
- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
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京都府京都市東山区の「豊国神社」は天下人・豊臣秀吉を祀る神社で、出世・開運の御神徳で広く信仰されています。御朱印には秀吉の馬印「ひょうたん」と家紋「五七桐」が記され、所蔵する刀剣「骨喰藤四郎」をモチーフにしたアート御朱印など限定御朱印が授与されていることでも話題になっています。
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目次
京都府京都市東山区にある「豊国神社(とよくにじんじゃ)」は、戦国時代に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉(とよとみひでよし)を祀るために、秀吉が亡くなった翌年の慶長4年(1599年)に創建された神社です。
秀吉の遺言に従って東山の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、朝廷より「正一位豊国大明神(しょういちいとよくにだいみょうじん)」の神号を下賜されます。そして阿弥陀ヶ峰中腹に秀吉を祀る社殿が建てられ、これが豊国神社の始まりとなりました。
当時の境内は30万坪にも及ぶ広大なもので、80余りの廟社殿が建てられていたそうで、その様子は秀吉の7回忌に行われた祭礼の様子を描いた「豊国祭礼図屏風(ほうこくさいれいずびょうぶ)」によって知ることができます。
しかし、壮麗な社殿は豊臣家滅亡とともに徳川幕府により破壊され、秀吉の神号もはく奪されました。秀吉の正室・高台院の願いにより社殿は残されましたが、修理をすることも許されずに朽ち果てるままとなります。
徳川幕府が健在の間は豊国神社の再興を許されることはなく、明治元年(1868年)の明治天皇の命を待たなければなりませんでした。明治6年(1873年)に別格官弊社(べっかくかんぺいしゃ:国や皇室からお供物などを奉られる格式の高い神社)に列せられた豊国神社は、同13年(1880年)に方広寺(ほうこうじ)の大仏殿跡地に社殿を造営し、阿弥陀ヶ峰より御祭神を遷座しました。大正14年(1925年)には、高台院を祀る貞照神社(ていしょうじんじゃ)も創祀されています。
豊国神社の一番の見どころは、国宝に指定されている壮麗な唐門(からもん)です。本殿正面に立つ四脚門で、桃山時代の建築様式を代表する建造物のひとつです。旧伏見城から南禅寺金地院(なんぜんじこんちいん)に移築されたものが更に移されたと伝わっています。
唐門奥の拝殿と本殿には通常時は入ることができず、お正月三が日のみ本殿前まで行くことができます。
扁額は後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の宸筆「豊国大明神」で、欄間の「飛び鶴」は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作といわれています。飛び鶴は目が彫られておらず、目を入れると飛び去ってしまうかのような見事な出来栄えであったことからあえて目を彫らなかったといわれていて、「目無し鶴」とも呼ばれています。
豊国神社の通常御朱印は、豊臣秀吉の関白印(関白が使用する印鑑)に刻まれた言葉が墨書きされるのが特徴です。
右に「奉拝」、左に「参拝日」、そして中央には右から「壽比南山(しょうひなんざん)」「関白(かんぱく)」「福如東海(ふくにょとうかい)」と墨書きされています。中央には上から豊臣家の家紋である「五七桐(ごしちきり)」「出世開運豊国神社」と「登よ國のやしろ(とよくにのやしろ)」という言葉の入ったひょうたんの朱印がおされるデザインです。
秀吉はひょうたんを馬印としていました。美濃の稲葉山城攻略において、ひょうたんを合図として利用し、攻撃が成功したことに由来しているそうです。この功により当時の主君・織田信長(おだのぶなが)から馬印を許された秀吉が、勝利を得るごとにひょうたんの数を増やして「千と成さん」としたことから秀吉の馬印は「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」と呼ばれ、ひょうたんが縁起の良いものとされる理由のひとつともなっています。
墨書きの「壽比南山 福如東海」という言葉は、「寿命も福も共に仙人と同じように永く多かれ」というたいへん縁起の良い意味があり、朱印に「出世開運」と記されていることも含め、秀吉が天下人へとのぼりつめた御神徳をより身近に感じることができる御朱印だと思います。
豊国神社は、鎌倉時代の名刀工・粟田口藤四郎吉光(あわたぐちとうしろうよしみつ)が作った刀剣で、斬る真似をしただけで相手の骨が砕けたという言い伝えから「骨喰(ほねばみ)」と名付けられた刀剣「骨喰藤四郎」を所蔵していることから、この刀剣をモチーフにした特別御朱印も授与されています。私が令和7年(2025年)5月に参拝したときには、豊国神社オリジナルと京都刀剣めぐりデザインの骨喰藤四郎御朱印がありましたが、今回は京都刀剣めぐりの御朱印を選びました。
藤の花とひょうたんと刀身があしらわれた紫のグラデーションを背景に、中央に「骨喰藤四郎」の墨書きと「豊国神社」の朱印、左に「参拝日」、右には紫の豊臣家の家紋「五七桐」と銀の箔押しで「京都刀剣御朱印めぐり十周年」と記されるデザインです。
京都刀剣めぐりは、名刀にゆかりのある京都の藤森神社(ふじのもりじんじゃ)、粟田神社(あわたじんじゃ)、建勲神社(たけいさおじんじゃ)と豊国神社の4社をめぐって御朱印をいただく不定期イベントで、令和7年(2025年)で10周年を迎えます。毎回デザインが変わる刀剣をモチーフにした美しく魅力的な御朱印が授与されるので、刀剣ファンはもちろん、御朱印めぐり好きの人にも人気があるイベントです。
※藤森神社と粟田神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】京都府「藤森神社」の学問・勝運・馬の神様の多種多彩な御朱印
【御朱印情報】京都府「粟田神社」の京の七口「粟田口」の歴史と名刀工にまつわる御朱印
私は以前の令和3年(2021年)のコロナ禍がまだ収束しておらず、京都を訪れる人も少なくなっている時期に、しっかりと感染対策を行ったうえで豊国神社を参拝し、その際に疫病退散の願いが込められた限定の御朱印をいただきました。
中央に「豊國神社」の墨書き、「五七桐」家紋と「豊國神社」の紫の印、左に「参拝日」、右には「奉拝」の墨書きと「疫病退散」と疫病除けの妖怪とされる「あまびえ」が紫の印でおされるデザインでした。
このように、豊国神社では期間限定のいろいろなアート御朱印が授与されています。令和7年に私が参拝した際には、美しい切り絵タイプの骨喰藤四郎御朱印や、令和7年限定の貞照神社御鎮座100年記念御朱印もラインナップされていました。
豊国神社を参拝した際には、どのようなデザインの御朱印が授与されているか、ぜひチェックして、お気に入りの御朱印を見つけてみてください。
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現在の豊国神社北隣にある方広寺は、天正14年(1586年)に秀吉が建立した寺院です。
奈良東大寺の大仏に匹敵する大仏を安置した大仏殿が建造されましたが、文禄5年(1596年)の地震で倒壊しました。秀吉の死後、息子・秀頼(ひでより)と側室で秀頼の母である淀殿(よどどの)が復興させますが、寛文2年(1662年)の地震で再び倒壊し、その後大仏も破壊されました。天保14年(1843年)に尾張の有志が半身の木像大仏を寄進しましたが、これも昭和48年(1973年)に大仏殿と共に焼失しています。
方広寺境内には、秀吉の死後に秀頼と淀殿によって作られた「国家安康 君臣豊楽(こっかあんこう くんしんほうらく)」という銘文が刻まれている梵鐘がのこっています。「臣豊と豊臣家を表す文字が続いているのに対して、家と康の間に安を入れ家康の文字を分断しているのは悪意があり呪詛に違いない」と徳川家康が激怒し、その後の大阪の陣や豊臣家滅亡のきっかけのひとつになったといわれている、歴史的な意義が大きい梵鐘ですので、ぜひご覧になってみてください。
豊国神社は豊臣秀吉の偉業の息吹をそこここに感じることができる貴重な史跡であり、縁起の良いひょうたんの絵馬や千成瓢箪のお守りなど、出世開運や厄除招福の御神徳をいただける神社として、たくさんの人が参拝に訪れています。境内のあちこちにひょうたんをモチーフにした造作物があるので探してみるのも楽しいと思います。ひょうたんがデザインされた御朱印や美しい限定御朱印が授与されている豊国神社で、ぜひお気に入りの御朱印を見つけてみてください。
※同じく豊臣秀吉を祀る大阪府・大阪城豊國神社、愛知県・豊国神社、広島県・豊国神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】大阪府「大阪城豊國神社」の豊臣秀吉ゆかりの出世開運の多種多様な御朱印
【御朱印情報】愛知県「豊国神社」の「豊臣秀吉公生誕之地」と記される御朱印
【御朱印情報】広島県「豊国神社」の豊臣家紋と宮島しゃもじがデザインされた御朱印
ライター: iroha
京都市在住で副業ライターとして活動してます。仕事の合間をぬって京歩き・御朱印集めをする中で、ますます京都が好きになっていき、京都検定2級にも合格しました。歴史ある御朱印や可愛くて素敵な御朱印などをたくさん紹介できればと思っています。
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