- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
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京都府京都市東山区にある「知恩院」は、浄土宗の宗祖「法然上人」が後半生を過ごした地に建てられた浄土宗総本山の寺院です。法然上人ゆかりのいろいろな仏様や御詠歌の御朱印のほか、行事などにあわせて多種多彩な限定御朱印も授与されています。
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目次
京都府京都市東山区にある「知恩院(ちおんいん)」は、浄土宗の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が後半生を過ごし没した地に建てられた寺院です。正式名称は「華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざんちおんきょういんおおたにでら)」で、御本尊として法然上人が祀られています。
平安時代末期に生まれた法然上人は、13歳で比叡山(ひえいざん)に上り15歳で得度します。その後「専修念仏(せんしゅうねんぶつ)」という思想に至り、浄土宗を開宗しました。専修念仏とは、厳しい修行をすることはなく、ただ「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と称えるだけで誰もが救われるという考え方です。
比叡山を下りて浄土宗を開いた法然は、京都東山の吉水に吉水草庵(よしみずそうあん、現在の知恩院御影堂)を建ててそこに住まいながら教えを広げていきました。法然上人は比叡山や興福寺(こうふくじ)からの専修念仏に対する批判などの影響で、鎌倉時代初期の建永2年(1207年)に讃岐国(さぬきのくに、現在の香川県)へ流罪になりますが、4年後の建暦元年(1211年)には許され、再び京へ戻ってきました。
以後も法然上人は布教活動を続けますが、翌建暦2年(1212年)に亡くなりました。法然上人の死後、弟子たちにより法然上人の廟が建てられたのが、知恩院の始まりで、文暦元年(1234年)には法然上人の弟子・源智(げんち)が法然上人を開山として諸堂を建てました。

江戸時代に入って、慶長8年(1603)には江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が知恩院を永代菩提所と定め、二条城と共に京都における徳川家の拠点となります。知恩院の諸堂造営は2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)に受け継がれ、壮大な伽藍が建設されました。途中火災に遭いながらも3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)による再建で、寛永18年(1641年)ごろまでにはほぼ完成しました。
法然上人の御影がまつられている御影堂や国内最大級の二重門である三門は国宝に指定され、貴重な文化遺産としても重要な寺院として現代に受け継がれています。
知恩院では、御本尊の「法然上人」のほか、「阿弥陀如来(あみだにょらい)」「勢至菩薩(せいしぼさつ)」などの祀られている仏様、「御詠歌」、行事にあわせて授与される限定御朱印など、たくさんの種類の御朱印が授与されています。
令和7年(2025年)9月に私が参拝した際にいただいたのは、「阿弥陀如来」の御朱印です。。右に「奉拝」「参拝日」、左には「知恩院」と墨書きされ、朱印は右から「知恩教院」「大谷寺」「浄土宗総本山知恩院」とおされるデザインです。

阿弥陀如来が祀られている阿弥陀堂は、御影堂の西側に建つお堂で、明治43年(1910年)に再建されたものです。
阿弥陀堂に掲げられている寺名「大谷寺」の扁額は、第105代・後奈良天皇の御宸筆で、御朱印の中央の「大谷寺」と記された朱印がおされています。
祀られている阿弥陀如来坐像は高さが2.7mもある大きな仏様で、たいへん美しいお姿をされています。

令和元年(2019年)に私が参拝したときには、「勢至菩薩」の御朱印をいただきました。
右に「奉拝」「参拝日」、左には「勢至堂」と墨書きされ、右から「知恩教院」「総本山 本地勢至堂之章 知恩院」「知恩院勢至堂」という朱印がおされるデザインでした。

勢至菩薩が祀られている勢至堂は、法然上人が念仏を広めた最初の場所、法然上人終焉の場所で、知恩院発祥の地とされています。
境内の東最奥に位置し、現存する知恩院最古とお堂です。令和7年(2025年)現在は保存修理工事が行われているため拝観停止中となっていて、令和12年(2030年)10月末日完成予定です。
私が令和7年(2025年)9月に参拝した際には「御詠歌」の御朱印もいただきました。
「草も木も 枯れたる野辺にただひとり 松のみ残る 弥陀の本尊」という御詠歌が中央に書き入れられ、左には「弥陀の本願」「知恩院」の墨書き、朱印は右から「圓光大師廿五霊場第廿五番」「仏法僧寶(ぶっぽうそうほう)」「浄土宗総本山知恩院」とおされるデザインです。

御詠歌とは仏様を讃えた歌のことで、寺院ごとにあります。
知恩院の御詠歌は「草も木も枯れてしまった野にあっても、松が緑を失わないように、このすさんだ世の中でも阿弥陀様の教えだけはいつまでもなくなることはありません」という意味で、浄土宗中興の祖・観智国師(かんちこくし)が詠んだ歌です。
「仏法僧寶」とは「仏:釈迦」「法:教え」「僧侶:教えに従い修行する人」が仏教において最も大切な宝であるという意味があります。
「圓光大師廿五霊場第廿五番」の記される「圓光大師(えんこうだいし)」とは、法然上人に江戸時代の元禄10年(1697年)に第113代・東山天皇(ひがしやまてんのう)より勅諡された大師号のことです。
「圓光大師廿五霊場」とは、法然上人の遺跡や、法然上人自作の御影(画・像)・自筆の名号などが現存する寺院や、法然上人滅後や弟子に関係のある寺院など、全国の25札所と特別霊場・縁故霊場2ヶ寺の27ヶ寺を巡る霊場巡礼のことで、知恩院は25番札所になっています。
法然上人終焉の地である知恩院は、圓光大師廿五霊場巡礼においても最後の結願寺として重要な役割を担っています。
知恩院では、文化財の特別公開やお釈迦様の誕生日に行われる花まつり、ライトアップなどの行事に合わせて、限定御朱印も授与されています。
中央にお釈迦様を表す梵字の印がおされる「花まつり」の御朱印は、4月8日限定という希少な御朱印です。
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令和8年(2026年)3月末日まで修理工事のため拝観できませんが、縁結びの神様として信仰されている「濡髪大明神(ぬれがみだいみょうじん)」の御朱印は、彩りが美しいものや切り絵など多彩で楽しいデザインです。
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大みそかの除夜の鐘に合わせて、中央に梵鐘の朱印が入り「響流十方(こうるじっぽう)」という墨書きが力強い御朱印も授与されています。
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高さ3.3m・直径2.8m・重さ約70tもの巨大な釣鐘がつるされた大鐘楼は、江戸時代中期の延宝6年(1678年)に建立されたもので、奈良・東大寺(とうだいじ)、京都・方広寺(ほうこうじ)と並ぶ大鐘として知られています。釣鐘は、親綱1人・子綱16人の計17人がかりで撞かなければならず、毎年大みそか近くに行われる除夜の鐘の試し撞きは京都の冬の風物詩となっています。
響流十方とは、仏の教えがあらゆる方角に響き渡ることを意味していて、巨大な鐘の音が仏の教えとともに響き広がるようにという想いがこめられているかのようです。

ご紹介した御朱印以外にも、行事に合わせた多種多彩な限定御朱印が授与されていますので、参拝の際にはどのような御朱印が授与されているかぜひチェックしてみてください。
知恩院と聞いて多くの人がまず思い浮かべるのが、巨大な三門ではないでしょうか。どなたがご覧になってもその巨大さ・壮大さには驚くことだと思います。知恩院は円山公園・八坂神社という京都市中心部の人気観光スポットのすぐ南に立地しているので、参拝をしなくともその前を通る人が多く、三門は否が応でも目に入ると思います。
※八坂神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】京都府「八坂神社」の旧社名「祇園社」と記される御朱印と「祇園祭」

高さ約24m・幅約50mの三門が建立されたのは、江戸時代初期の元和7年(1621年)のことで、楼上には重要文化財の宝冠釈迦如来坐像(ほうかんしゃかにょらいざぞう)や十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)などが安置され、天井には麒麟(きりん:伝説上の縁起の良い獣)・天女などが描かれ、美しい天界浄土を表しています。
三門楼上は通常非公開ですが、期間限定で定期的に公開され、それにあわせて特別御朱印も授与されています。
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御影堂の奥にある大方丈・小方丈に面している池泉庭園は、東山を借景とした美しい庭園で、国の名勝庭園に指定されている知恩院の見どころのひとつです。



心癒される素敵な庭園ですが、知恩院を訪れてもこちらまで拝観する人は一部で、私が訪れたときも海外からの観光客らしき人が数人いらっしゃるだけで、とても静かな雰囲気で庭園美を存分に楽しむことができました。知る人ぞ知る名所のひとつですので、知恩院を訪れた際には庭園までじっくりと散策するのがおすすめです。
知恩院は、たくさんの寺院がある京都の中でも特に有名な寺院のひとつで多くの人が参拝に訪れていますが、境内伽藍の隅々まで拝観される人はあまり多くありません。ぜひ境内をじっくり散策し、複数のお堂で仏様をお参りしたり、美しい庭園などの文化財を堪能して、いろいろな仏様や行事ゆかりの御朱印をいただくことで、法然上人にまつわる長く深い歴史を体感してみてください。
※同じ京都市内にあり法然ゆかりの金戒光明寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
ライター: iroha
京都市在住で副業ライターとして活動してます。仕事の合間をぬって京歩き・御朱印集めをする中で、ますます京都が好きになっていき、京都検定2級にも合格しました。歴史ある御朱印や可愛くて素敵な御朱印などをたくさん紹介できればと思っています。
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