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埼玉県秩父市にある「三峯神社」は、聖山「三峰山」の信仰の中心として崇められてきた古社です。「本社」と「奥宮」の2種類の御朱印には、山岳信仰を象徴する「登拝」と記され、狼を守護とする独自の信仰の姿や神仏習合の信仰の歴史が表されています。
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目次
埼玉県秩父市、三峰山(みつみねさん)の標高約1,100m地点にある「三峯神社(みつみねじんじゃ)」は、古代より神仏習合の山岳信仰の聖地として崇拝されてきた神社です。秩父神社(ちちぶじんじゃ)、寶登山神社(ほどさんじんじゃ)と並び、秩父地域の信仰の中心的な存在である古社「秩父三社(ちちぶさんじゃ)」の1社として、地域の人々からあつい信仰をあつめています。
※寶登山神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】埼玉県「寳登山神社」の日本武尊にまつわる伝説や寳登山の自然美が表現された御朱印
三峰山とは、「雲取山(くもとりやま)」「白岩山(しらいわやま)」「妙法ヶ岳(みょうほうがたけ)」の3つの山の総称で、古くから神聖な山として崇められてきました。日本最古の歴史書「古事記」「日本書紀」において、第12代・ 景行天皇(けいこうてんのう)が東国を巡幸された際に三峰山に登り、三山が高く美しく連なることから「三峯の宮」という称号を授けたことが社名の由来とされています。飛鳥時代には、修験道を広めた役小角(えんのおづぬ)が修行したと伝わっています。
平安時代には、真言宗の開祖・弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が三峯神社に十一面観音像を安置したことで仏教との結びつきが深まりました。こうして徐々に仏教色を増し、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。鎌倉時代から江戸時代にかけては、「三峯山観音院」という寺号を持ち、本山派修験道の関東における重要な修行場となり、神社でありながら寺院のような荘厳な建築や文化が育まれました。明治時代の神仏分離により神社としての姿となりましたが、境内の随所に残る精巧な彫刻や極彩色の色彩には、神仏習合時代の華麗な装飾文化が息づいています。この重厚な歴史が、訪れる参拝者に唯一無二の神秘性を感じさせる理由となっています 。

三峯神社の本社には、主祭神として伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉册尊(いざなみのみこと)が祀られています。
現在の拝殿は、江戸時代の寛政12年(1800年)に再建された歴史ある建築物です。昭和37年(1962年)の大改修を経て蘇った鮮やかな色彩や、柱の一つひとつに施された精巧な彫刻は、山奥の神社とは思えないほどの華やかさを放っています。
拝殿の前には、樹齢約800年を数える「重忠杉(しげただすぎ)」という巨大な御神木がそびえ立っています。この杉は鎌倉時代の武将・畠山重忠(はたけやましげただ)が奉納したと伝わり、現在も三峯神社の強い生命力を象徴する存在として、多くの参拝者がその力強さに触れています。

三峯神社の本社の御朱印は、右に「登拝」、中央に「三峯神社」、左に「参拝日付」の墨書き、中央に「神社印」の朱印、背景に2体の「狼」が描かれるデザインです。

三峯神社は、第12代・景行天皇の皇子である日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東国平定の帰り道に山梨県から奥秩父の山々を超えて三峰山に登り、伊弉諾尊・伊弉册尊を祀ったのが創始とされていますが、その際に道案内をつとめたのが狼で、その忠実さと勇敢さによって三峯神社の御眷属(ごけんぞく、神の使い)に定められたと伝わっています。
三峯神社では、古くから狼のことを「お犬様」と呼び、田畑を荒らす害獣を防いだり、火難除け、盗難除け、そしてあらゆる災難を退ける「大口真神(おおくちのまがみ)」として、信仰の対象としてきました。現代でも毎月10日・19日の夕刻には、神域を守るお犬様や諸国へ貸し出されているお犬様のために、小豆飯に酒をかけた「赤飯(あかめし)」を供える「御焚上祭(おたきあげさい)」が執り行われるなど、その信仰の形は大切に受け継がれています。
御朱印に描かれた狼の姿は、かつて日本武尊を救った狼の「導き」と「守護」の力を、参拝者が自宅へと持ち帰るための意匠でもあります。墨書きの力強さと、それを見守る狼の姿からは、三峯神社が歩んできた長い歴史と信仰の重みを感じ取ることができ、この地に息づく独自の狼信仰(お犬様信仰)を知ることで、手にした御朱印の価値はさらに深いものへと変わることでしょう。
三峯神社の本社からさらに山深く、標高1,329mの妙法ヶ岳の山頂には、三峯神社の「奥宮」があります。古くから霊山として崇められてきた三峯神社の原点ともいえる聖域であり、一歩足を踏み入れれば、山岳信仰の厳かな雰囲気を体感できます。
この奥宮には「山開(やまびらき)」と「山閉(やまじまい)」の期間が定められており、毎年5月3日に一年の安全を祈る「山開祭」が、10月9日に「山閉祭」が執り行われます。冬期は、積雪や凍結により登山道が非常に危険な状態となるため、奥宮の参拝は原則として山開祭から山閉祭の期間中に行うのが習わしです。

奥宮への登山道は、本社の整備された境内とは様子が一変し、本格的な山道です。山頂までの所要時間は片道で約1時間ほどとされていて、実際に私が歩いた際も、周囲の自然を感じながら着実に歩を進めて、ちょうど1時間程度を要しました。
道中の大部分は、木々に囲まれた比較的緩やかな傾斜の道が続きますが、山頂付近は非常に険しくなっています。 特に終盤には、垂直に近い急な階段と、岩肌に設置された鎖を掴んで登る「鎖場」があり、ここを慎重に登りきった先にようやく奥宮が現れます。最後の一踏ん張りには手足を使って登る力が必要になるため、滑りにくい靴を履くなど、しっかりとした準備を整えてから臨むのがよいでしょう。

もし、体力的な不安や時間の都合で山頂の奥宮までの登山が難しい場合には、本社の境内にある「奥宮遥拝殿(おくのみやようはいでん)」を訪ねてみてください。ここからは妙法ヶ岳の山頂を望むことが出来、遠くの山頂に佇む奥宮を参拝することができます。遥拝殿からの秩父の山並みの眺めは清々しく、山頂まで歩かずとも奥宮の神聖さを感じられる場所として大切にされています。
三峯神社の本社の社務所では、奥宮の御朱印も授与されています。
右に「登拝」「三峯神社」、中央に「奥宮」、左に「参拝日付」の墨書き、中央に「奥宮」の朱印がおされるデザインです。

奥宮への険しい登山を経て、神域の清らかな空気を肌で感じてからいただく奥宮の御朱印は、自らの足で聖域へ辿り着いた者だけが手にできる重みが感じられます。 「登拝」の墨書きは本社の御朱印にも記され、山深くにある本社に参拝するだけでも山岳信仰の神聖な雰囲気を感じることができますが、山頂の奥宮への参拝を無事に終えた後に拝受する奥宮の御朱印に記される「登拝」の文字は、登山・参拝の達成感が心により深く刻まれる特別なものに感じるはずです。
三峯神社の境内で注目いただきたいのが「手水舎」です。
江戸時代後期の嘉永6年(1853年)に建立された手水舎には、拝殿と同様に随所に極彩色の彫刻が施され、まるで一つの美術品のような趣です。今にも動き出しそうな龍や、鮮やかな色彩の花々を間近で眺めていると、かつてここがお寺でもあった時代から続く荘厳な空気感と神仏習合の深い歴史を肌で感じることができました。

拝殿の左側の石畳も知る人ぞ知る見どころです。
石畳の上には、辰年の平成24年(2012年)に突如現れたといわれる「龍」の姿が浮かび上がっています。普段はうっすらと見える程度ですが、雨などで水に濡れると、その輪郭が驚くほどくっきりと出現します。私も実際に目にしましたが、自然にできたとは思えないほど力強い龍の姿には、言葉にできない不思議な力と、この地が持つ神秘性を感じずにはいられませんでした。

三峯神社は、山岳信仰の聖地として古くから大切にされてきた神社です。本社の御朱印には日本神話が由来の狼信仰の姿が表わされ、奥宮の御朱印には険しい山道を登り詰め聖域を参拝した証としての深い意味が刻まれます。秩父の厳しい自然の中で育まれてきた神仏習合の信仰の歴史の重みを感じながら、特別感・達成感あふれる御朱印をいただいてみてはいかがでしょうか。
ライター:久堂花瑠
夫と車中泊で日本各地を巡った経験があり、旅先で寺社参拝や御朱印集めを楽しんでいます。実際に訪れた寺社の魅力や御朱印の背景にある歴史・信仰などを、自身の経験を交えながらわかりやすくお伝えする記事を制作していきたいと思っています。
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