
- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
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京都府京都市北区にある「金閣寺」は、室町幕府第3代将軍・足利義満が造営した山荘「北山殿」を寺院に改めたもので、京都屈指の観光名所として知られています。金箔がほどこされ多くの人を魅了する「金閣」を表す「舎利殿」の御朱印の他、「石不動尊」や季節限定御朱印が授与されています。
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目次
京都府京都市北区にある「金閣寺(きんかくじ)」は、室町幕府第3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の別荘「北山殿(きたやまどの)」を彼の死後に寺院に改めたものです。正式名を「北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)」といい、通称「鹿苑寺」とも呼ばれ、現在は京都御所の北に位置する「相国寺(しょうこくじ)」の境外塔頭となっています。
金閣寺周辺の地域は、鎌倉時代には藤原氏からわかれた平安貴族で太政大臣まで昇りつめた政治家・西園寺公経(さいおんじきんつね)の山荘でした。北山に築かれた広大な山荘は「天下の壮観」と呼ばれるほど豪華な物だったという記録がのこっています。
室町時代になると西園寺家は衰退し、北山の山荘はすっかり荒廃していました。そこに目を付けたのが足利義満です。義満は応永元年(1394年)に将軍職を子・義持(よしもち)に譲りますが、自らは太政大臣となり実権を握り続けていました。応永4年(1397年)に義満が手に入れた広大な山荘・北山殿は、舎利殿金閣を中心に華麗な建物が次々と造営され、やがて華やかな北山文化の発信地となります。
北山殿で政務をとりながら、公卿貴族を集めて和歌・管絃・猿楽などを催し、応永15年(1408年)には後小松天皇(ごこまつてんのう)の行幸をも迎えるに至ります。これは「北山行幸」と呼ばれる盛大なものだったそうです。しかしそれからわずか2ヶ月後、51歳の義満はあっけなく病死してしまいました。
義満没後、北山殿は義満の正室・日野康子(ひのやすこ)の住居となりますが、応永26年(1419年)に康子が亡くなった後は、舎利殿金閣以外の建物はほとんど解体されて、南禅寺(なんぜんじ)や建仁寺(けんにんじ)に寄贈されました。しかし、応永27年(1420年)に義持が、義満の遺言に従って夢窓疎石を開山として禅寺に改め、義満の法号「鹿苑院殿」から「鹿苑寺」という寺名を付けました。
※建仁寺に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】京都府「建仁寺」の禅の心を映し出す「拈華堂」の御朱印
その後、応仁の乱により京都にある多くの寺院が被害を受けます。鹿苑寺も被害を受けましたが、舎利殿金閣・石不動堂・護摩堂などは焼失を免れます。江戸時代になり再建されたときには、舎利殿金閣をはじめ現代に受け継がれている堂宇の形がほぼ整いました。
明治時代以後は廃仏毀釈などさまざまな困難に遭いながらも寺観を維持し、明治27年(1894年)には拝観者を受け入れるまでになりました。舎利殿金閣は、明治30年(1897年)に「特別保護建造物」に指定され、昭和4年(1929年)7月1日に施工された国宝保存法により旧制度の国宝にも指定されています。
しかし、昭和25年(1950年)7月2日未明、舎利殿金閣は鹿苑寺の徒弟僧(とていそう:正式な僧になるために修行をしている僧)の放火により焼失します。そのため国宝指定は解除されますが、国や全国各地からの寄付を受けて昭和30年(1955年)10月10日に創建当時の姿に復元されました。その後も昭和61年(1986年)から翌年にかけては「昭和大修復」が行われるなど、美しい姿が守られています。
鹿苑寺の御朱印には「舎利殿」と「石不動尊」の2種類があり、不動堂横の御朱印授与所でいただくことができます。それ以外に不定期で授与されている期間限定の御朱印がありますが、令和7年(2025年)1月に私がお参りしたときには通常の御朱印のみが授与されていました。
舎利殿の御朱印は、中央に「舎利殿」の墨書きに象の中に「金閣」と記された朱印と「鹿苑禅寺」の朱印、右に「奉拝」と「参拝日」の墨書きと「世界文化遺産」の朱印、左には「金閣寺」の墨書きが入るデザインで、御朱印帳に直書きしていただきました。
舎利殿とはお釈迦様の骨(仏舎利)を祀る建物を指す言葉ですが、必ずしも仏舎利実物を祀っているとは限りません。舎利殿金閣の場合も仏舎利が納められているという記録はなく、釈迦如来像を祀って舎利殿と名付けられたと考えられます。
御朱印のデザインで一際目立つ象の朱印ですが、なぜ象をかたどった朱印がおされているのかの理由は定かではありません。仏教において象は知恵・力強さ・穏やかさの象徴とされており、特に白象は神聖な存在として扱われています。それは仏教の開祖・釈迦の母である摩耶夫人(まやふじん)が六つの牙を持つ白象が体内に入る夢を見て釈迦を身ごもったという説話があるためです。これらのことから、仏舎利をお祀りするという意味のある舎利殿の御朱印に象の朱印が使われたのではないかと推測されます。
鹿苑寺の代名詞にもなっている舎利殿金閣は、木造3階建ての楼閣で、二層と三層は漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根はこけら葺き、その上には金の鳳凰が輝いています。
一層目は寝殿造りの「法水院(ほっすいいん)」で、内部中央に宝冠釈迦如来坐像(ほうかんしゃかにょらいざぞう)、左に出家姿の足利義満坐像が安置されています。二層目は武家造りの「潮音洞(ちょうおんどう)」で、三層目は禅宗仏殿造りの「究竟頂(くっきょうちょう)」と呼ばれています。
拝観入口から樹々で閉ざされた参道を進むと、突然現れる舎利殿金閣。総重量20㎏にも及ぶ金箔が使用されたきらびやかな姿が目に飛び込んでくる瞬間、誰もがため息を漏らします。
舎利殿金閣が浮かぶ鏡湖池(きょうこち)には、葦原島(あしはらじま)など大小の島々や畠山石(はたけやまいし)などの奇岩名石が配され、借景となっている衣笠山(きぬがさやま)の緑と共に金閣の美しさを一層際立たせています。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、そして冬の神秘的な雪景色の金閣と、多くの人を魅了しています。
舎利殿金閣を後方から撮影した上の写真を見ていただくと、一層目に金箔が張られていないのがよくわかります。なぜ一層目に金箔を張らなかったのかについては確かな理由は伝わっていません。ただ、平安貴族を象徴する寝殿造りを白木に、二層目の武家造りをきらびやかにすることで、天皇や朝廷よりも上に武家がいることを示そうとしたのではないかという説もあります。
造りの異なる三層が見事なハーモニーを生み出し、美しい金閣がたたずむ鹿苑寺庭園は、境内約132,000㎡(約4万坪)の内、92,400㎡(約2万8千坪)もの敷地を占めており、特別史跡及び特別名勝に指定されています。また、放火という思いがけない事件に巻き込まれたことで国宝指定を取り消されながら、金閣・鹿苑寺の建築様式や庭園様式、歴史的・文化的価値が評価され、平成6年(1994年)には「古都京都の文化財」の構成資産のひとつとしてユネスコ世界遺産に登録されました。
※「古都京都の文化財」に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】世界遺産「古都京都の文化財」構成寺社の御朱印情報まとめ
鹿苑寺でいただけるもう1つの御朱印が「石不動尊」の御朱印です。金閣寺の参拝コースの最後に位置する不動堂には、弘法大師空海(弘法大師空海)が作ったと伝わる石不動明王が祀られていて、霊験あらたかな仏様として広く信仰されています。
石不動尊の御朱印は、中央に「石不動尊」という力強い墨書きに不動明王を表す梵字と「金閣寺不動堂」の朱印、右に「奉拝」と「参拝日」の墨書きと「京都金閣寺」の朱印、左には「金閣不動堂」と墨書きされるデザインで、書き置きでの授与になります。
※通常時は書き置きのみの対応ですが、ご縁日限定で特別に御朱印帳への記帳も行われたことがあるようです。
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鹿苑寺では期間限定でいただける特別御朱印もあります。中央の墨書きはその都度変わりますので希少性が高い御朱印です。
令和5年(2023年)1月に授与されていた新春御朱印は、金箔を施した薄緑の御朱印紙に書院と方丈の間にある「陸舟の松(りくしゅうのまつ)」と墨書きされた美しいものでした。
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陸舟の松は、義満遺愛の盆栽を移植したものと伝わり、正面から見ると舟の形に見えることからこの名がつけられたといわれています。
令和4年(2022年)10月には金の御朱印紙に、方丈に祀られている「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)」を表す「聖観世音(しょうかんぜおん)」の墨書きが入った特別御朱印が授与されていました。
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これらの気品あふれる美しい特別御朱印は、新春や桜、紅葉の美しい季節などに不定期で授与されているようですので、特別御朱印の拝受を希望する場合は、参拝前に金閣寺公式SNSなどの情報をご覧になってみてください。また、特別限定御朱印授与には、鹿苑寺参拝券の提示が必須となっていますので、参拝券を紛失しないようにご注意ください。
舎利殿金閣の奥に進むと華やかな鏡湖池とは対照的に、樹々の中にひっそりと息づいている「安民沢(あんみんたく)」という池があります。この池は日照りが続いても枯れないことから雨ごいの場ともされてきたそうです。
安民沢から奥に進むと見えてくるのが「夕佳亭(せっかてい)」です。夕佳亭は、茶道家の金森宗和(かなもりそうわ)が作った数寄屋造りの茶席で、江戸時代に鹿苑寺の堂宇を再建した住持の1人・鳳琳承章(ほうりんじょうしょう)が後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)のために造らせたそうです。このような趣ある建物も、華やかな舎利殿金閣と共に鹿苑寺の魅力となっています。
京都屈指の観光寺院である金閣寺は、舎利殿金閣をはじめその名に恥じない歴史的な建造物がたくさんあります。できることなら金閣寺の波乱万丈な歴史を予習していただくと、より一層その魅力を味わえると思います。舎利殿金閣の美しさを堪能し、その美しさを表すような御朱印をいただき、夢のような素敵な思い出をぜひ作ってください。
※近隣にあり同じく世界遺産に登録されている仁和寺と龍安寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
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ライター: iroha
京都市在住で副業ライターとして活動してます。仕事の合間をぬって京歩き・御朱印集めをする中で、ますます京都が好きになっていき、京都検定2級にも合格しました。歴史ある御朱印や可愛くて素敵な御朱印などをたくさん紹介できればと思っています。
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