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【御朱印情報】埼玉県「喜多院」の厄除けの願いが込められた「川越大師」の御朱印

埼玉県川越市にある「喜多院」は、関東における天台宗の本山として広く信仰をあつめている寺院です。厄除けの願いが込められた「川越大師」の御朱印のほか、「小江戸川越七福神 大黒天」と「関東三十六不動尊霊場 川越大師不動尊」の御朱印が授与されています。

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関東における天台宗の本山「喜多院」

埼玉県川越市、江戸時代に「小江戸」と呼ばれて栄えた土蔵造りの商家の街並みを現代に受け継ぐ「蔵造りの町並み」の一角にある「喜多院(きたいん)」は、正式には「星野山無量寿寺喜多院(せいやさんむりょうじゅじきたいん)」と称する天台宗の寺院です。「厄除けのお大師さま 川越大師」として広く信仰をあつめ、埼玉県の初詣参拝者数ランキングでは毎年5位以内に入るほどで、常にたくさんの人が参拝に訪れています。

 

奈良時代の天長7年(830年)に第53代・淳和天皇(じゅんなてんのう)の命により、天台宗総本山「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」の高僧・慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が不動明王などを祀り、無量寿寺として創建しました。その後、戦火などで荒廃しましたが、鎌倉時代後期に慈恵大師(じえだいし)を祀り再興し、東国の天台宗580ヶ寺の本山の地位が与えられました。
しかし、戦国時代に北条氏と扇谷上杉氏が争った「河越(川越の旧名)の戦い」で炎上し、衰退してしまいます。慶長4年(1599年)に天海大僧正(てんかいだいそうじょう、慈眼大師(じげんだいし))が第27代住職に就任し、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の命により、堂宇が再建され、寺号を「喜多院」に改め、関東における天台宗の本山と定められました。寛永15年(1638年)の川越大火により、山門を除く堂宇は焼失しましたが、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の命により、江戸城紅葉山御殿の一部を移築し、他の建物も再建され、現在に至っています。

喜多院_山門
川越大火での焼失を免れた喜多院最古の建造物である山門は、寛永9年(1632年)建立当時の姿を現代に留めています。
喜多院_本堂
喜多院の本堂には、御本尊・慈恵大師と、如意輪観音・不動明王が祀られていて、慈恵大師堂とも呼ばれています。

 

喜多院の再興に尽力した天海大僧正(慈眼大師)は、現在の福島県会津地方で生まれ、比叡山延暦寺などで修業した高僧で、喜多院の住職となって以降、江戸幕府初代将軍・徳川家康の絶大な信頼を受け側近となり、2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)、3代将軍・徳川家光にも仕えます。江戸時代初期に朝廷との交渉役や、江戸の街の都市計画、東国の宗教政策など、他分野において幕府に深く関与し貢献したことから、死後に朝廷より慈眼大師の称号を送られました。

喜多院_慈眼堂
喜多院の境内には、徳川家光の命によって7世紀初頭のものと思われる古墳の上に建立された慈眼堂があり、天海大僧正の木像が安置されています。

 

 

厄除けの願いが込められた「川越大師」の御朱印

私が喜多院を参拝した令和8年(2026年)6月には、3種類の書置きタイプの御朱印が授与されていました。

 

基本の御朱印は、右上に「奉拝」、右下に「参拝日」、中央に「厄除 川越大師」、左側に「星野山 喜多院」の墨書き、右上に「星野山」、中央に「宝印」、左下に「喜多院」の朱印がおされるデザインで、本堂(慈恵大師堂)の中で拝受し、志納料は500円でした。

喜多院_御朱印
川が流れる様子を表しているかのような風流な書体が美しい喜多院の基本の御朱印です。

 

「厄除 川越大師」とは、喜多院の御本尊である慈恵大師のことを表しています。
慈恵大師は、良源(りょうげん)の名で平安時代に活躍した高僧で、天台宗総本山比叡山延暦寺第18代天台座主(天台宗の最高位)を務めました。延暦寺中興の祖とされ、朝廷の勅命により五大尊法(五大明王)の修法を行った際、不動明王の供養法を担当し、修法中の姿が不動明王のように見えたことから不動明王の化身ともいわれました。正月3日に亡くなったため「元三大師(がんざんだいし)」とも呼ばれ、その大きな功績により死後に朝廷より「慈恵」の諡号が送られました。
その後、厄除け・疫病除けの仏として信仰の対象となり、鎌倉時代に関東地方を中心に慈恵大師を祀る寺院が広がりました。

 

喜多院は、慈恵大師の霊験あらたかな「厄除けのお大師さま 川越大師」として現代でも広く信仰をあつめていて、「厄除 川越大師」と流れるような書体で記されるこの御朱印には、その強大なご利益が込められているように感じました。

 

 

「小江戸川越七福神 大黒天」と「関東三十六不動尊霊場 川越大師不動尊」の御朱印

他の2種類の御朱印は、基本の御朱印が授与されている本堂(慈恵大師堂)とは別の寺務所で拝受しました。

 

「小江戸川越七福神(こえどかわごえしちふくじん)の大黒天(だいこくてん)」の御朱印は、右上に「奉拝」、中央に「大黒天」、左側に「星野山 喜多院」の墨書き、右に「小江戸川越七福神」、中央に「宝珠の中に大黒天の梵字印」、左上に「参拝日」、左下に「喜多院」の朱印がおされるデザインで、志納料は300円でした。

喜多院_御朱印_大黒天
太く黒々とした墨書きが印象的な喜多院の小江戸川越七福神・大黒天の御朱印です。

 

大黒天は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身でインド密教に取り入られました。軍神・戦闘神、富貴爵禄の神で、仏教では財福の神として伝わり、日本では平安時代以降に食を司る台所の神としても崇められました。また、日本の神・大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合し、糧食・財宝を授かることができる神としても信仰されました。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られるとされています。日本における七福神信仰は、室町時代末期頃から庶民の間で広がりました。
川越の地域で7ヶ所の寺院を巡る「小江戸川越七福神」は昭和61年(1986年)から始まり、喜多院は大黒天を祀る第3番札所になっています。全7ヶ所を回ると約6kmの行程で、江戸時代の風情がのこる川越の町並みの観光とあわせて巡るのにちょうど良いコースになっています。年の初め、月の初めに巡ると特にご利益が大きいといわれ、1月の元日から7日、毎月1日がご縁日になっていて、喜多院では大黒天をたくさんの人が参拝しています。

喜多院_大黒天
大黒天を祀るお堂の脇には水琴窟があり、涼しげな音色を聞かせてくれます。

 

「関東三十六不動尊霊場 川越大師不動尊(かわごえだいしふどうそん)」の御朱印は、見開きサイズで、向かって右側に御朱印、左側にお札を貼る形態です。
見開き右側は、右上に「奉拝」、中央に「不動明王をあらわす梵字」「川越大師不動」、左側に「星野山 喜多院」の墨書き、右上に「関東三十六不動尊霊場第二十八番」、中央に「密教の鏡の中に不動明王の梵字印」、左上に「虚空蔵童子(こくうぞうどうじ)」、右下に「喜多院」の朱印がおされ、下部には寺院名・札所番号・不動尊名・郵便番号・住所・電場番号が印刷されているデザインです。見開き左側は、御本尊の川越大師不動尊の尊影図のお札と虚空蔵童子のお札を貼るようになっていて、志納料は300円でした。

喜多院_御朱印_川越大師不動尊
綴じ込み式の形状で、関東三十六不動尊霊場専用の納経帳に綴ることができるようになっている川越大師不動尊の御朱印です。

 

不動尊(不動明王)は、インド密教ではアチャラナータと呼ばれ、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名です。密教では大日如来(だいにちにょらい)の化身とも考えられていて、五大明王の中心として国の平和や厄除けなどにご利益のある仏で、「大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)」「お不動さん」「お不動様」などと呼ばれて、特に密教系の宗派で重要視されています。虚空蔵童子は、不動明王の眷属の三十六童子のひとりで、広大な宇宙(虚空)のような知恵と無限の慈悲で人々のあらゆる願いを受け止め、悟りへと導く存在として信仰されています。
関東三十六不動尊霊場は昭和62年(1987年)に開創された霊場巡礼で、神奈川県7寺、東京都19寺、埼玉県5寺、千葉県5寺の36ヶ所の不動明王を祀る寺院で構成されています。36の霊場数は、不動明王の眷属の三十六童子に由来していて、全国各地で同様の不動尊霊場巡礼が存在します。

 

私は、今回初めて小江戸川越七福神と関東三十六不動尊霊場の御朱印をいただき、両方とも墨書きやデザインが美しく特徴があって、全ての札所を巡拝して御朱印を集めてみたくなりました。

 

 

 

 

江戸城紅葉山御殿が移築された「客殿・書院・庫裏」と仏教日本三大羅漢「五百羅漢」

喜多院には有料拝観エリアがあり、貴重な文化財の内部に入って間近に見ることができます。

 

客殿・書院・庫裏は、江戸城紅葉山御殿の一部が移築されたものです。
客殿は入母屋造りで6室で構成され、その内の1室が上段の間で、江戸城にあった頃に徳川家光が生まれた部屋であることから「徳川家光公 誕生の間」と呼ばれています。また、湯殿(風呂)と厠(便所)も設けられています。
書院は4室あり、江戸城にあった頃には徳川家光の乳母であった春日局(かすがのつぼね)が使用しており「春日局化粧の間」と呼ばれています。
庫裏は母屋・食堂・玄関・広間から成り、現在は寺務所と客殿・書院拝観入口として使用されています。

喜多院_庫裡
庫裡は、本堂(慈恵大師堂)と廊下でつながっていて、不動護摩供以外の時間は本堂内部を間近で見ることができます。

 

庫裡を出て、山門の脇にある五百羅漢(ごひゃくらかん)は、お釈迦さまの教えを伝えるために集まった500人の高弟(阿羅漢)を象った仏像群のことで、喜多院では533体もの羅漢像が安置されています。一体一体違う表情をしていて、様々な仏具や日用品を持っていたり、動物を従えている羅漢もいます。
江戸時代中期の天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の約50年にわたって制作されたもので、文化的な価値も非常に高く評価され、栃木県足利市にある徳蔵寺(とくぞうじ)、神奈川県鎌倉市にある建長寺(けんちょうじ)の五百羅漢と並び、仏教日本三大羅漢のひとつに数えられている貴重な文化財です。
※建長寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】神奈川県「建長寺」の禅の名刹「天下禅林」の信仰や歴史が刻まれた多種多様な御朱印

 

喜多院_五百羅漢
五百羅漢の表情やいでたちを観察していると時がたつのを忘れてしまいます。

 

喜多院を訪れた際には、広大な境内にある歴史的な文化財をじっくりと拝観されるのがおすすめです。

 

 

喜多院は、平安時代に創建され、幾多の戦乱・火災に見舞われながらも、「厄除けのお大師さま 川越大師」として今なお広く信仰をあつめている寺院です。風流な墨書きが美しい御朱印には、厄を跳ね返す川越大師の強大な力が込められているように感じました。現代の喧騒から切り離され厳かで静謐な空気を感じる境内で心静かに参拝・御朱印拝受すれば、気持ちをリセットして新たな一歩を踏み出すことができることでしょう。

 

 

 

 

ライター:民蔵
埼玉県在住、歴史関係が好きで古銭の収集や神社仏閣・城郭・博物館などの見学をライフワークにしています。寺社を見学するついでにと思って御朱印をいただき始めましたが、御朱印に記載された内容の意味がわかってくるともっと知りたくなりました。御朱印に込められた思いを、現地の空気感も含めてご紹介できればと思っています。

 

 

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