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山口県山口市にある「瑠璃光寺」は、国宝に指定されている「五重塔」で知られ、山口市の観光名所でもある曹洞宗の寺院です。五重塔が描かれた御朱印や、令和の大改修期間の限定御朱印をいただくことができます。
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山口県山口市にある「瑠璃光寺(るりこうじ)」は、山号は「保寧山」で、薬師瑠璃光如来を本尊とする曹洞宗のお寺です。
山口市は、室町時代にこの地を本拠とした大内氏により京の都を模した街づくりが進められ、独自の文化が発展したことから「西の京」ともいわれ、現代にもその繁栄の歴史遺産が数多く残っています。アメリカのニューヨーク・タイムズ紙が発表した「2024年に行くべき52カ所」で、世界各地の旅行先の中で山口市が3番目に選ばれるなど、日本の文化を体感できる観光地として世界から注目されています。
※同じ山口市にある今八幡宮と山口大神宮に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】山口県「今八幡宮」の山口総鎮守と木戸孝允ゆかりの御朱印
【御朱印情報】山口県「山口大神宮」の「西のお伊勢さま」の伝統的な御朱印
世界から注目されている山口市の歴史や文化を楽しむことができるスポットとして、瑠璃光寺にはたくさんの参拝者・観光客が訪れます。
室町時代の文明3年(1471年)に応仁の乱で戦死した陶氏6代目陶弘房(すえひろふさ)の菩提寺として、夫人により現在の山口市仁保地区に建立されました。陶氏とは、大内家の第一重臣の家柄で大内氏とも縁戚関係にあり、周防国の守護代職を世襲していました。
室町時代の後期、日本各地で戦乱がおこっていた天文20年(1551年)に、10代陶隆房(すえたかふさ)が31代大内義隆(おおうちよしたか)を襲い、大寧寺で自害に追い込みます。その後、義隆の姉の子で大友宗麟(おおともそうりん)の弟の大友晴英(おおともはるひで、のちに義長と改名)に大内氏の跡目を継がせますが、天文24年(1555年)の厳島の戦いで毛利元就(もうりもとなり)に敗れ戦死します。弘治3年(1557年)に大内義長が自害したことに殉じて陶氏は断絶します。
創建に深く関わった陶氏が滅びたあとも、瑠璃光寺は、長門国の大寧寺、周防国の龍文寺とともに曹洞宗の中国三山の一つとされ、江戸末期まで多くの修行僧を抱えていました。現在でも本山に次ぐ格式を持つ常恒会地という寺格の寺院として重要な役割を担っています。
瑠璃光寺の御朱印の中央には、「佛心」という墨書きと「国宝瑠璃光寺五重塔」の印が押されます。
「佛心」とは、曹洞宗で使われるお経の一節から取られた言葉で、仏様は我が身をすり減らしても人をお救いくださるという意味があるそうです。
御朱印に印が押される「国宝五重塔」が、大内文化を現代に伝える象徴的な存在で、山口市のシンボルにもなっています。
瑠璃光寺五重塔は、その美しさから奈良県の法隆寺、京都の醍醐寺と並び「日本三名塔」の一つとされています。高さ31.2mの塔は上層に行くほど間を詰めているため、塔の胴体部分が細くすっきりと見えるのが特徴です。
私が瑠璃光寺を訪れた令和6年(2024年)1月現在は、令和の大改修中のため残念ながら全体像は見えませんでしたが、工事の覆いに五重塔のシルエットが描かれていました。
観光客を案内していたタクシー運転手さんが女性二人組のお客さんに、シルエットを見せながら「上層に行くほどスッキリしていることと、檜皮葺で作られる曲線で優雅な姿になるのです」と説明されていました。建築様式は、和様をメインとし一部禅様を取り入れています。装飾が少ない曲線美に私たちの美的感覚が刺激されるのが、人気の秘訣でしょう。
この五重塔は、元々は「香積寺(こうしゃくじ)」という別のお寺に建てられたものです。
香積寺は大内氏の25代大内義弘(おおうちよしひろ)により開基されました。先代の24代大内弘世(ひろよ)が山口に都市基盤を整備して大内文化の基礎を作ったとされ、大内文化が華開いていった時代です。大内氏は日明勘合貿易の実権を握っていたことで繁栄したといわれていて、漢詩文を操る香積寺の僧侶も重要な役割を果たしたと伝わっています。
五重塔は、義弘の弟である26代大内盛見(おおうちもりはる)により建設が始まり、盛見の息子の28代大内教弘(おおうちのりひろ)の時代に完成しました。
時代は下り、大内氏と陶氏を滅ぼした毛利氏が関ヶ原の戦いに敗れ、安芸国から防長2カ国に本拠を移します。慶長8年(1603年)に毛利氏により廃寺となった香積寺では、安芸国郡山城内にあった毛利元就の位牌を仮安置し、元就三十三周忌の法会が営まれました。香積寺は、元就の菩提寺である「洞春寺(どうしゅんじ)」の役割を勤めました。
さらに元和2年(1616年)に毛利輝元(もうりてるもと)の命により香積寺の建物は萩城内二の丸の洞春寺に移されますが、五重塔は山口の人々の懇願により、この地に残されました。
さらに時代が進み、元禄3年(1690年)に香積寺が解体された跡地に瑠璃光寺が移ってきたことにより、現在は瑠璃光寺の五重塔として大切に受け継がれています。
瑠璃光寺では、基本の御朱印の他にも限定御朱印が数種類授与されていました。
私が参拝した日はちょうど満月のタイミングで、毎月1回授与される満月限定御朱印をいただくことができました。御朱印には、満月に照らしだされる五重塔と、塔内に安置されている阿弥陀如来の文字がカラフルに描かれています。
他にも代金が令和の大改修の工事費用にあてられる限定御朱印が授与されていました。
瑠璃光寺は山口市が管理する香山公園の中にあるため拝観料をとっておらず、改修費用をまかなうための寄附を様々な方法で募っていて、令和の大改修の限定御朱印は五重塔の檜皮葺の改修工事をしている間は授与を継続する予定とのことでした。
令和の大改修は令和5年(2023年)1月から令和8年(2026年)3月までの予定で、五重塔の全容を見ることができないことは残念ですが、この期間ならではの楽しみもあります。
五重塔は、今後改修が終わった箇所から随時透明なアクリル板で覆う計画になっているので、その美しい姿が少しずつ見られる機会も楽しみです。
瑠璃光寺は、西の京ともいわれる山口市の歴史や文化を現代に伝える名刹で、山口市観光の拠点でもあります。令和の大改修中は、五重塔の姿が隠れているのは残念ですが、改修中ならではの特別企画や限定御朱印もありますので、今だけの楽しみ方を見つけてみてください。
ライター:さくらブロッサム
歴史好きなWebライター。関西地方で暮らしていた18年前に御朱印に出会い、子どもを連れて家族で神社仏閣を巡り、集めた御朱印帳は3冊になりました。夫婦二人暮らしになり、神社仏閣巡りを再開。人々の祈りに込められた思いを大切にした御朱印の魅力をご紹介します。
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