- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
神奈川県鎌倉市にある「建長寺」は、禅の修行道場として中心的な役割を果たしてきた臨済宗の大本山寺院です。禅の名刹であることを示す「天下禅林」の朱印がおされる御本尊・地蔵菩薩の御朱印のほか、複数の仏様や文化財・景観を表現した御朱印など、多種多様な御朱印が授与されています。
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目次
神奈川県鎌倉市、北部の三方を丘陵に囲まれた静かな谷あいにある「建長寺(けんちょうじ)」は、鎌倉五山(かまくらござん)の第一位に数えられる臨済宗建長寺派の大本山として広く信仰をあつめている寺院です。鎌倉五山とは、臨済宗の寺院の寺格であり鎌倉にある5つの有力な禅宗の寺院のことで、現在は建長寺をはじめとして、第二位・円覚寺(えんがくじ)、第三位・寿福寺(じゅふくじ)、第四位・浄智寺(じょうちじ)、第五位・浄妙寺(じょうみょうじ)が選定されています。
鎌倉時代の建長5年(1253年)、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼(ほうじょうときより)が中国・宋から高僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招き、本格的な禅の修行道場として建長寺は開かれました。漢詩や水墨画、茶道など中国文化の影響を受けた「五山文化」が禅僧たちによって広められ、建長寺はその中心的な存在として、当時の文化や思想の発展に大きな影響を与えました。
その後、たびたびの地震や火災などにより大きな被害を受けますが、時の幕府のあつい庇護のもと都度復興を遂げます。鎌倉時代末期には修復費用獲得のため、幕府公認で中国・元へ「建長寺船」と呼ばれた貿易船が派遣されたり、江戸時代には江戸幕府・徳川家の多大な援助があった記録ものこっています。
現在は創建当時の建造物は失われていますが、総門・山門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は創建当時の面影を現代に伝え、多数の国宝・重要文化財を有する鎌倉屈指の大寺院としての歴史は脈々と受け継がれています。禅の修行道場としての厳格な寺院でありながら、一般参拝者向けの座禅会・写経会や各種イベントなども行われており、開かれた寺院としても親しまれています。

建長寺では、総門くぐって左側の御朱印所で、複数の仏様の御朱印や、期間限定の御朱印など、多種多様な御朱印が授与されています。
基本の御朱印は、中央に「南無地蔵尊」、右に「奉拝」「参拝日付」、左に「大本山建長寺」の墨書きに、右上に「地蔵菩薩の御姿」、中央に「宝印」、左上に「天下禅林(てんかぜんりん)」、左下に「建長」の朱印がおされるデザインです。

「南無地蔵尊」とは、「地蔵菩薩に帰依する」という意味で、建長寺の御本尊・地蔵菩薩への信仰を示し、右上にも地蔵菩薩の御姿を亜笑わした朱印がおされています。
建長寺が創建される以前、現在の建長寺がある場所は「地獄谷」と呼ばれる処刑場であったと伝わっていて、人々の苦しみや無念がとどまっていました。建長寺には、古くから人々の苦しみや災いを引き受ける仏として信仰されてきた地蔵菩薩が御本尊として祀られ、人々を救い導いてきた歴史があります。「身代わり地蔵」とも呼ばれ、現代でも静かに人々に寄り添う存在とされ、広く信仰を集めています。
御本尊・地蔵菩薩が祀られている「仏殿(ぶつでん)」は、元は東京都・増上寺(ぞうじょうじ)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)の夫人・崇源院(すうげんいん)の霊屋(たまや)として建てられたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されました。霊廟建築として造られたものなので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なり、屋根は寄棟造(よせむねづくり)、天井は和様の格天井(ごうてんじょう)の珍しい造作で、国の重要文化財に指定されています。


「天下禅林」とは、人材を広く天下に求め育成する禅寺であるという意味で、建長寺が禅の修行道場として中心的な役割を果たしてきたことを表しています。室町時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が臨済宗の寺院を保護・統制するために定めた官寺の寺格「天下五山(てんかござん)」を制定した際に、京都・南禅寺(なんぜんじ)が「五山の上」という別格の最高位に置かれ、南禅寺にも「天下禅林」の名が掲げれました。鎌倉時代と室町時代に栄えた建長寺と南禅寺は、以後「東の建長寺、西の南禅寺」と呼ばれ、現代においても臨済宗の最高権威を誇る寺院として崇敬されています。
※南禅寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】京都府「南禅寺」の複数の場所・塔頭寺院でいただける仏教の教えが詰まった御朱印

建長寺の基本の御朱印には、負の場所を修行の場へと転じた思想や、身近な仏様として人々を救い導く地蔵菩薩の大きな御霊験、禅の修行道場として中心的な役割を果たしてきた歴史が凝縮されていると思います。御朱印の背景にある物語や祈りの形をぜひ感じてみてください。
なお、建長寺にはたくさんの仏様が祀られていて、釈迦牟尼佛、びんずる尊者、千手観世音、心平地蔵尊、済田地蔵尊の御朱印も授与されていますので、ご自身の願いにあう仏様を参拝し、そのご利益を御朱印とともに持ち帰るとよいでしょう。

私が建長寺を参拝した令和8年(2026年)4月には、期間限定のアート御朱印も授与されていました。
法堂(はっとう)の天井画・雲龍図の御朱印は、法堂の天井に描かれた雲龍図が切り絵で描かれたデザインでした。

仏殿の奥にある法堂は、僧侶が修行や説法を行う場で、現代に受け継がれているのは江戸時代後期の文化11年(1814)に再建されたもので、木造建築では関東最大級とされる巨大な堂宇であり、国の重要文化財に指定されています。
法堂の内部の天井に描かれている雲龍図は、地元・鎌倉市出身で昭和時代に活躍した画家・小泉淳作(こいずみじゅんさく)の作で、平成8年(1996年)の建長寺開創750年記念事業の一環として制作をはじめ、平成12年(2000年)に完成しました。
雲龍図の切り絵御朱印からは、仏法を守護する存在としての龍の力強さや、禅寺の厳かな空気を感じることができました。

さらに、季節の特別御朱印「桜と三門」も授与されおり、「千躰地蔵尊」の墨書きが書き入れられ、「桜で彩られた三門」が切り絵で描かれたデザインでした。

建長寺の総門をくぐった先の参道は桜並木になっていて、春の時期に作り出される「桜のトンネル」の景観は幻想的で、鎌倉屈指の桜スポットとして有名です。建長寺には複数品種の桜が植わっていて、2月下旬頃からオカメザクラが咲き始め、3月下旬頃からソメイヨシノや枝垂れ桜が満開を迎えるため、桜の景観を長い期間楽しむことができるのも特徴です。
桜並木を進んだ先にある「三門」は、高さ約30m、三間一戸の巨大な二重門で、国の重要文化財に指定されています。
禅宗寺院においては、三門をくぐることで「空・無相・無願」という3つの執着を捨て悟りに至るという深い意味がありますので、ここで一度気を引き締めて、参拝に向かわれてください。

「千躰地蔵尊」とは、建長寺の境内に数多くの地蔵菩薩が祀られていることを意味しています。
この季節限定の御朱印は、季節ごとに景観が異なる建長寺の魅力と、たくさんの地蔵菩薩が参拝者の祈りを受け止めてきた信仰の積み重なりが、鮮やかに表現されていると思います。
建長寺の広大な境内には、数多の文化財や長い歴史を感じることができる史跡がありますので、ぜひじっくり散策してみてください。


建長寺の敷地はとても広く、丘をのぼって半蔵坊、奥の院へと続き、全てを丁寧に参拝すると、半日以上はかかります。さらに奥へと進んでいくとハイキングコースもあり、参拝とともに山登りを楽しんでいる人も見られます。
自然豊かな建長寺で、自分自身と向き合うひとときを過ごすのもおすすめです。
建長寺は、禅の修行道場としての役割を果たす厳粛な寺院でありながら、広く人々を受け入れる身近な存在でもあります。複数種類の御朱印には、それぞれが長い歴史、信仰の姿、禅の思想を表していて、意味や由来に向き合うことで、建長寺と深いご縁を結ぶことができると思います。季節によって移ろう景観や多種多様な御朱印を含めたくさんの魅力に触れるために、何度も訪れたくなる寺院のひとつです。
ライター:笠間照雄(かさまてるお)
寺院や神社を訪ね、その歴史や背景、人々の営みに触れることを大切にしています。現地で感じた空気や御朱印に込められた意味を丁寧に言葉にし、読者が実際に訪れたくなるような記事を制作することを心がけています。
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愛知県岡崎市にある「一畑山薬師寺」は、東海地方屈指の認知度をほこる寺院です。特に「目」のご利益が期待できるとされる御本尊「一畑薬師瑠璃光如来」の御朱印や、月替わりで授与されるアート御朱印が注目されています。
京都府京都市東山区にある「知恩院」は、浄土宗の宗祖「法然上人」が後半生を過ごした地に建てられた浄土宗総本山の寺院です。法然上人ゆかりのいろいろな仏様や御詠歌の御朱印のほか、行事などにあわせて多種多彩な限定御朱印も授与されています。