
- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
岡山県岡山市北区にある「吉備津彦神社」は、昔話「桃太郎」のモデルといわれる大吉備津彦命を祀り、備前国一宮として長く信仰されている神社です。桃太郎にちなみ桃を象った朱印がおされる御朱印をいただけるほか、祭事などにちなんだ多彩なデザインの御朱印が授与されています。
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岡山県岡山市北区にある「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」は、古来より神体山として崇められている吉備中山の北東麓に鎮座し、備前国(びぜんのくに)の一宮として長く信仰されている神社です。
主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)で、古代神話によると、第7代孝霊天皇(こうれいてんのう)の第三皇子で、崇神天皇10年(187年)に四道将軍の1人として山陽道に派遣され、弟の若日子建吉備津彦命(わかひこたけきびつひこのみこと)と吉備を平定したと伝わっています。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族の吉備臣になったとされています。
吉備中山の麓の茅葺宮(かやぶきのみや)に住んだ大吉備津彦命は、281歳で亡くなって山頂に葬られたといわれています。吉備中山は古来から神体山として信仰されていたと考えられていて、現在でも多くの古墳や古代祭祀遺跡が残り、中央の茶臼山山頂には大吉備津彦命の墓と治定されている墳丘長120mの前方後円墳があります。
吉備津彦神社は、大吉備津彦命の住居跡に社殿が創建されたのが起源と考えられています。
※同じく大吉備津彦命を祀り、吉備中山の北西麓にある吉備津神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】岡山県「吉備津神社」の「三備一宮」と記される伝統的な御朱印
吉備津彦神社の参道と社殿は、夏至の日出の太陽が真正面から昇り神殿の御鏡に入る構造になっています。
夏至は太陽の力が最も強い日とされ、吉備津彦神社の構造は太陽を神と仰ぎ日本民族と人類の豊穣発展と幸運を祈る古代の太陽信仰を象徴し、古代の祭祀場として重要な役割を果たしていたと考えられています。
このような神社の構造から、吉備津彦神社は「朝日の宮」とも称されています。
※このような太陽のラインや構造は「レイライン」と呼ばれていて、レイラインに関して四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事で詳しく紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【レイライン基礎知識編】「レイライン」「レイラインハンティング」とは?
吉備津彦神社では、基本の御朱印のほかに、伝承や祭事にちなんだデザインの御朱印など、複数種類の御朱印が授与されています。
基本の御朱印は、「備前國一宮」「神社印」「十六菊五七桐」「桃」「備前蝶」の朱印に、「奉拝」「参拝日付」の墨書きが入るデザインで、拝殿近くの授与所にて初穂料500円で御朱印帳に直書きしていただきました。初詣期間など参拝者が多い時期や社務所の対応体制などの事情により、書き置きのみの授与になることもあるようです。
十六菊は天皇家の紋で主祭神・大吉備津彦命が天皇家直系の男神であることを表し、五七桐は天皇家直系の女神(大吉備津彦命の姉と妹)も配祀していることから、吉備津彦神社の社紋として使われているようです。
御朱印の右下におされている紋の朱印は「備前蝶(びぜんちょう)」と呼ばれていて、江戸時代に岡山藩を治め吉備津彦神社をあつく庇護した池田家の家紋であることから、御朱印におされています。
御朱印の左下におされている朱印は果物の「桃」を象ったものです。これは、吉備津彦神社の主祭神・大吉備津彦命が昔話「桃太郎」の主人公・桃太郎のモデルであると考えられていることに由来しています。
大吉備津彦命に関係する神話として「吉備津彦の温羅(うら)退治」があります。古代の吉備に温羅という鬼がいて、鬼城山を居城として村人を襲い、悪事を重ねていました。そこで、大和の王が吉備津彦に温羅を退治するよう命じました。吉備津彦命は、吉備の中山に陣を構え、巨石の楯を築き守りを固め、一方、温羅も城から弓矢で迎え撃ちます。そして激しい戦いの末、傷を負った温羅は鯉に化けて逃走し、吉備津彦は鵜に変身して温羅を捕まえ退治しました。
この神話が桃太郎のもとになったと考えれていて、吉備津彦神社の御朱印に桃太郎を象徴する桃の朱印がおされています。
果物の桃の原産国である中国では、桃は仙人が食べるもので不老長寿や邪鬼を払う呪力があるとされ、桃という漢字が木偏に「兆」と書き、桃の花がとても多くの実を付けることから子孫繁栄の象徴でもある縁起の良い食べ物といわれています。
大吉備津彦命の武勇や桃のご利益にぜひあやかりたいものです。
※桃太郎に関連する愛知県犬山市の桃太郎神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】愛知県「桃太郎神社」の桃太郎伝説にまつわる御朱印
この御朱印は、株式会社四国遍路が制作・販売しているオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。
本紙は、高知県で伝統的に受け継がれている「土佐和紙」の中でも、現地で栽培・収穫された楮(こうぞ)という植物原料を使い、伝統的な製法で職人さんが1枚1枚手漉きした「土佐手漉和紙」です。特徴的な流れるような書体のラインが浮き出るようにくっきりと表現されていて、あたたかみのある質感・色の和紙に朱印が映えているように感じます。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。
吉備津彦神社では、基本の御朱印以外にも、書き置きタイプのたくさんの種類の御朱印が授与されていました。
その中で、私は桃太郎一行が船に乗り、令和7年(2025年)の干支である巳も描かれたアート御朱印をいただきました。
御朱印の上部に「御神刀 桃太郎佑定(ももたろうすけさだ)」が描かれています。
この刀は、備前刀の名工・上野大掾祐定(こうずけのだいじょうすけさだ)が江戸時代の寛文6年(1666年)に作刀し、岡山藩士で剣術家の茨木安大夫(いばらぎやすだゆう)により吉備津彦神社に奉納されたものだと伝わっています。光に照らされると神秘的な「神心乱」の刃紋を映し出す刀で、神の御力により人心を平らかにするという平和への祈りが込められているといわれています。
備前の地域は、昔から刀の製作に不可欠な砂鉄や水に恵まれ、質・量ともに日本一の刀の産地として名をはせてきました。特に現在の瀬戸内市にある長船地域で発展した「備前長船(びぜんおさふね)」という刀工流派が有名です。
吉備津彦神社には古より製鉄の神様である金山彦命(かなやまひこのみこと)も祀られていることから、刀工からの崇敬もあつめてきた歴史があります。
吉備津彦神社では、五穀豊穣を祈願する「御田植祭」や、風水害の災いを防ぐ「流鏑馬神事」などたくさんの伝統的な祭事が長く受け継がれていて、それぞれの祭事にちなんだデザインの御朱印も授与されていますので、参拝の際にはぜひチェックしてみてください。
吉備津彦神社は、古代の祭祀場であったであろう姿を色濃くのこし、備前国一宮として地域で重要な役割を果たしてきた歴史を存分に感じられる神社です。主祭神・大吉備津彦命に関係する桃太郎にちなんだデザインの御朱印は、とても縁起が良く、参拝の証・記念にぴったりだと思います。
※同じ岡山市北区にある岡山県を代表する寺院である最上稲荷に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】岡山県「最上稲荷」の日蓮宗ならではの御朱印と御首題
ライター:千年帳編集部
オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」の商品詳細情報や魅力、こだわりなどを発信しています。千年帳を携えて寺社を参拝し、実際に拝受した御朱印の情報など、御朱印巡り好きの人のためのお役立ち情報もお届けします。
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愛知県知多半島の南部に「南知多七福神」と呼ばれる開運めぐりがあります。七福神を祀る7寺社と宝船を祀る2寺を巡ることで、幸福や繁栄への願いが結びつくと古くから親しまれていて、それぞれの寺社で特徴的な御朱印をいただくことができます。
東京都港区にある「高野山東京別院」は、高野山真言宗の東京における信仰の拠点で、開祖である弘法大師が御本尊です。東京都23区内にある弘法大師ゆかりの寺院を巡る「御府内八十八ヶ所霊場巡礼」の1番札所にもなっていて、弘法大師と深いご縁をいただける御朱印を拝受することができます。
山口県防府市にある「玉祖神社」は、かつての周防国一宮であり、玉祖神社の総本社として知られる古社です。天孫降臨神話とも関わりがが深い長い歴史を感じる伝統的な御朱印をいただくことができます。
徳島県板野町にある「愛染院」は、腰より下の病を治すご利益があり、大小いろいろなわらじが奉納される地域に人に愛されているお寺です。全国的にも珍しい「刷毛書き」の御朱印を住職自らが書き入れてくださいます。