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【御朱印情報】東京都「西念寺」の服部半蔵正成ゆかりの「鬼半蔵」の御朱印

東京都新宿区にある「西念寺」は、徳川家康に仕えていた有名武将「服部半蔵正成」ゆかりの寺院です。槍の名手で有名だった服部半蔵正成の異名「鬼半蔵」が記された御朱印をいただくことができます。

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服部半蔵正成が開基した「西念寺」

東京都新宿区四谷の閑静な住宅街にある「西念寺(さいねんじ)」は、浄土宗の寺院です。

 

戦国時代の文禄3年(1594年)に、徳川家康(とくがわいえやす)に仕えていた有名武将「服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり)」によって、徳川家康の嫡男である松平信康(まつだいらのぶやす)の供養のために開基されました。
当初は麹町清水谷に建立された「安養院」という庵でしたが、江戸時代に入って寛永11年(1634年)に江戸城の拡張工事のため現在地に移されたときに「西念寺」と改められ、服部家の菩提寺となりました。正式には「専称山(せんしょうざん)安養院(あんにょういん)西念寺」といい、この山号・院号・寺号は服部半蔵正成の法名「専称院殿安譽西念大禅定門(せんしょういんでんあんよさいねんだいぜんじょうもん)」から付けられたとされています。

西念寺_服部半蔵の墓
境内には服部半蔵のお墓があり、法名の「安誉西念大禅定門」と没年月日の「慶長元年丙申霜月十四日」が刻まれています。

 

服部半蔵正成は、江戸幕府を開いた徳川家康の譜代家臣で、「徳川十六神将(とくがわじゅうろくしんしょう)」にも数えられる有名な武将です。
服部半蔵といえば忍者として名が通っていますが、実際に忍者の頭領だったのは「初代服部半蔵」である父の服部半蔵保長(やすなが)で、服部半蔵正成は伊賀の忍者を率いて行動することもありましたが、武士として徳川家康に仕えていました。

 

松平信康は徳川家康の息子で、正妻の築山殿との間に生まれた嫡男(ちゃくなん、跡継ぎとなる長男)です。信康は織田信長の娘と結婚していましたが、天下人となった信長は徳川を警戒していたため、娘婿となった信康の動向も厳しく監視しており、甲斐の武田勝頼と通じた疑いから信康に切腹を命じました。
家康は信頼していた家臣の服部半蔵正成に信康の介錯を命じましたが、主君の命令でも信康を手にかけることがどうしてもできず、刀を投げ捨てて倒れ込み、涙を流したと伝わっています。

西念寺_松平信康供養塔
西念寺には松平信康の供養塔があり、服部半蔵正成が持っていたとされる信康の遺髪が納められているそうです。

 

 

御本尊「阿弥陀如来」と「鬼半蔵」の御朱印

西念寺では朱印と墨書きの伝統的なデザインの御朱印をいただくことができ、直書きしていただける御朱印は2種類あります。

 

ひとつは御本尊の阿弥陀如来の御朱印です。印は右上に「専称山」、中央に「佛法僧寶(ぶっぽうそうほう)」の三宝印、左下に「西念寺印」が押されていて、墨書きは右上に「奉拝」と参拝した日付、中央に「阿弥陀如来」、左に「四谷 浄土宗 西念寺」と書かれます。

 

もうひとつは服部半蔵正成の異名である「鬼半蔵」の御朱印です。印は右上に「専称山」、中央に寺紋の「源氏輪に並び矢」、左下に「西念寺印」が押されていて、墨書きは右上に「奉拝」と参拝した日付、中央に「鬼半蔵」、左に「服部半蔵開基 西念寺」と書かれます。

西念寺_御朱印
西念寺の信仰や創建由来がわかりやすく記される御朱印です。

 

御本尊・阿弥陀如来の御朱印の中央の印「佛法僧寶」とは、仏教で3つの宝といわれる「仏・法・僧(ぶっぽうそう)」の三宝(さんぽう)を表していて、浄土宗や禅宗のお寺の御朱印ではよく見かけます(仏教の教えによるものなので神社の御朱印に三宝印が押されることはありません)。三宝印は篆書(てんしょ)や隷書(れいしょ)など独特な書体で書かれていることが多いので読みにくいですが、「佛」は仏の旧字体、「寶」は宝の旧字体です。この印を押すことで三宝の加護が得られるといわれるので、お寺で御朱印をいただいたときは三宝印が押されているかチェックしてみてくださいね。

 

また、もうひとつの御朱印に書かれている「鬼半蔵」とは槍の名手で有名だった服部半蔵正成の異名です。
服部半蔵正成が使っていた槍は現在も西念寺に寺宝として伝わっています。この槍は服部半蔵が浜松城で徳川家康から拝領したものといわれ、本来は一間半(約2.6m)の長さでしたが、現在は槍先と柄の一部が欠けて少し短くなっているそうです。

 

西念寺では御本尊の阿弥陀如来が安置されている本堂に上がって参拝できます。御本尊の近くに服部半蔵の槍や徳川十六神将の掛け軸が飾られていて、御朱印が書き上がるまでの間に近くで見学することができます。
西念寺の旧本堂は第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失したため、再建にあたって千葉県の大多喜城(おおたきじょう)から本丸御殿の一部が移築されました。大多喜城は、服部半蔵正成と同じく徳川家の譜代家臣で、「徳川四天王」に数えられる戦国武将・本田忠勝(ほんだただかつ)が居城としていたお城です。服部半蔵正成の槍が保管されているあたりが移築された場所なので、槍と一緒に室内もじっくりと見てみてください。

西念寺_服部半蔵正成の槍
西念寺に伝わる服部半蔵正成の槍の実物を見学することができました。

 

通常の直書き御朱印は伝統的なデザインですが、書き置きの御朱印も授与されていて、こちらには阿弥陀如来や忍者姿の服部半蔵がカラーの挿絵で描かれています。

 

 

 

 

西念寺は、徳川家康に仕えていた服部半蔵正成が開基した寺院で、現在は服部家の菩提寺にもなっているため、境内の服部半蔵正成のお墓や、徳川家康から拝領したと伝わる槍など、服部半蔵正成ゆかりのものがたくさんあります。「鬼半蔵」と記される御朱印もいただくことができるので、戦国武将ゆかりの御朱印を集めている人や歴史が好きな人におすすめの寺院です。

 

 

 

 

ライター:kanakana
神社仏閣・御朱印ブロガー。徳島県を中心に四国や淡路島で神社仏閣巡りを楽しむ御朱印ガールで、年間300体以上の御朱印を拝受しています。御朱印を通じて神社仏閣の魅力をご紹介します。

 

 

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