- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
愛知県美浜町にある四国直伝弘法39番札所「全忠寺」は、住職自らが書き入れる、迫力のある御朱印や期間限定の個性的なアート御朱印が人気です。2024年1月に発生した能登半島地震の復興支援御朱印の授与をいち早く開始されました。
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愛知県美浜町にある四国直伝弘法39番札所「全忠寺(ぜんちゅうじ)」は、知多半島の南中部、名鉄河和(こうわ)駅から南に徒歩15分の場所にある曹洞宗の寺院です。
全忠寺が39番札所になっている「四国直伝弘法(しこくじきでんこうぼう)」とは、正式名称は「四国直傳弘法大師尾張八十八ヶ所霊場」という霊場で、大正14年(1925年)10月7日に、四国に似た風光明媚な知多半島の地に、弘法大師を奉安し、そのご威徳を慕い奉るという趣旨により、当時の四国八十八ヶ所霊場会長で弘法大師空海の誕生地である善通寺誕生院(香川県)の貫主、さらに弘法大師空海の出身家の子孫でもある佐伯宥粲より「四国直伝証」を拝受し、開設されました。
知多半島には、四国八十八ヶ所霊場の写し霊場として「知多四国霊場」があり有名ですが、四国直伝弘法の札所は知多四国霊場の札所とはほとんどが別の寺院で構成されていて、「直伝弘法さん」の愛称で長く親しまれています。
それほど広くない知多半島のエリアに、たくさんの寺院があり、複数の霊場が存在することは、知多半島の文化に仏教信仰・弘法大師信仰が大きな影響があった歴史を物語っています。
※知多四国霊場に関しては、以下リンクの四国遍路情報サイト「四国遍路」の知多四国霊場カテゴリーで、いろいろな情報を発信していますので、ぜひこちらもご覧ください。
全忠寺は、室町時代後期の戦乱の世が起源と伝わっています。
天文3年(1534年)に、愛知県の三河地方の現在の田原市にあった田原城主三代目戸田孫八郎が、知多半島にある現在の美浜町に河和城を築き伊勢湾の九鬼水軍を監視していました。今川義元からその忠義を賞せられ「全忠」という号を賜り、仏教の教えを心から信じていた孫八郎は、城外に一道場を建立して「全忠寺」と名付け、禅僧宗薫和尚を師と仰ぎ初代住職とし、開山したとされています。 徳川家康も本能寺の変の後に戸田家を頼りに来山した記録ものこっていて、後に本堂や庫院を寄進されてます。今川義元も佛殿を寄進し、知多半島の寺院の中で、現在でも大きな規模を誇る寺院のひとつです。
全忠寺入口の巨大な山門には、七福神の彫刻が刻まれており、どこにあるのかを見つけるのも楽しみのひとつです。山門上部には、かつて知多半島の大部分を支配した有力な武家である水野家(戸田家)の家紋や永楽通宝の紋が大きく彫ってあり、武家とのつながりの歴史を今なおのこす、戦国の歴史好きにはたまらない寺院でもあります。
全忠寺の御本尊は釈迦如来ですが、千手観音菩薩も祀られており、南知多三十三観音霊場の3番札所にもなっています。
南知多三十三観音霊場は、愛知県の知多半島南端の美浜町と南知多町の観音様を祀る寺院を巡る観音霊場です。
昭和時代初期に、地元の観音霊場信者の強い要望もあって、西国三十三観音霊場のご分身を奉安し開創された西国三十三観音霊場の写し霊場です。総行程45㎞ほどのせまいエリアに、札所が33ヶ寺、番外札所が4ヶ寺、全部で37ヶ寺で構成されていますので、移動時間もそれほど限らず気軽に参拝しやすい霊場です。
全忠寺では、南知多三十三観音霊場3番札所の千手観音菩薩の御朱印をいただくことができます。
この御朱印は、私がオーダーして使用しているオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。私の千年帳のサイズは大判(縦257mm×横182mm)で、一般的な御朱印帳よりも大きなサイズなので、千手観音の文字を住職のおもいのまま表現していただくことができました。
御朱印を書き入れていただいた本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の中でも「三椏紙(みつまたし)」という表面が滑らかなものを選択しています。書き入れていただいた住職からは、ハライが最後まで綺麗にでて、微妙なかすれ具合が出しやすかったと、ありがたい言葉をいただきました。
※千年帳のサイズ・本紙に関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。
書きあがった文字は、太い線と細い線の組み合わせが素晴らしく、熟練のテクニックを感じられました。住職の豊富な知識や経験と、感性・技術・心境・境地など全てが組み合わさった書道家のような素晴らしい芸術作品だと感じました。住職は「墨をつけて一気にかけるので書きやすい」と嬉しいコメントもいただきました。
この御朱印を見返すと、全忠寺の参拝時の住職との楽しい会話が思い出され、御朱印のありがたさがより一層増します。
千手観音菩薩は、あらゆる人々の苦しみや願いを聞くため、三十三の姿に変化するともいわれ、最も慈悲深く力強い観音様として知られています。千手観音に信仰を寄せることで、幸せな人生を歩むことができるといわれ、災難除け・病気平癒・夫婦円満・恋愛成就など、あらゆる現世利益があります。また、後生善処や浄土往生などの後世の利益もあるとされています。
全忠寺の千手観音の御朱印は、このような千手観音菩薩の慈悲深さや力強さがしっかりと感じられます。
全忠寺では、御本尊や千手観音菩薩の御朱印のほかに、月替わりの期間限定で住職オリジナルのアート御朱印や、イラストレーターさんや他寺とのコラボ御朱印などを授与していて、御朱印巡り好きの人の間で話題になっています。どの御朱印も芸術性が高く、絵や書体が個性的なので、定期的に参拝して御朱印をコレクションしていきたくなります。
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私は今回、アート御朱印のバリエーションのうち、令和6年(2024年)1月に発生した能登半島地震の被災者を応援するために企画された復興祈念御朱印をいただきました。
だるまは、達磨大師の顔をかたどった人形で、倒れても必ず起き上がる形状から、強い意志を表すとされています。どんな願い事でも叶えてくれるという信仰対象でもあり、縁起の良いものとして広く一般に親しまれており、だるま・達磨大師は全忠寺の期間限定御朱印にもいろいろな姿でたびたび登場しています。
だるまを描いた復興祈念御朱印は、被災地の復興を願う参拝者の気持ちを乗せて、現地に届けることを目的として、能登半島地震が発生してからすぐに住職が企画されました。だるまの黄金色は、石川県金沢市の特産品である金箔をイメージしており、金運や商売繁盛のご利益も期待できます。
この御朱印は住職が手書きで一つひとつ丁寧に仕上げています。だるまの絵以外の文字も、大きさや間隔を揃えてバランスよく、書体も強弱や抑揚つけられており、書き手である住職の気持ちが文字に込められており、御朱印を手にした人にも伝わってくると思います。できあがった御朱印を受け取るときに、住職から「皆様のお気持ちに感謝いたします」というありがたいお言葉もいただきました。
私は、この復興祈念御朱印が、被災地の人々にも、参拝者にも、希望と勇気を与えてくれる素晴らしいものだと思いますし、住職の気持ちや技量が存分に発揮されたすばらしい芸術作品であるとも感じました。
能登半島地震復興祈念御朱印の奉納料は、全忠寺より全額が復興支援のために寄付されます。令和6年1月31日現在で、御朱印の授与期間は定められておらず、継続的に拝受が可能で、郵送での御朱印授与にも対応もされていますので、詳しくは全忠寺の公式情報を確認してみてください。
※全忠寺とコラボ御朱印を発行されるなどしている誓海寺などの、同じ知多半島で能登半島地震復興支援御朱印を授与する取り組みを以下リンクの記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
【御朱印情報】知多四国霊場の札所で授与されている能登半島地震復興支援御朱印
全忠寺の住職が自ら書き入れてくださる御朱印は、バリエーションが豊富で、個性的でエネルギッシュに表現されたオリジナルアート御朱印は、芸術性がとても高いアート作品ともいえます。住職が一つ一つ丁寧に優しく対応をしていただけるので、相手に敬意や感謝の気持ちを忘れてはならいというお釈迦様の教えをあらためて感じさせられる体験になりました。
ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)も楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。
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愛媛県松山市にある「伊豫豆比古命神社(通称:椿神社)」で毎年2月中旬に行われる「椿まつり」には、多くの人が訪れ、松山市の風物詩になっています。椿まつり期間限定の華やかで特別感のある御朱印をいただくことができます。
福岡県北九州市にある「高見神社」は、古くから「八幡製鐵所の守護神」として親しまれている神社です。時期やイベントに合わせて授与される境内の様子の写真を元にデザインされた期間限定御朱印が話題になっています。
東京都文京区にある「湯島天神」は、学問の神様「菅原道真」を祀り、合格祈願にたくさんの受験生が参拝することで知られています。季節の祭事や境内に美しい花が咲く時期に合わせて、季節限定のいろいろな御朱印が授与されています。
和歌山県那智勝浦町にある「熊野那智大社」は、世界遺産にも登録されている熊野三山のうちの一社です。御縣彦社の八咫烏、飛龍神社の那智の滝が有名で、それに関連する御朱印もいただくことができます。