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【御朱印情報】福岡県「八坂神社」の「小倉祇園太鼓」ゆかりの御朱印

福岡県北九州市にある「八坂神社」は、福岡三大祭のひとつである「小倉祇園太鼓」が開催されることで知られており、祭りゆかりの御朱印をいただくことができます。小倉城の敷地内にあり、歴史観光スポットとしても人気があります。

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小倉城の敷地内にある小倉藩総鎮守「八坂神社」

福岡県北九州市の中心部の小倉北区にある「八坂神社(やさかじんじゃ)」は、小倉のシンボルとして名高い「小倉城(こくらじょう)」の敷地内に鎮座しています。
関ヶ原の戦い以降、小倉の地を治めていた小倉藩の初代藩主・細川忠興(ほそかわただおき)が、城北の位置にある鋳物師町に祇園社(ぎおんしゃ)を建立し、「小倉藩の総鎮守」としました。その後、南殿に長尾の祇園社を、北殿に古船場町の祇園社を移築し、1つの社に2柱の祇園様が祀られる、全国的に見ても珍しい形態の神社になりました。明治時代に祇園社から現在の八坂神社に名称が変更となり、昭和8年(1933年)に現在地に再度移設されました。
小倉地域の産土神として信仰をあつめ、地元では「小倉の祇園さん」の愛称で親しまれています。

八坂神社_楼門
八坂神社の楼門は大きな屋根の堂々とした佇まいで、私が訪れたお正月には門松などの正月飾りがありました。

 

 

福岡三大祭のひとつ「小倉祇園太鼓」

毎年7月第3週目の金曜日から日曜日までの3日間で開催される八坂神社の例大祭「小倉祇園太鼓(こくらぎおんだいこ)」はとても有名で、多くの人でにぎわいます。小倉藩初代藩主・細川忠興が、江戸時代の元和4年(1618年)に、故郷の京都の祇園祭を模した夏祭りを開催したのが始まりとされています。
当初の祭りは、神輿や飾り山、笠鉾などが練り歩くものだったそうですが、明治時代の末期ごろから、山車の前方と後方に1台ずつに乗せられた太鼓を両面から打ち鳴らしながら町を練り歩く現在のスタイルへと変化しました。小倉祇園太鼓ならではの太鼓を設置した山車は「太鼓山車(たいこだし)」と呼ばれていて、各町内や団体ごとに奉納される山車の数は90基ほどもあります。祭り期間中には、小倉エリアの至る所から太鼓の音が鳴り響いています。

 

太鼓を両面から打ち鳴らす点と、女性禁制の神事が少なくないなか女性も参加できる点が、小倉祇園太鼓の大きな特徴です。祭りのスタイルに特徴があり、伝統的なスタイルを受け継いでいることなどの文化的価値が評価され、国の重要無形民俗文化財に指定されていて、「全国三大祇園」「福岡三大祭」のひとつにもなっています。
※同じ北九州市で開催される福岡三大祭のひとつである「戸畑祇園大山笠」に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印関連情報】無形文化遺産の福岡県「戸畑祇園大山笠」にちなんだ御朱印

 

 

 


 

 

小倉祇園太鼓と細川家の歴史が表現された御朱印

八坂神社の御朱印は1種類で、「小倉祇園社」「八坂神社」の墨書きに、右上に「三つ巴紋」「小倉ぎおん」がデザインされた太鼓をモチーフにした緑色の印と、中央上部に神紋、中央下部に神社印が押されれるデザインです。

八坂神社_御朱印
小倉祇園太鼓が開催される地であることが御朱印でも表現されているので、祭りに参加した記念に拝受するのもよいと思います。

御朱印のデザインの中で、私が特に注目したのは神紋です。巻物をクロスさせたようなデザインは「祇園守紋(ぎおんまもりもん)」と呼ばれ、巻物を十字架に見立てて隠れキリシタンも使っていた紋とされています。

 

細川忠興の正妻であり、明智光秀の三女でもあった「細川ガラシャ(明智玉)」は、16歳で忠興と結婚し、政略結婚でありながらも仲睦まじく暮らしていたといいます。そんな2人の転機となったのが、父である明智光秀が主君の織田信長に反旗を翻した「本能寺の変」です。反逆者の娘となってしまい、父親の死、自身の幽閉、忠興と長男・忠隆(ただたか)との絶縁、次男・興秋(おきあき)の戦死と、次々と不幸に見舞われます。そんなときに心の拠り所となったのが、当時禁止されていたキリスト教でした。キリスト教の洗礼を受け、「ガラシャ」という洗礼名を授かりました。

 

その後、関ヶ原の戦いの中で人質になることを拒み自ら死を選んだため、その後に小倉を治めた忠興とともに小倉の地で暮らすことは叶いませんでしたが、忠興は熱心にキリスト教・キリシタンを保護したことから、小倉にはこの神紋などその名残が残っています。

 

 

御城印もいただける人気の歴史観光スポット「小倉城」

八坂神社や小倉祇園太鼓に訪れた際には、ゆかりの小倉城にもぜひお立ち寄りください。

 

小倉を統治し始めた忠興は、小倉城の復興に着手します。江戸時代には、7年もの年月をかけて完成させた天守がそびえ、細川氏の居城として活用されていました。当時珍しい「唐造り」の様式で、4階と5階の間に屋根の庇(ひさし)がなく、5階が4階よりも大きく張り出していたのが特徴でした。江戸時代後期に天守が火災によって焼失したものの、昭和期に再建され、現在では石垣や堀などの現存遺跡を活かした公園として整備されています。
5階建ての天守には、およそ400年の小倉城の歴史を紹介するコーナーや宮本武蔵のフィギュアの展示スペース、展望スペースなどが整備されています。馬型遊具にまたがって流鏑馬(やぶさめ)を体験できたり、甲冑や兜、着物など江戸時代の衣装を身に着けての写真撮影ができたりと、体験型の観光施設としても人気を集めています。
桜や紅葉の名所としても有名で、時期になるとその景観を楽しみに多くの人でにぎわいます。平成29年(2017年)には「続日本100名城」に登録され、御城印や続日本100名城スタンプなどもいただけます。

小倉城_天守
凛とそびえる小倉城の現在の天守は、昭和時代中期に再建されたものです。
小倉城_御城印
小倉城の御城印は、定番のシンプルなデザインの他に、季節に応じた限定のデザインも登場します。

 

 

小倉祇園太鼓が開催される八坂神社では、祭りゆかりの御朱印をいただくことができ、この地を治め祭りを始めた細川忠興の歴史も知ることができます。神社がある小倉城も人気の観光スポットなのでぜひお立ち寄りいただき、御朱印巡り好きには御城印もおすすめです。

 

 

 

 

ライター:neko
学芸員の資格を持つWebライター。九州を中心に全国の寺社仏閣に出掛け、御朱印を集めるのが趣味です。今までにいただいた御朱印は、御朱印帳5冊ほどになりました。

 

 

 

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