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【御朱印情報】東京都「愛宕神社」の「伏火之総本社」と記される防火の祈りが伝わる御朱印

東京都港区にある「愛宕神社」は、江戸時代の初めに徳川家康の命により創建された神社で、火伏せ(防火)の神様として広く知られています。「伏火之総本社」と墨書きされる御朱印からは、江戸の街を火災から守ろうとした人々の祈りが感じられます。

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「日本三代愛宕」のひとつとして知られる東京の「愛宕神社」

東京都港区にある「愛宕神社(あたごじんじゃ)」は、都心の高層ビルに囲まれた、標高およそ26mの愛宕山(あたごやま)の山頂に鎮座しています。

 

慶長8年(1603年)、江戸幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす)の命により、防火の神様として愛宕神社が創建されました。慶長15年(1610年)には、将軍家の寄進によって社殿や仁王門などが建立され、祭礼には資金援助が与えられるなど、幕府からの信仰は篤いものでした。

 

その後、江戸の大火災により社殿は全焼しましたが、明治10年(1877年)には本殿、幣殿、拝殿、社務所が再建されました。さらに大正12年(1923年)の関東大震災、昭和20年(1945年)の東京大空襲でも社殿は焼失し、末社の太郎坊神社を残すのみとなりましたが、昭和33年(1958年)に氏子の皆さんの寄付により、本殿・幣殿・拝殿などが再建され、現在に至っています。

愛宕神社_社殿
主祭神・火産霊尊(ほむすびのみこと)を祀る社殿に掲げられた三つ葉葵の徳川家の紋が、神社の歴史を物語っています。

 

愛宕神社は全国に約900社あるといわれ、総本社である京都府京都市右京区の愛宕神社(あたごじんじゃ)、福岡市で最も古いと伝わる福岡県福岡市西区の鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ)とともに、東京の愛宕神社は「日本三大愛宕」のひとつに数えられています。
※鷲尾愛宕神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】福岡県「鷲尾愛宕神社」の「日本三大愛宕」の御朱印

 

 

「伏火之総本社」と記される御朱印

愛宕神社の御朱印は、「芝 愛宕山」「愛宕神社」の朱印に、「伏火之総本社」「日付」「奉拝」の墨書きが入るデザインです。初穂料は500円で、社務所にて9時から16時まで御朱印帳に書き入れをしていただけます。
御朱印をいただく際は、受付で御朱印帳を預け、番号札を受け取ります。書き入れが終わると、神職さんから番号で呼ばれて御朱印帳を受け取るという流れです。私が訪れた際は、受付から10分ほどで授与していただけました。

愛宕神社_御朱印
シンプルなデザインの中に、神社の立地や歴史、街の人の想いが詰まった愛宕神社の御朱印です。

 

御朱印のデザインはシンプルながら、日付には旧暦で用いられる和風月名「如月」が書き入れられており、季節の趣が感じられます。また、朱印に記された「芝 愛宕山」は、自然の地形としては東京23区内で一番高い山です。かつては江戸の街と海が眼下に広がり、浮世絵などにも描かれる名所であったことを彷彿とさせます。

 

主祭神として祀られている火産霊尊は、防火・火難除けのご利益がある神様として信仰されています。
江戸は、木造家屋が密集し火災が絶えなかったことから、「家事と喧嘩は江戸の華」ともいわれるほど、常に火の脅威と隣り合わせの街でした。そのような背景の中、徳川家康の命により、愛宕山の地に防火の神を祀る神社が創建され、人々の信仰を集めてきました。
「伏火之総本社」と丁寧に墨書きされた御朱印からは、江戸の人々の祈りが伝わるような気がします。

 

 

 

 

出世運を願ってのぼる「出世の石段」

愛宕神社といえば、入口の大鳥居から境内へ続く、見上げるほど急な階段が有名です。この石段は「出世の石段」と呼ばれ、江戸時代の武士の逸話が伝えられています。

 

寛永11年(1634年)、三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が芝の増上寺(ぞうじょうじ)へ参詣された帰り道、愛宕神社の麓を通りかかりました。ちょうどその頃、愛宕山の梅が見事に咲き誇っており、家光はその景色に目をとめ、「誰か、馬で梅を取ってまいれ」と命じました。しかし、愛宕神社の石段は急勾配なので、家臣たちは誰も挑もうとせず、沈黙が流れます。将軍の機嫌が悪くなる中、ひとり馬で石段を駆け上がった者がいました。それが、四国丸亀藩の家臣・曲垣平九郎(まがきへいくろう)です。
平九郎は見事に馬で石段をのぼり、山上の梅を手折って将軍のもとへ献上しました。馬に乗ったまま石段をおりると、家光は「泰平の世にもかかわらず、馬術の鍛錬を怠らぬこと、まことにあっぱれ」と称賛し、平九郎を「日本一の馬術の名人」と讃えたと伝わっています。

 

勇気と馬術を讃えられた平九郎の名は講談でも語り継がれ、全国に知られるようになりました。そして、この逸話にちなんで、現在も愛宕神社の正面の石段(通称:男坂)は「出世の石段」と呼ばれ、出世や成功を願う人々がこの石段をのぼり、参拝に訪れています。

愛宕神社_出世の石段
大鳥居の先にそびえる出世の石段に人々が願いを込めてのぼります。
愛宕神社_出世の石段_急勾配
出世の石段を上から見ると、のぼってきたとき以上に角度を感じました。

 

実際に石段をのぼってみて「こんな急な石段を本当に馬がのぼれるのか」と疑問に思いましたが、江戸時代以降にもこの石段を馬でのぼりおりする挑戦が行われ、成功した例もあったといいます。

 

出世の石段は、今では出世や成功を願う人々にとっての“力強い一歩”として、多くの参拝者に親しまれています。愛宕神社を訪れた際は、平九郎の勇気に思いを馳せながら、この出世の石段をのぼってみてはいかがでしょうか。

 

 

オフィス街に佇む安らぎ空間

境内には、猿田彦神(さるたひこのかみ)を祀る太郎坊神社(たろうぼうじんじゃ)、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)を祀る福寿稲荷社(ふくじゅいなりしゃ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀る大黒天社(だいこくてんしゃ)、そして市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る弁財天社(べんざいてんしゃ)の4社の末社があります。

 

愛宕神社ではこうした末社も含め、全体として「防火・防災」のほか、「印刷・コンピュータ関連」「商売繁昌」「恋愛・結婚・縁結び」など、さまざまなご利益があるといわれています。
また、都心のオフィス街に位置していることから、昼休みには近隣で働く人が休憩がてらに訪れていて、気軽に参拝できる神社としても親しまれています。

愛宕神社_弁財天社
弁財天社の近くには「児盤水(小判水)の滝」と呼ばれる滝が流れており、金色に塗られた鳥居が建っていました。
愛宕神社_梅
私が参拝した2月には、社殿の周りに梅の花がほころび始めていました。

 

 

徳川家康の命により創建され、防火の神として江戸の街を守り、出世や成功を願う人々の信仰を集めてきた愛宕神社。都心のオフィス街にありながら、境内には四季の移ろいが感じられ、働く人々の心を癒す空間でもあります。出世の石段をのぼり、心静かに参拝した後は、歴史と季節の趣を感じながら、丁寧に墨書きされる御朱印をいただいてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

ライター:nakamuraya
旅好きな観光ガイド・WEBライター。書くことと話すこと、両方の言葉の力で、日本の魅力を国内外の人々に伝える活動をしています。初めての一人旅で京都を訪れて以来、神社仏閣に興味を持ち、御朱印の奥深さにも惹かれました。日本の歴史や文化に深く関心を抱き、伝統や美しさを巡る旅を楽しんでいます。

 

 

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