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【御朱印情報】東京都「深大寺」の厄除けの「元三大師・角大師」が描かれる「如意輪観音」の御朱印

東京都調布市にある「深大寺」は、奈良時代に創建された東京都屈指の古刹です。厄除けのご利益で有名な「元三大師・角大師」が描かれる「如意輪観音」の御朱印のほか、複数のお堂に祀られている複数の仏の御朱印や祭事などに合わせた限定御朱印などが授与されています。

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「武蔵野の森」に鎮座する東京都内屈指の古刹「深大寺」

東京都調布市、「武蔵野の森(むさしののもり)」と呼ばれる緑豊かな地域に広大な境内を有する「深大寺(じんだいじ)」は、東京都内では浅草寺(せんそうじ)に次ぐ歴史を誇るとされる天台宗の古刹です。
※浅草寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】東京都「浅草寺」の関東の観音信仰拠点の「聖観世音菩薩」の御朱印

 

奈良時代、福満(ふくまん)という人物が、豪族・右近長者の娘と恋仲になりました。しかし、娘の両親に仲を引き裂かれ、彼女は湖の島に閉じ込められてしまいます。福満が娘に会いたい一心で水神・深沙大王(じんじゃだいおう)に祈ると、霊亀が現れ、彼は亀の背に乗って湖を渡り娘に会うことが叶いました。娘と結婚した福満は、大恩ある深沙大王を祀るという願いを息子・満功(まんくう)に託します。
そして出家した満功上人が天平5年(733年)に深沙大王を祀るお堂を建てたのが深大寺の始まりであり、深沙大王の「深」と「大」が深大寺の名前の由来になったといわれています。この伝説から、深大寺は古くより縁結びの御利益で知られており、今も良縁を願う参拝者が絶えません。

深大寺_山門
深大寺が江戸時代後期の慶応元年(1865)に大火に見舞われた際に、常香楼とともに災禍を免れた山門は、元禄8年(1695年)に建てられた山内で最も古い建造物です。
深大寺_境内_本堂
深大寺の本堂には御本尊「阿弥陀如来坐像」が祀られ、本堂近くの白い花をつけた「なんじゃもんじゃ」の大木が見頃を迎えていました。
深大寺_深沙大王堂
深沙大王堂に祀られている「深沙大王像」は秘仏のため、住職一代につき一度だけ礼拝が叶うそうで、江戸時代まで深大寺の信仰の中心でした。

 

深大寺は、緑豊かな広大な境内を有し、湧水の多い国分寺崖線の崖面に抱かれるように立地しているため、現在でも境内に複数の湧水源を持っていて、湧水を利用した「不動の滝」は「東京の名湧水57選」に選定されています。境内の周囲には、隣接している神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)の分園である水生植物園(すいせいしょくぶつえん)やわさび田がある都立農業高校神代農場など、谷状の地形と潤沢な水を利用した施設もあります。
門前町の側溝にも多量の水が流れ、「深大寺そば」が名物になっています。蕎麦の栽培や水車を利用しての製粉、そばの調理に湧水が利用されてきたことがそば産業が発展したことに関係していると考えられています。
水源であったこの地に水神である深沙大王が結びつき、豊富な湧水が周囲の田畑を潤し、地域の人々に崇敬されてきたことが、深大寺の信仰の原点だといわれています。

深大寺_亀島弁財天池
写真の亀島弁財天池は深大寺の境内で最も大きな池で、他にも豊富な湧水を湛える池が多数あります。

 

 

厄除けの「元三大師・角大師」が描かれる「如意輪観音」の御朱印

深大寺では、境内の複数のお堂に祀られている複数の仏様の御朱印や、祭事などにあわせて授与される限定御朱印など、多種多様な御朱印が授与されています。

 

令和8年(2026年)は午年で、深大寺も含まれる多摩川沿いに点在する34の観音霊場で構成される「多摩川観音霊場」の午年特別御開帳がありました。深大寺では如意輪観音の特別開帳が行われ、特別御朱印が授与されていたので、この御朱印を拝受しました。
中央に「厄除元三大師 如意輪観音」、右に「奉拝」「参拝日」、左に「客番」「深大寺」の墨書き、右上部に「角大師」、中央に「梵字キリクと元三大師の御宝印」、左上に「午年 市重文深大寺絵巻の文字とうま」、下部に「深大寺印」の朱印がおされるデザインでした。

深大寺_御朱印_如意輪観音
元三大師の強い厄除けの法力が感じられる深大寺の如意輪観音午年御開帳特別御朱印です。

 

御朱印に記されている「元三大師(がんざんだいし)」とは、平安時代の天台宗の高僧・良源(りょうげん)のことです。良源は第18代天台座主として天台宗の発展に尽力し、比叡山中興の祖として大きな功績をのこしました。また、如意輪観音の化身とされ、強い法力で疫病に苦しむ人々を救ったという伝承があります。
平安時代に疫病が全国へ広がった際、良源は人々を救うため鏡の前で座禅を組みました。すると、鏡に映った姿が次第に2本の角を持つ恐ろしい鬼(夜叉)へと変化したといいます。その姿を弟子が写し取り、版木に彫ってお札として配ったところ、お札を戸口に貼った家には疫病神が近寄らず、病が収まったそうです。このときの鬼の姿が御朱印の右上に朱印がおされている「角大師(つのだいし)」です。こうした伝承から、元三大師は厄除け・疫病除けの霊験あらたかな仏として信仰されるようになり、角大師のお札は現代でも魔除けの護符として授与されています。

深大寺_元三大師降魔札
良源が疫病退散のために姿を変えた「角大師」が描かれた降魔札が授与されています。
深大寺_角大師石仏
深大寺の境内には角大師の石仏も安置されています。

 

深大寺の元三大師堂は、江戸時代以降は深大寺の信仰の中心としての役割を果たしてきました。堂内に祀られている「慈恵大師(じえだいし、慈恵は良源の諡号)坐像」は、高さ196.8cmの目をみはる大きさで、日本最大の肖像彫刻といわれています。秘仏であり、50年に1度のみ御開帳され、次回は2034年の予定です。毎年3月3・4日に行われる「厄除元三大師大祭」は江戸時代から続く伝統行事で、同時に開催される「だるま市」は春の風物詩として親しまれています。
また、如意輪観音も秘仏のため、普段は厨子内に安置されています。今回の参拝で12年に1度の貴重な機会に拝観できたことに加え、特別御朱印もいただけたことで、元三大師の強い魔除けの力に触れられたように感じました。

深大寺_元三大師堂
幕末の大火で複数のお堂が全焼した際には、本堂よりも先に元三大師堂が再建されたことからも、元三大師が深大寺の信仰の中心にあったことがうかがえます。

 

 

凶が多いことで有名な「元祖おみくじ」

元三大師は、おみくじの創始者としても知られています。平安時代、良源が観音さまに祈りを捧げて授かった100の言葉を、人々の悩みに応じてくじを引くように示したことが、おみくじの始まりとされています。のちに江戸時代になると、天海僧正(てんかいそうじょう)がその言葉に番号や吉凶を付け、「元三大師百籤(がんざんだいしひゃくせん)」としてまとめました。これが現代にも伝わるおみくじの原型です。
深大寺のおみくじは、この古い形式を受け継いでいるため凶の割合が高く、全体の3割を占めています。深大寺を訪れた際は、元祖のおみくじをぜひ引いてみてください。

深大寺_おみくじ
深大寺のおみくじは1番から100番まであり、凶が多いことで有名です。

 

 

 

 

国宝「白鳳仏」」が祀られている「釈迦堂」

深大寺を訪れた際には、釈迦堂にもぜひお参りください。
釈迦堂に祀られている「釈迦如来像(通称「白鳳仏」)」は、7世紀後半の白鳳期に制作されたとされる東日本最古といわれる仏像で、国宝に指定されています。少年のような顔に柔和な微笑みをたたえ、両足を下ろして台座に腰掛ける珍しい「椅像(いぞう)」の形式をとることから「銅造釈迦如来椅像(どうぞうしゃかにょらいいぞう)」と呼ばれています。明治42年(1909年)に元三大師堂の壇下から発見されました。

深大寺_釈迦堂
国宝に指定されている「白鳳仏」は、釈迦堂のガラス越しに拝観できます。

 

深大寺では、国宝に指定されていることが記される白鳳仏の御朱印も授与されていますので、釈迦堂の参拝の証として拝受するのもおすすめです。

 

 

 

深大寺は、豊かな緑と水に恵まれ、水神への祈りから生まれた「縁結び」と、元三大師による力強い「厄除け」のご利益を授かることができる寺院です。今回私が拝受した角大師が描かれた元三大師の御朱印には、長い時をこえて受け継がれてきた神仏の力と慈しみが込められているように感じました。

 

 

 

 

ペンネーム:木々野緑
日本の旧暦としきたりを日々研究するライター。御朱印との出会いは一期一会と感じていて、皆さまの良きご縁の一助となれるよう、御朱印にまつわる歴史や込められた思いをお伝えします。

 

 

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