟すのを待つこととし、閻魔大王から授かった宝印を現在の兵庫県宝塚市にある中山寺(なかやまでら)の石櫃に納めたという伝説があります。
このエピソードから、長谷寺は全国にある三十三所巡礼のルーツとも考えられ、徳道上人が刻んだとされる長谷寺の御本尊・十一面観音菩薩像は観音信仰にとって特に重要な仏様でもあるのです。
長谷寺の十一面観音の御朱印は、十一面の顔で全ての人を見守り、苦しみや声を聴き、33の姿に変身してどんな場所からでも救いの手を差し伸べるとされる十一面観音菩薩のご利益を一身に受けることができる、たいへんありがたいものだと感じます。
この御朱印は、私がオーダーメイドの注文をしたオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の中でも「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。
十一面観音の文字の中でも、「一」と「観」の鋭いトメからのハネが印象的で、筆圧の強弱による流れるような書体が目を引きます。特別に強調された「音」の文字は、全ての衆生の声を聞く観音様の特徴を反映しているようにも感じます。
この御朱印は、書き手の熟練された技と祈りが込められ、文字全体に力強さと繊細さが宿っているように思います。土佐手漉和紙の温かみと凹凸が墨の濃淡を引き立て、文字により立体感と生命力を与えているようで、書と和紙が織りなす調和が伝統文化の奥深さが表現されているように見え感動しました。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクをご参照ください。
長谷寺は、長い歴史があり、真言宗豊山派の総本山として宗教的に重要な位置づけであると同時に、豊かな自然を有する人気観光スポットでもある寺院です。日本で最も長い歴史がある巡礼とされる西国三十三所のルーツとも考えられている寺院でもありますので、ぜひ御朱印をいただいて、御本尊・十一面観音菩薩とのご縁を結んでください。
※長谷寺の限定御朱印に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】奈良県「長谷寺」の四季を通じた「花の御寺」の特別御朱印
ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。
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