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【御朱印情報】大阪府「安倍晴明神社」の五芒星が印象的な御朱印

大阪市阿倍野区にある「安倍晴明神社」は、平安時代の陰陽師である「安倍晴明」を祀る神社で、晴明生誕の伝説がのこっています。五芒星の印が印象的な伝統的な御朱印をいただくことができます。

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陰陽師「安倍晴明」を祀る「安倍晴明神社」

大阪市阿倍野区にある「安倍晴明神社(あべのせいめいじんじゃ)」は、50mほど離れた場所にある「阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)」の飛び地境内社です。

 

安倍晴明神社の御祭神は、平安時代の有名な陰陽師である「安倍晴明(あべのせいめい)」です。安倍晴明は延喜21年(921年)に生まれといわれていますが、社伝「晴明宮御社伝書」では天慶7年(944年)にこの地で生まれたとされています。
晴明の死去から2年後の寛弘4年(1007年)に花山法皇(かざんほうおう)の命により、この地に神社が創建されました。花山法王は寛和2年(986年)6月22日、19歳のときに宮中を出て剃髪し、仏門に入り退位した天皇です。花山法皇の出家騒動は宮中の権力争いも絡んでいるため、「寛和の変(かんなのへん)」とも呼ばれています。家臣の藤原兼家(ふじわらのかねいえ)に導かれて内裏を抜け出し、安倍晴明の屋敷前を通過した際、「帝が退位なさるとの天変があった。式神一人、内裏へ参れ」という声が屋敷の中から聞こえ、目に見えない何かが晴明の家の戸を開けて出てきて「たったいま当の天皇が家の前を通り過ぎて行きました」と答えた、という逸話が残っています。

安倍晴明神社_鳥居
安倍晴明神社が鎮座する場所は、安倍晴明生誕伝承地のひとつです。

 

安倍晴明の出身地については諸説あり、阿倍野もそのうちのひとつで、安倍晴明は阿倍野の豪族だった安倍保名(あべのやすな)と「葛の葉(くずのは)」と名乗る白狐の間に生まれたという「葛の葉伝説」が残っています。
あるとき、家名の復興を願って信太大明神(現在の信太森葛葉稲荷神社)に参拝した安倍保名が、猟師に追われていた白狐をかくまって逃がしたことを猟師にとがめられて打ちのめされました。川で傷を洗っていたところに「葛の葉」と名乗る美しい娘が現れ、優しく介抱してくれた葛の葉を連れて阿倍野へ戻りました。二人は結ばれて「童子丸」という子供を授かりますが、数年後に童子丸に狐の姿を見られてしまい、葛の葉の正体が安倍保名に助けられた白狐であることが発覚しました。狐であることを知られては一緒に暮らすことはできないため、葛の葉は童子丸を置いて信太の森へ帰りました。このとき、葛の葉が障子に書き残した「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」という歌がよく知られています。

安倍晴明神社_安倍晴明像_葛の葉伝説
境内にある安倍晴明の銅像には足元に寄り添うように狐の像があり、「葛の葉伝説」を思い起こさせます。

 

安倍晴明は讃岐(現在の香川県)生まれという説もあります。香川県高松市にある冠纓神社(かんえいじんじゃ)で神主をしていたともいわれ、冠纓神社でも五芒星の印が入った御朱印がいただけます。
※冠纓神社の御朱印に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

陰陽師・安倍晴明ゆかりの香川県「冠纓神社」のカラフルな御朱印

 

安倍晴明は映画や漫画などさまざまな作品に登場しているためエリートなイメージがありますが、実は陰陽師としてはかなりの遅咲きです。幼い頃から陰陽師の名門である賀茂家で賀茂忠行・保憲父子から陰陽道を学び、天文道を伝授されていましたが、40歳のときにようやく陰陽寮で天文道を学ぶ「天文得業生」になり、翌年に陰陽師として官職を得ました。
出世は遅かったですが花山法皇や一条天皇、藤原道長など朝廷の重要人物から信頼を集め、さまざまな占いや陰陽道の儀式を行っていることが道長の日記「御堂関白記」や平安時代の公卿・藤原実資の日記「小右記」などの記録にも残っています。

 

 

五芒星が印象的な御朱印

安倍晴明神社では、印と墨書きのみの伝統的な御朱印がいただけます。印は「安倍晴明生誕伝承地」、社紋の「五芒星(ごぼうせい)」、「安倍晴明神社」の3種類で、墨書きは「安倍晴明神社」と日付です。

安倍晴明神社_御朱印
「五芒星」は安倍晴明のシンボルとして有名です。

 

五芒星は安倍晴明のシンボルマークというイメージが強く、「晴明九字(せいめいくじ)」や「晴明桔梗(せいめいききょう)」という呼び名もありますが、もともと魔除けの紋として世界中で使用されていた紋様です。確認できる最古のものは3000年前のメソポタミア文明の頃にさかのぼるといわれています。
五芒星は陰陽道で重要な五行思想にも取り入れられていて、星形の5つの角がそれぞれ五行の要素(木・火・土・金・水)を表しています。星の頂点が木で右回りに火・土・金・水という配置になります。陰陽道において万物はこの5つの要素でできていると考えられていて、木は土に克ち、土は水に克ち、水は火に克ち、火は金に克ち、金は木に克ちという「五行相克説(ごぎょうそうこくせつ)」や、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生みという「五行相生説(ごぎょうそうしょうせつ)」という考え方が有名です。

 

 

 

 

九十九王子のひとつ「阿部王子神社」

安倍晴明神社は阿部王子神社の境内社であるため、御朱印は阿部王子神社の社務所で対応しています。

 

阿部王子神社は、平安時代に盛んになった和歌山県の熊野大社に参詣する「熊野詣(くまのもうで)」との関連が深いです。大阪から熊野を目指す道中に熊野権現の分霊を祀った「九十九王子(きゅうじゅうきゅうおうじ)」と呼ばれる複数の王子社が整備され、巡礼することが慣習で、そのうちのひとつが阿部王子でした。
主に戦国時代の戦乱で多数の王子社は荒廃し、現在では大阪府内の九十九王子で唯一、旧地に現存している王子だとされています。
※九十九王子と関連が深い堀越神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】大阪府「堀越神社」の長い歴史を感じる「浪華茶臼山」の御朱印

 

 

阿倍野は安倍晴明の誕生伝説が残る場所のひとつで、安倍晴明神社の境内には産湯の井戸の跡なども残っています。
平安時代の歴史文化の痕跡を色濃くのこす阿部王子神社もあわせて参拝して、安倍晴明を象徴する五芒星の御朱印をいただいてみてください。

 

 

 

 

ライター:kanakana
神社仏閣・御朱印ブロガー。徳島県を中心に四国や淡路島で神社仏閣巡りを楽しむ御朱印ガールで、年間300体以上の御朱印を拝受しています。御朱印を通じて神社仏閣の魅力をご紹介します。

 

 

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