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【御朱印情報】京都府「新熊野神社」の熊野信仰のシンボル「八咫烏」が描かれた個性的なデザインの御朱印

京都府京都市東山区にある「新熊野神社」は、京都における熊野信仰の中心として栄えた神社です。熊野信仰のシンボルである「八咫烏」が描かれ、複数の烏で構成される烏文字で神社名が記される個性的なデザインの御朱印をいただくことができます。

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京都における熊野信仰の中心として栄えた「新熊野神社」

京都府京都市東山区、たくさんの寺社が集まる東山山麓にある「新熊野神社(いまくまのじんじゃ)」は、京都における熊野信仰の中心的役割を果たしてきた神社です。
熊野信仰とは、古代に紀伊半島南部の熊野の山や滝などを神聖視する自然信仰を基盤に起こり、平安時代に発展した信仰です。平安時代後期頃から皇族・貴族の熊野詣が盛んになると、神仏習合の影響を受けながら広まり、鎌倉時代以降は武士や庶民にも浸透しました。熊野三山(熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)・熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)・熊野那智大社(くまのなちたいしゃ))を神々や仏が宿る聖地として崇め、現世利益や死者の救済、再生などを願う信仰として、全国に広がりました。
※熊野那智大社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】和歌山県「熊野那智大社」の「八咫烏」「那智の滝」の御朱印

 

新熊野神社は、平安時代後期の永暦元年(1160年)に、熊野信仰のあつかった後白河上皇(ごしらかわじょうこう)によって、上皇の御所「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の鎮守社として創建されました。後白河上皇は、生涯で34回も熊野詣をするほど熊野権現への信仰が深かったと伝わっています。「新熊野(いまくまの)」の神社名は、紀州の古い熊野に対して、京都に新たに熊野の別宮として創建されたことから付けられたといわれています。
以後、京都における熊野信仰の中心地として栄えましたが、室町時代末期の応仁の乱などの戦乱により、たびたび災禍に遭い、一時は廃絶寸前の状態にまでなりました。

 

江戸時代に入ると第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮であった東福門院(とうふくもんいん、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の妹)により再興されました。現在の本殿は、寛文13年(1673年)に聖護院宮道寛法親王(しょうごいんのみやどうかんほっしんのう、後水尾天皇の皇子)が再建したものです。

新熊野神社_本殿
新熊野神社本殿の両側には、御神木である梛(なぎ)の木が植えられています。

 

新熊野神社の御祭神は「熊野牟須美命(くまのむすびのみこと)」で、日本神話では伊弉冉尊(いざなみのみこと)と称する神で、神仏習合における本地仏(ほんちぶつ、仏としての本来の姿)は千手観音菩薩とされています。

 

本殿に向かって左側には上之社(うえのやしろ)と中之社(なかのやしろ)、右側には若宮社(わかみやしゃ)と下之社(しものやしろ)があり、紀州熊野三山に祀られている神々である「熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)」が祀られています。
上之社には日本神話で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と称する「速玉之男大神(はやたまのをのおおかみ)」と素戔嗚尊(すさのおのみこと)と称する「熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ)」が、中之社は「天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)」「瓊々杵尊(ににぎのみこと、天照大神の孫で天孫降臨の神・皇室の祖神)」「彦穂々出見尊(ひこほほでみのみこと、海彦山彦神話の山彦にあたる神)」「鵜茅草葺不合尊(うかやふきあえずのみこと)を、 若宮社では「天照大神(あまてらすおおみかみ)」、下之社には穀物・養蚕の神である「稚産霊命(わくむすびのみこと)」、火の神「軻遇突智命(かぐつちのみこと)」、土の神「埴山姫命(はにやまひめのみこと)」、そして水の神「彌都波能売命(みづはめのみこと)」 が祀られています。

新熊野神社_下之社
下之社は、葉が青々と茂る木々に囲まれ、すぐ近くに大通りがあるのにとても静かで神秘的でした。

 

熊野に祀られているたくさんの神々が鎮座し、紀州熊野までの参詣がままならない人々がこぞって訪れた歴史が、現代にも受け継がれています。新熊野神社は京都における熊野本宮大社であるとされ、熊野速玉大社とされる京都熊野神社(きょうとくまのじんじゃ)、熊野那智大社とされる熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)とあわせて、「京都三熊野(きょうとさんくまの)」と呼ばれ、3社を参拝することで京都の地で熊野詣ができるとされています。

 

 

「八咫烏」が描かれ「能楽発祥之地」と記される個性的なデザインの御朱印

新熊野神社では、私が参拝した令和8年(2026年)5月には、2種類の御朱印が授与されていました。

 

1種類目は、右に「新熊野社」が複数の烏で象られた文字で表現され、中央上には「1羽の大きな八咫烏(やたがらす)」のスタンプ、その下に「新熊野神社」の朱印、中央下には能面に「能楽発祥之地」という文字が入った印、左に「参拝日付」が墨書きされるデザインでした。

新熊野神社_御朱印_能楽
神社名が複数の烏で表現されているのが珍しい新熊野神社の御朱印です。

 

「八咫烏」とは、日本神話に登場する3本足の烏で、初代・神武天皇(じんむてんのう)が熊野から大和へ進む際、天照大神の命を受けて道案内をした神聖な鳥とされています。3本の足はそれぞれ「天・地・人」を表しているといわれます。古くから「導きの神」「道を開く存在」として信仰の対象となり、熊野信仰においては熊野大神の使いとして特に重要な存在です。
熊野三山はもちろん、京都三熊野においても、八咫烏は御神紋のモチーフになったり、神社のシンボルになったりしていて、神社と切っても切り離せない由縁があります。
新熊野神社の御朱印においては、神社名が複数の八咫烏で表現される珍しいデザインで、八咫烏の存在感が強調されています。

新熊野神社_八咫烏_屋根
新熊野神社の社殿の屋根には阿吽の八咫烏が鎮座しています。

 

また、御朱印に記されているように新熊野神社は能楽発祥の地としても知られています。
室町時代初期に、大和国(やまとのくに、現在の奈良県)を本拠地に神事能に奉仕する大和猿楽四座の結崎座(ゆいざきざ)の一員として活躍していた猿楽師・観阿弥(かんあみ)と当時12歳だった息子の世阿弥(ぜあみ)が、新熊野神社において室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の前で猿楽能(さるがくのう)を奉納しました。このことをきっかけに義満の庇護を受けるようになり、これが能楽大成の契機となったことから新熊野神社が「能楽発祥の地」とされました。

新熊野神社_能石碑
新熊野神社の境内には、世阿弥著の「花鏡」から写された「能」の一字が刻まれた石碑のほか、「世阿弥義満機縁の地」と刻まれた石碑もありました。

 

新熊野神社のこの御朱印からは、熊野信仰のおける八咫烏の重要性や、皇室や将軍家から庇護され伝統芸能の拠点にもなっていた深い歴史を読み取ることができます。

 

 

お腹守護の御神徳が込められた「くすのき大権現」の御朱印

2種類目の御朱印は、右に烏文字の「新熊野神社」、中央上に御神木である梛の木の葉でぐるっと囲まれた「八咫烏」、その下に横書きで「新熊野神社々紋」、縦書きで「健康長寿」「病魔退散」「特にお腹守護」と記された「くすのき大権現」の朱印がおされ、左に「参拝日付」が墨書きされるデザインでした。

新熊野神社_御朱印_くすのき大権現
横向きの八咫烏が可愛いらしく、くすのき大権現の朱印が印象的な新熊野神社の御朱印です。

 

新熊野神社の境内に入ってすぐ左にはとても大きな楠があります。
これは、創建当時に後白河上皇が紀州熊野から運ばせた「上皇御手植えの楠」と伝わっています。樹齢は約900年と推定されていて、「影向の大楠(ようごうのおおくすのき)」と呼ばれ、「楠大権現」「楠龍弁財天」として神格化され多くの人々に崇敬されています。「影向」は神が本来の姿から変化して人々にわかりやすい仮の姿であらわれることで、影向の大楠とは神様が楠の姿で私たちの前に来てくださったということを意味しています。
大権現とは熊野の神の化身という意味があり、今も成長し続けている姿に「健康長寿」や「病魔退散」、お腹の病に悩んでいた後白河上皇が快癒したということで特に「お腹の守護」などを願ってお参りする人が多いです。

新熊野神社_影向の大楠_社
新熊野神社の境内に入ってすぐ左には楠をお参りするための社がありますが、楠のすぐ近くまで行くことも可能です。
新熊野神社_影向の大楠
影向の大楠の両手を広げてもまだ足りないほどの太さと、見上げても上まで見えないほどの高さにたいへん驚きました。

 

影向の大楠のそばに立つと強いエネルギーが降り注いでくるように感じました。約900年も前からこの地で長い歴史を見続けていたのだと思うと、その壮大さに感動するとともに自分がいかにちっぽけな存在なのかをあらためて思い知らされる貴重な時間となりました。

 

新熊野神社を訪れた際には、影向の大楠にも参拝して、その大きな御神徳が宿る御朱印もぜひ拝受してみてください。

 

 

 

 

古の参詣道の雰囲気を感じられる「京の熊野古道」

新熊野神社の本殿と中之社の間を奥に進むと、うっそうと茂る樹木の中に小径があります。
ここは「京の熊野古道」の入口となっていて、距離は短いのですが紀州熊野の神々や曼荼羅(まんだら)などが描かれた木が展示された神秘的な場所です。

新熊野神社_京の熊野古道
あまりに目立たないため、本当にのぼってもいいのかと躊躇するほどですが、熊野古道を彷彿とさせる貴重な場所です。
新熊野神社_曼荼羅
熊野本宮八葉曼荼羅(くまのほんぐうはちようまんだら)を基に描かれた曼荼羅が鮮やかで美しかったです。

 

曼荼羅とは、仏の世界をわかりやすく描いた仏画で、八葉とは8枚の葉や花びらを意味します。仏教では8枚の花弁を持つ蓮の花(八葉蓮華)を指し、曼荼羅図では大日如来などの仏が座る聖なる場所の象徴とされています。

 

かつて、熊野三山を目指してたくさんの人が歩んだ熊野古道は、その深い歴史と文化的な価値が世界に認められ、平成16年(2004年)にユネスコ世界文化遺産に登録され、現在も大切に受け継がれ、世界中から多くの参詣者を受け入れています。
新熊野神社の京の熊野古道は、小規模ながら熊野古道の雰囲気を感じられる貴重な場所なので、参拝の際にはぜひ歩いてみることをおすすめします。木の根が飛び出しているなど足元が悪い場所もあるので、くれぐれも安全にはご留意ください。

 

 

新熊野神社は、京都の熊野信仰の拠点として大切に受け継がれている神社です。かつての広大な神域は一部は失われてしまいましたが、巨大な楠や京の熊野古道などが繁栄の歴史を現代に伝えています。神秘的な熊野信仰の世界をじっくりと体感したあとは、熊野大神の使いである八咫烏が描かれた個性的なデザインの御朱印を拝受し、参拝の思い出を御朱印帳にも刻まれてください。

 

 

 

 

ライター: iroha
京都市在住で副業ライターとして活動してます。仕事の合間をぬって京歩き・御朱印集めをする中で、ますます京都が好きになっていき、京都検定2級にも合格しました。歴史ある御朱印や可愛くて素敵な御朱印などをたくさん紹介できればと思っています。

 

 

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