- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
高知県高知市にある「高知城」は、天守を始め往時の建造物を現代に受け継ぐ貴重な史跡です。御城印には、高知城を居城として土佐国の礎を築いた土佐藩主・山内家の家紋や、別称「鷹城」などが記され、高知城にまつわる歴史や建造物の特徴を読み解くことができます。
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高知県高知市の中心市街地にある「高知城(こうちじょう)」は、江戸時代初期に建造された近世城郭で、土佐藩(とさはん、現在の高知県)の政庁として栄えた城です。
天下分け目の関ヶ原の戦いの功績により土佐一国を与えられた山内一豊(やまうちかずとよ)が築城を開始し、江戸時代が始まった慶長8年(1603年)頃に完成しました。築城には、それまで土佐を支配していた長宗我部氏(ちょうそかべし)の旧城郭である大高坂城(おおたかさかじょう)の跡地が利用され、周囲の地形を生かした平山城として整えられました。
高知城の最大の特徴は、天守を中心に本丸御殿や詰門、廊下門などの主要建築が現存している点にあります。
江戸時代の城郭で、天守と本丸御殿の双方が残る城は全国的にも非常に珍しく、当時の藩政や城内の生活を具体的に伝える貴重な存在です。天守は三重六階の構造で、外観は落ち着いた白壁と黒い下見板が調和し、実戦的で質実剛健な印象を与えます。
高知城は山内家の居城として明治維新まで使用され、土佐藩政の中枢として政治・軍事・儀礼の舞台となりました。幕末には、坂本龍馬(さかもとりょうま)をはじめとする多くの志士を輩出した土佐藩の象徴的な場所でもあり、土佐藩の動向は日本の近代化に大きな影響を与えました。明治時代の廃城令によって全国にある多くの城郭が失われましたが、高知城は保存の必要性が認められ、天守をはじめとする建造物が残され、現代まで受け継がれています。
昭和34年(1959年)には国の史跡に指定され、天守や高知城歴史博物館などを通じて、土佐藩の歴史や城郭文化を学ぶことができます。城下町の面影を残す高知市中心市街地と一体となり、歴史と文化を現代に伝える高知の代表的な観光・歴史資産であり、高知のシンボルになっています。



高知城では、本丸御殿入口の拝観受付で、御城印をいただくことができます。
「南海の名城」「高知城」「鷹城(たかじょう)」「参拝日付」の文字に、朱で「丸に三葉柏紋(まるにみつばかしわもん)」、高知城天守のイラストが描かれているデザインで、価格は300円でした。

中央に大きく朱で描かれている「丸に三葉柏紋」は、土佐藩主として高知城を居城とした山内家の家紋です。
全国に分居していた山内氏が鎌倉時代の初め頃には使用していたといわれる伝統的な紋です。土佐山内家の家伝によれば、土佐藩初代藩主・山内一豊の父である山内盛豊(やまうちもりとよ)が、丹波の戦で柏木を指物として武功を挙げて以来、家紋となったと伝わっています。
土佐山内家は、土佐藩主として江戸時代約260年にわたり藩政を担いました。
祖である山内一豊は、織田信長(おだのぶなが)・豊臣秀吉(とよとみひでよし)・徳川家康(とくがわいえやす)に仕えた戦国武将で、関ヶ原の戦いの功績により慶長6年(1601年)に土佐一国24万石を与えられ、高知城を居城として土佐藩を開きました。以後、山内家は明治維新まで一度も改易されることなく藩主の座を継承しました。
山内家の藩政は、戦国時代に土佐を支配していた長宗我部氏旧臣を中心とする郷士と、山内家に従って入国した上士との身分差を特徴とし、独特の社会構造を形成しました。藩政中期以降は財政難や社会不安に直面しましたが、改革も行われ、幕末には土佐藩14代藩主・山内豊信(やまうちとよのぶ、隠居後に容堂(ようどう)と名乗る)が藩主として公武合体を唱えつつ、坂本龍馬ら人材の登用にも関与しました。山内家は土佐藩を通じて、近代日本の形成に一定の役割を果たした大名家といえます。
山内家の家紋に関連して、土佐藩出身で三菱財閥を創始した岩崎弥太郎(いわさきやたろう)は、山内家と岩崎家の家紋を統合して、現代でも広く認知されている三菱のロゴを作ったというエピソードも残っています。

御城印の「鷹城」の文字も一際目を引きます。この名は、漆喰の白壁と瓦葺の灰色が鷹の羽に似ていることが由来です。
御城印に勇ましい姿が描かれている高知城の天守は、南北に千鳥破風、東西には唐破風をつけた独立式望楼型4重6階の安土桃山時代の様式です。天守台がなく本丸上に、直に礎石を敷き御殿に隣接して建てられており、このような本丸を最後の防衛拠点とする構えは戦国時代末期から江戸時代初期にかけての城によくみられる形式です。
天守最上階には、築城した山内一豊が先の居城であった掛川城(かけがわじょう)を模して造ったといわれる擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)という手すりが取り付けてあるのが特徴です。擬宝珠高欄は一番格式の高い高欄であり、現存するのは高知城のものが唯一の珍しいものです。築城時には高欄設置に関して幕府から横やりが入りましたが、一豊が徳川家康に直談判に及んだという逸話が残っています。


高知城の御城印からは、居城とした土佐藩主・山内家の歴史や功績、全国でも他に類をみない現存天守である建造物としての特徴などを読み解くことができます。
※高知城の特徴に関して、以下リンクの四国遍路情報サイト「四国遍路」の記事でも紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【高知城】天守のほか多くの特徴的な建造物や設備が現存する貴重な史跡
高知城の敷地内には、ゆかりの偉人の像が多数安置されています。
まず外せないのは、高知城を築城した土佐藩初代藩主・山内一豊と妻・千代の夫妻です。

土佐藩初代藩主・山内一豊と妻・千代は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍したおしどり夫婦として知られています。
一豊は尾張国の出身で、織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)に仕え、数々の戦功を重ねました。天下分け目の関ヶ原の戦いでは東軍として功績を挙げ、その恩賞として土佐一国を与えられ、土佐藩初代藩主となりました。
千代は、知恵と先見性に富んだ女性として語り継がれています。若き日の一豊が出世の機会を得るきっかけとなったとされる「内助の功」の逸話では、千代が自らの持参金で名馬を購入し、夫に与えたことが有名です。
土佐入国後も夫婦は藩政の基礎固めに尽力し、高知城下町の整備や家臣団の統制を進めました。山内一豊と千代は、夫婦一体となって家を興し、土佐藩300年の礎を築いた存在として、現代でも高知の人々に敬われています。
千代像の近くには、土佐藩出身の板垣退助(いたがきたいすけ)の銅像があります。

板垣退助は、幕末から明治期にかけて活躍した土佐藩出身の政治家で、日本における自由民権運動の指導者として知られています。天保8年(1837年)に土佐藩で生まれ、郷士の家系に育ちました。幕末には尊王攘夷運動に関わり、戊辰戦争では新政府軍の一員として活躍し、明治新政府樹立後は参議として中央政界に進出しました。
しかし、政府の専制的な政治運営に不満を抱き、明治6年(1873年)に下野します。その後は「民選議院設立建白書」を提出し、国会開設と国民の政治参加を求める自由民権運動を全国に広めました。自由党を結成して党首となり、演説や政治活動を通じて言論と権利の重要性を訴えました。
「板垣死すとも自由は死せず」という言葉に象徴されるように、生涯を通じて自由と立憲政治の実現に尽力しました。その思想と行動は、日本の議会政治の基礎を築いた点で大きな意義を持っています。
高知城の敷地内には、ご紹介した以外にも高知県ゆかりの偉人の銅像がありますので、じっくりと散策して、高知城にまつわる歴史を体感してみてください。
高知城は、全国にある現存12天守の中でも、往時の建造物を多数残し、歴史的に非常に価値が高い城郭跡です。御城印からも高知城の成り立ちや歴史、土佐藩主・山内家の功績、建造物としての特徴などを読み解くことができます。高知県を代表する観光スポットのひとつでもある高知城で、高知県の歴史や高知県ゆかりの偉人にぜひ触れてみてください。
※高知城と関係が深い高知八幡宮と山内神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】高知県「高知八幡宮」の高知城下鎮守の歴史と八幡大神の御神徳を感じる御朱印
【御朱印情報】高知県「山内神社」の土佐藩主・山内家の功績と歴史を体感する御朱印
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※高知県高知市で御朱印が人気の寺社が、以下リンクの記事でまとめて紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
ライター:千年帳編集部
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