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【御朱印情報】京都府「八坂神社」の旧社名「祇園社」と記される御朱印と「祇園祭」

京都府京都市東山区にある「八坂神社」は、歴史ある茶屋が立ち並び古都らしい景観が魅力の「祇園」の象徴として、多くの人々に親しまれています。地名の由来にもなった旧社名「祇園社」と記される御朱印を、京都三大祭・日本三大祭の一つ「祇園祭」とともにご紹介します。

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祇園の象徴として鎮座する「八坂神社」

京都府京都市東山区、歴史ある茶屋が立ち並び、古都らしい景観が魅力の「祇園(ぎおん)」エリアの象徴として多くの人々に親しまれているのが「八坂神社(やさかじんじゃ)」です。古から京の東を護っているお社で、全国に約2,300社ある八坂神社・祇園信仰神社の総本社として信仰をあつめています。

 

八坂神社の起源には二つの説が伝わっています。
一つは、斉明天皇2年(656年)に渡来人の伊利之(いりし)が、新羅の牛頭山(ごずさん)に祀られていた素戔嗚尊(すさのをのみこと)をこの地にお祀りしたという説。もう一つは、平安時代の貞観18年(876年)に奈良の僧・円如(えんにょ)がこの地にお堂を建て、同じ年に天神(祇園神)が東山のふもとに降臨したという説です。

 

現在の八坂神社本殿は江戸時代に建てられたものですが、その建築様式は平安時代に成立しています。本殿と拝殿が大屋根で覆われ、一つの建物として建築された形式は「祇園造」と呼ばれる八坂神社独自のものです。平安時代の建築様式を今に伝える建物であり、令和2年(2020年)に国宝に指定されました。
本殿の下には、平安京の東を鎮める青龍が棲む「龍穴(りゅうけつ)」があると伝わっており、古来より平安京を守る大切な神社として信仰されています。

八坂神社_京都_本殿
八坂神社独自の「祇園造」の本殿は、国宝に指定されているたいへん貴重な建造物です。

 

 

旧社名「祇園社」と記される御朱印

八坂神社の境内にはたくさんの末社があり、それぞれの末社の複数種類の書き置きタイプ御朱印をいただくことができますが、基本となる八坂神社の御朱印のみ御朱印帳に手書きしていただくことができ、初穂料は500円です。「神紋」「社名」の朱印に、中央に「祇園社」、「奉拝」「参拝日付」の墨書きが入るデザインです。

八坂神社_京都_御朱印
「神紋」の朱印と「祇園社」の墨書きが、長い歴史を現代に伝えている八坂神社の御朱印です。

 

八坂神社が現在の呼び方になったのは明治時代以降です。明治元年(1868年)までは「祇園社(ぎおんしゃ)」「祇園感神院(ぎおんかんしんいん)」などと呼ばれ、京都の人々に「祇園さん」の名で親しまれてきました。
明治維新以前は神社とお寺の関係は密接で、ここには「社僧(しゃそう)」と呼ばれる僧侶の姿をした人々が奉仕し、境内には薬師堂や鐘楼もあったそうです。しかし、明治時代初頭の神仏分離政策により、神社と仏教の施設が明確にわけられることになりました。その結果、仏像などは周辺の寺院に移され、釈迦が説法を行った「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」が由来の祇園という仏教的な名称から八坂神社へと改称されました。

 

また、御朱印の上部に押印されている神紋も八坂神社の歴史を象徴しています。
八坂神社の神紋は、「木瓜紋(もっこうもん)」と「巴紋(ともえもん)」を組み合わせた「唐花木瓜紋(からはなもっこうもん)」です。木瓜紋は、祇園社の管理や祭事を代々受け継いできた紀氏(きのし)の家紋、巴紋は武勇を象徴する紋で御祭神の素戔嗚尊(すさのをのみこと)を表しています。

 

祇園社と記され、唐花木瓜紋の朱印がおされる御朱印から、八坂神社の長い歴史や時代の変遷を感じとることができます。

 

 

京都三大祭・日本三大祭の一つ「祇園祭」

祇園と聞くと「祇園祭(ぎおんまつり)」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。祇園祭は八坂神社の最大の祭礼で、賀茂御祖神社(下鴨神社)・賀茂別雷神社(上賀茂神社)の「葵祭(あおいまつり)」、平安神宮の「時代祭(じだいまつり)」と並ぶ京都三大祭、大阪天満宮の「天神祭(てんじんまつり)」、神田明神の「神田祭(かんだまつり)と並ぶ日本三大祭の一つとして知られる京都の風物詩です。
※賀茂御祖神社(下鴨神社)、平安神宮、神田明神に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】京都府「賀茂御祖神社(下鴨神社)」の「山城國一宮」の双葉葵の御朱印

 

【御朱印情報】京都府「平安神宮」の千年帳にいただいた伝統的な御朱印

 

【御朱印情報】東京都「神田明神」の力強い御朱印と日本三大祭「神田祭」

 

八坂神社_祇園祭
伝統の祇園囃子が響くなか、豪華絢爛な山鉾がゆっくりと進む祇園祭の一コマです。

 

祇園祭の起源は平安時代の貞観11年(869年)にさかのぼり、この年には疫病が流行しました。天皇の命により、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園社から神泉苑に神輿を送り、国の安泰と疫病退散を祈願したことが始まりとされています。
当時、疫病は無念の死を遂げた人々の霊「御霊(ごりょう)」の仕業と考えられ、全国で鎮魂の儀式「御霊会(ごりょうえ)」が行われていたそうです。祇園祭もその一つで、かつては「祇園御霊会」と呼ばれていました。毎年7月には1ヶ月にわたり、さまざまな行事や神事が執り行われます。中でも特に有名なのが、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されている山鉾巡行です。祇園囃子とともに華麗な山鉾が都大路を進む姿は、国内外から訪れる多くの人々を魅了しています。

 

 

 

 

疫病退散の「疫神社」と美容祈願の「美御前社」

八坂神社の境内には、あらゆる災いを祓う神様として信仰される、主祭神の素戔嗚尊をはじめ、多くの神様が祀られています。ここではその中のふたつのお社をご紹介します。

 

「疫神社(えきじんじゃ)」は、蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)を祀り、疫病退散のご利益があるとされています。
その由来は、昔から伝わる説話にあります。素戔嗚尊が旅をしていた時、ある兄弟に宿を求めました。弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福でしたが宿を貸さず、兄の蘇民将来は貧しいながらも手厚くもてなしました。感激した素戔嗚尊は、後に疫病が流行した際、「茅の輪」をつけて「蘇民将来の子孫なり」と唱えれば災厄を免れると約束しました。この説話から、蘇民将来命は疫病退散のご利益のある神様として信仰されています。

八坂神社_疫神社
疫神社は古くから疫病退散のご利益を求める人に信仰されています。
八坂神社_疫神社_芽の輪守
「蘇民将来子孫也」と書かれた茅の輪守は、祇園祭の期間限定の授与品です。

 

美御前社(うつくしごぜんしゃ)は、宗像三女神(むなかたさんじょしん)と呼ばれる三柱の女神を祀り、美容に関するご利益があるとされています。
宗像三女神が容姿端麗であったとの言い伝えから、舞妓さんや芸妓さんなどの芸能関係者や、美容・化粧品関係者などからあつく信仰されています。お社の前に湧き出る「美容水」を肌に数滴つけると、身も心も美しくなるといわれています。

八坂神社_美御前社
美容祈願に訪れる人が後を絶たない美御前社です。
八坂神社_美御前社_美容水
美のご利益に満ちた湧き水「美容水」は、身も心も美しくなるといわれています。

 

 

八坂神社は、古くから京都を護る存在として信仰され、境内にはさまざまな神様が祀られ、寺社がたくさんある京都で特に多くの参拝者が訪れる神社として知られています。国宝に指定された本殿や、重要文化財の社殿・建物など、歴史的価値の高い見どころも豊富です。かつての名称である「祇園社」が墨書きされた御朱印からは、八坂神社の長い歴史と祇園との深いつながりを、より身近に感じられることでしょう。

 

※八坂神社と関係が深い福岡県北九州市の八坂神社と島根県津和野町の弥栄神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】福岡県「八坂神社」の「小倉祇園太鼓」ゆかりの御朱印

 

【御朱印情報】島根県「弥栄神社」の京都・八坂神社との結びつきを感じる御朱印

 

 

 

 

ライター:nakamuraya
旅好きな観光ガイド・WEBライター。書くことと話すこと、両方の言葉の力で、日本の魅力を国内外の人々に伝える活動をしています。初めての一人旅で京都を訪れて以来、神社仏閣に興味を持ち、御朱印の奥深さにも惹かれました。日本の歴史や文化に深く関心を抱き、伝統や美しさを巡る旅を楽しんでいます。

 

 

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