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京都府京都市東山区にある「三十三間堂」は、堂内に1,001体の千手観音像が安置されていることで知られる巨大な仏堂です。千手観音の大きな慈悲を感じる「大悲殿」の御朱印を基本に、行事にあわせて期間・数量限定の御朱印が授与されることがあります。
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京都府京都市東山区、JR京都駅から東に約1.5kmの複数の寺社が集まるエリアにある「三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)」は、正式名称は「蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)」といい、近くにある天台宗の「妙法院(みょうほういん)」が所管する仏堂です。堂内に1,001体もの千手観音像が安置されていることで有名です。
三十三間堂の創建は室町時代後期の長寛2年(1165年)で、もともとこの地にあった第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)が上皇となったときの離宮「法成寺殿(ほうじょうじど)」の一角に建立されました。
後白河上皇は長年頭痛に悩まされ、あるとき熊野権現から「洛陽因幡堂(らくよういなばどう)の薬師如来に祈るように」とのお告げをうけます。因幡堂とは、現在の京都市下京区にある因幡堂平等寺のことで、因幡薬師の名で親しまれている寺院です。後白河上皇が因幡堂に参詣すると、夢の中で「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶だったが、仏道修行の途中でその功徳により天皇に生まれ変わった。しかしその蓮華坊の髑髏(どくろ)は、今も岩田川(現在の和歌山県南部にある富田川)の底に沈みその目から柳が生えており、風が吹くと髑髏が動き、それが上皇の頭痛の原因となっているのである」と薬師如来に告げられます。上皇が調べさせると、その言葉通りに髑髏があったため、その髑髏を三十三間堂の千手観音像に納め、柳の木を梁に使用したところ、上皇の頭痛が治ったという伝承がのこっています。
正式名称の「蓮華王院本堂」は、お告げに登場する僧侶・蓮華坊から取ったもので、この伝承により三十三間堂は「頭痛封じの寺」として崇敬を受け、「頭痛山平癒寺(ずつうざんへいゆじ)」という俗称で呼ぶ者も多かったそうで、現在も毎年1月15日に近い日曜日に行われている「楊枝のお加持(やなぎのおかじ)」の法要は諸病、特に頭痛に効くといわれています。
建立事業にあたったのは、当時隆盛を極めていた平清盛(たいらのきよもり)で、創建当時は朱塗りの外装に極彩色の内装がほどこされたたいへん鮮やかな姿だったそうですが、鎌倉時代の建長元年(1249年)に焼失しました。第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が上皇として政務を担っていた文永3年(1266年)に再建され、その後室町期には室町幕府第6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)により、本格的な修復が行われています。
安土桃山時代になると、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が三十三間堂の北隣に「大仏殿方広寺(だいぶつでんほうこうじ)」を造営し、三十三間堂は後白河院の御陵までもその境内に取り込み、築地塀(ついじべい、現在の太閤塀(たいこうべい))などが整備されました。豊臣家滅亡後は方広寺とともに、秀吉とゆかりの深い妙法院の管理下になります。江戸時代後期の寛政10年(1798年)に方広寺大仏殿への落雷による火事で方広寺伽藍がほぼ焼失しましたが、三十三間堂はかろうじて延焼を逃れました。そのおかげで三十三間堂は、今も往時の姿がのこっています。

三十三間堂では、「大悲殿(だいひでん)」の御朱印をいただくことができます。
令和8年(2026年)5月の参拝時に私がいただいた御朱印は、右側から「奉拝」「参拝日」「大悲殿」「蓮華王院」と墨書きされ、右上に「洛陽十七番蓮華王院」、中央に「寺紋」、左側には「三十三間堂」の朱印がおされるデザインでした。

人々の苦しみを救う広大な慈悲を持つ観音菩薩を安置するお堂を意味する「大悲殿」は、観音霊場の御朱印によく使用される名称で、この御朱印では三十三間堂のことを意味します。現在の三十三間堂は、文永3年(1266年)に再建された和様の入母屋・本瓦葺きの総檜造り、地上16m・奥行22m・南北120mという長大なお堂で、国宝に指定される貴重な建造物です。

三十三間堂の内部には、中央にある中尊の十一面千手観音菩薩を中心に左右に各500体ずつ、合計1,001体の像が安置され、こちらもすべてが国宝に指定されています。千手観音は「千の手と千の眼」であらゆる人々を救う存在とされ、数多くの像を並べることで、観音の無限の慈悲を視覚的に表現するという意図がありました。また、中尊を中心に無数の観音が人々を守護するという象徴的な意味もあります。
並び立つ観音像は、見る角度によって表情が異なるともいわれ、参拝者はその中に自分と縁のある像を見出すと良いともいわれています。現存の像の多くは、建長元年(1249年)の火災後に鎌倉時代の仏師たちによって再建されたもので、日本仏像彫刻の傑作として高く評価されています。
堂内にずらっと並ぶ観音様は壮観で、厳かな空気を感じながらの参拝は、心が引き締まるような、でもとても穏やかな気持ちになる不思議な時間でした。
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「洛陽三十三所観音霊場」とは、京都市内にある観音菩薩を祀る代表的な33の寺院の巡礼で、日本でもっとも歴史が古い霊場巡礼とされる「西国三十三所(さいごくさんじゅうさんしょ)」が広域にわたるため巡拝が困難な人のために、平安時代に後白河法皇(ごしらかわほうほう)が定めたのが始まりと伝わっています。明治時代の廃仏毀釈で中断されていましたが、平成17年(2005年)に再興されました。
※洛陽三十三所観音霊場に関して、以下リンクの記事で詳しく紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】「洛陽三十三所観音巡礼」でいただく観音菩薩とご縁を結ぶ御朱印
三十三間堂は、洛陽三十三所観音霊場の17番札所になっていて、私が令和3年(2021年)に参拝した際には洛陽三十三所観音霊場公式の納経帖に御朱印を書き入れていただきました。この時は洛陽三十三所観音霊場再興15周年にあたり、左上に「再興十五周年」の朱印を特別におしていただけました。

たくさんの寺院がある京都市内でも、1,001体もの千手観音像が安置される巨大な三十三間堂は唯一無二の存在であり、たくさんの観音様とご縁をいただくことができた特別な参拝体験の思い出を御朱印に刻むことができました。
なお、三十三間堂では、通常期はご紹介した「大悲殿」の御朱印の1種類のみの授与ですが、毎年1月に行われる「楊枝のお加持」の際や、3月3日の桃の節句に行われる「春桃会(もものほうえ)」などの行事にあわせて、限定の御朱印が授与されることもあります。これらの御朱印は期間・数量限定での授与なので、拝受を希望される場合は三十三間堂の公式ホームページ・SNSなどで事前に情報を確認しておくのがおすすめです。
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圧倒的な存在感を誇る三十三間堂ですが、お堂の周囲にも見どころがいくつもありますので、じっくりと散策してみてください。
お堂の東側には「昭和の小堀遠州」と称えられた作庭家・中根金作(なかねきんさく)が手掛けた池泉回遊式庭園があります。


三十三間堂の南大門に接する築地塀は、豊臣秀吉が大仏殿方広寺を造営した際に作られたもので、重要文化財に指定されています。軒平瓦に「太閤桐」の文様が使用されていることから、「太閤塀」と呼ばれています。太閤塀は、高さ5.2m・長さ92mにも及び、豊臣家ゆかりの絢爛豪華な桃山文化の気風を垣間見ることのできる貴重な史跡ですので、三十三間堂を訪れた際にはぜひご注目ください。

三十三間堂は、後白河上皇の縁より創建され、鎌倉時代再建の建造物・仏像を現代に受け継ぐ貴重な遺跡です。大悲殿の御朱印には、壮大なスケールの観音様の慈悲が込められています。堂内には国宝の風神雷神像・観音二十八部衆像なども安置されており、まさに名品の宝庫であり、周囲には多くの貴重な文化財が展示されている京都国立博物館、豊臣秀吉ゆかりの豊国神社、後白河法皇ゆかりの法住寺などもあり、京都屈指の歴史散策エリアになっています。京都での寺社巡り・御朱印巡りの際には三十三間堂にもぜひお立ち寄りください。
※豊国神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】京都府「豊国神社」の豊臣秀吉ゆかりの馬印「ひょうたん」と家紋「五七桐」の御朱印
ライター: iroha
京都市在住で副業ライターとして活動してます。仕事の合間をぬって京歩き・御朱印集めをする中で、ますます京都が好きになっていき、京都検定2級にも合格しました。歴史ある御朱印や可愛くて素敵な御朱印などをたくさん紹介できればと思っています。
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京都府京都市東山区にある「六波羅蜜寺」は、「市の聖」と大衆に慕われた「空也上人」によって開創された京都でも屈指の観音霊場です。空也上人ゆかりの御本尊・十一面観音の御朱印や空也上人像が描かれる御朱印など、墨書きが美しい多様な御朱印が授与されています。
愛知県三河地方の知立市にある「遍照院」、刈谷市にある「西福寺」「密蔵院」は、弘法大師空海の伝説がのこる寺院で「三河三弘法」と呼ばれています。3ヶ寺それぞれで弘法大師空海がお手彫りしたと伝わる座像にまつわる伝説を表した御朱印をいただくことができます。
山口県下関市にある「赤間神宮」は、平安時代末期の壇ノ浦の戦いの際に8歳で亡くなった安徳天皇を祀る神社です。安徳天皇を象徴する、天皇家ゆかりの菊の御紋が印象的な御朱印をいただくことができます。
島根県津和野町にある「太鼓谷稲成神社」は、日本五大稲荷の一つに数えられ、千本鳥居は山陰の小京都・津和野を代表する景観として知られています。願望成就から名付けられた日本で唯一の「稲成」の御朱印をいただくことができます。