- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
高知県高知市にある「雪蹊寺」は、四国八十八ヶ所霊場の33番札所として知られる臨済宗妙心寺派の寺院です。土佐国の戦国武将・長宗我部元親ゆかりのお寺で、本堂に祀られている坐像が国の重要文化財にも指定されている御本尊・薬師如来の御朱印には、禅の精神が表現されています。
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高知県高知市の南部、太平洋に面する高知の観光名所「桂浜(かつらはま)」の近くにある「雪蹊寺(せっけいじ)」は、正式には「高福山幸福院雪蹊寺(こうふくざんこうふくいんせっけいじ)と称し、四国全域にある真言宗の開祖・弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)ゆかりの寺院を巡る四国八十八ヶ所霊場の33番札所になっています。四国八十八ヶ所霊場の札所は弘法大師空海のご縁から真言宗の寺院が多いですが、雪蹊寺は臨済宗妙心寺派に属していて珍しいケースです。
寺伝によると、平安時代初期に弘法大師空海によって建立され、当初は真言宗に属し「高福寺(こうふくじ)」という名前だったようです。時代を経て廃寺となっていたところ、戦国時代の天正年間(1573年~1593年)に土佐国(とさのくに、現在の高知県)の戦国大名・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の寄進によって臨済宗の寺として再興されました。
慶長4年(1599年)に長宗我部元親が没すると長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門(せっけいにょさんたいぜんじょうもん)」から「雪蹊寺」に改称されました。
明治時代初期の明治3年(1870年)、廃仏毀釈によって廃寺となり、本堂の跡地に長宗我部元親の座像を御神体として秦神社(はだじんじゃ)が建立されました。秦神社は現在も雪蹊寺のすぐ隣にあります。明治12年(1879年)に再興されるまでは、四国八十八ヶ所霊場の納経(御朱印)は31番札所竹林寺(ちくりんじ)が代行していたというエピソードものこっています。
※竹林寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】高知県「竹林寺」の智慧の仏「文殊菩薩」とご縁を結ぶ御朱印

雪蹊寺では御本尊・薬師如来(やくしにょらい)の御朱印をいただくことができ、この御朱印が四国八十八ヶ所霊場33番札所の納経にもなっています。
四国八十八ヶ所霊場巡礼のような特定の寺院を巡拝するときに、参拝した証として御朱印を拝受することを、参拝時にお経を納めることから「納経(のうきょう)」と呼び、御朱印を拝受する場所は「納経所」と表記され、霊場巡礼専用の御朱印帳は「納経帳(のうきょうちょう)」と名付けられています。
納経は、印は右上に「四国第三十三番」、中央に「三宝印(さんぽういん)」、左下に「雪蹊寺」がおされ、墨書きは右上に「奉納」、中央に御本尊である「薬師如来」、左下に「雪蹊寺」と書かれるデザインです。

雪蹊寺の本堂に祀られている御本尊・薬師如来像は、鎌倉時代の高名な大仏師・運慶(うんけい)の作と伝わっています。
運慶とその長男・湛慶(たんけい)が寺に滞在し、運慶は御本尊の薬師如来像と脇侍の日光菩薩像・月光菩薩像を制作、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされています。運慶とのご縁で「慶運寺(けいうんじ)」と名乗っていた時期もあるそうです。
薬師如来像・日光菩薩像・月光菩薩像はいずれもヒノキ材、寄木造、玉眼嵌入の漆箔像で、鎌倉時代初期のすっきりとした美しい様式を現代にもとどめています。三尊そろって受け継がれているのもたいへん貴重で、鎌倉時代初期の代表的な作風として国の重要文化財に指定されています。
三宝印の「三宝」とは、仏教において宝とされる仏・法・僧(ぶっぽうそう)の3つを指し、禅宗や浄土宗の寺院の御朱印におされることが多いです。雪蹊寺も禅宗の一宗派である臨済宗のお寺のため、「仏法僧」の印が納経におされています。この印がおされることで三宝の加護が得られるとされ、とてもありがたい印です。禅宗のお寺で御朱印をいただくときは、ぜひ注目してみてください。
写真の納経の左上の青いスタンプは、令和5年(2023年)が弘法大師空海生誕1250年にあたり、記念事業開催中におされていたもので、現在の納経にはおされません。このスタンプはお寺によってデザインや色が違い、雪蹊寺では「禅」の文字がおされていました。
雪蹊寺の納経は、大切に受け継がれてきた貴重な御本尊の歴史や、禅の精神性を表しているといえます。
ちなみに、写真の納経は3種の朱印がそれぞれ2つずつおされていますが、霊場巡礼で複数回巡拝した場合は、墨書きは1回目のみ書き入れられ、2回目以降は朱印のみを複数回重ねていく「重ね印」をするのが一般的で、この場合は2回目の巡拝を意味します。
雪蹊寺の境内には、長宗我部元親の嫡男(ちゃくなん、後継ぎとなる男子)である長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか)の墓があります。信親は複数いる息子のなかでも元親が一番頼りにしていたといわれる人物です。「信」の字は織田信長(おだのぶなが)から与えられたとされ、信長が養子に望んだともいわれるほど優秀だったようです。
将来有望な跡継ぎがいて、長宗我部家は安泰かと思われましたが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)による九州平定の際、激戦として知られる「戸次川(へつぎがわ)の戦い」で、敗戦して逃げ延びる途中に親子が離れ離れになったとき、信親は討死してしまいました。信親の訃報を聞いた元親は自身も討ち死にすると取り乱し、家臣に止められて伊予国(いよのくに、現在の愛媛県)へ落ち延びました。
その後、家臣団の間で後継ぎをめぐって対立が起こり、元親が強力に推した四男の長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)が家督を継ぎましたが、戦国武将としての長宗我部家は盛親の代で終わっています。秦神社には盛親の墓があり、長宗我部家の家紋が入った御朱印もいただけるので、雪蹊寺に参拝したときはぜひ秦神社にも行ってみてください。

また、高知市内の長宗我部信親ゆかりの神社としては、初陣の際に戦勝祈願をした「若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)」や、社殿の寄進をした「土佐神社(とさじんじゃ)」などがあるので、こちらもあわせて参拝するのもおすすめです。
※若宮八幡宮、土佐神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】高知県「若宮八幡宮」の長宗我部元親ゆかりの御朱印
雪蹊寺は、戦国時代に戦国武将・長宗我部元親が再興し、寺号は元親の没後に法名から付けられたゆかりのあるお寺です。境内には嫡男・信親のお墓があり、すぐ隣には元親を祭神とする秦神社もあるので、戦国武将が好きな人にはとくにおすすめのお寺です。高知市内で御朱印巡りをするときは、ぜひ近隣の元親ゆかりの神社もあわせて参拝してみてください。
※雪蹊寺に関して、以下リンクの四国遍路情報サイト「四国遍路」の記事でも詳しく紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【33番札所雪蹊寺】長宗我部元親ゆかりのお寺は高知特産品の宝庫
【33番札所雪蹊寺】四国の転機となった「戸次川の合戦」と長宗我部信親墓所
ライター:kanakana
神社仏閣・御朱印ブロガー。徳島県を中心に四国や淡路島で神社仏閣巡りを楽しむ御朱印ガールで、年間300体以上の御朱印を拝受しています。御朱印を通じて神社仏閣の魅力をご紹介します。
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