
- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
福岡県宗像市にある「宗像大社」は、日本神話に登場する宗像三女神を祀り、「辺津宮」「中津宮」「沖津宮」の3社で構成されています。離島である大島にあり豊かな自然環境の中津宮では、「七夕伝説発祥の地」の記されると御朱印と沖津宮遥拝所の御朱印をいただくことができます。
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福岡県宗像市にある「宗像大社(むなかたたいしゃ)」は、本土に鎮座する「辺津宮(へつぐう)」、本土から約11km離れた離島の大島(おおしま)に鎮座する「中津宮(なかつぐう)」、大島からさらに約49km先の沖ノ島(おきのしま)に鎮座する「沖津宮(おきつぐう)」の3社で構成されている神社です。日本最古の歴史書である「古事記」「日本書紀」にも名前が登場するほど歴史が古く、日本最古の神社の一つとされています。
辺津宮に三女の「市杵島姫神(いちきしまひめ)」、中津宮に次女の「湍津姫神(たぎつひめ)」、沖津宮に長女の「田心姫神(たごりひめ)」の3柱の女神がそれぞれ祀られていて、3柱は総称して「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」を呼ばれています。
日本神話において、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が姉である天照大神(あまてらすおおみかみ)を尋ねて天に昇ったところ、天照大神は素戔嗚尊に国を奪おうとする悪心があるのではないかと疑い、男装し武装して待ち構えました。素戔嗚尊は自身が清い心を持っていることを証明するため、互いに誓い(うけい)をして子を生もうと提案し、天照大神は素戔嗚尊の十拳劔(とつかのつるぎ)を受け取って3つに折って天の真名井でゆすいでから噛み砕き、吹き出した息の霧から生まれたのが宗像三女神であるとされています。
天照大神は宗像三女神に対して「九州から半島、大陸へつながる海の道へ降りて、歴代の天皇を助けると共に歴代の天皇からあついまつりを受けよ」と神勅したとされていて、宗像三女神は現在のそれぞれの宮がある場所に降臨したと伝わっています。このような経緯から、宗像三女神は、あらゆる「道」の最高神として航海の安全や交通安全などを祈願する神様として崇敬をあつめ、特に古代に畿内から九州を経由し渡海していた遣隋使・遣唐使・遣新羅使が宗像三女神が祀られている島々を目印に航海していたという記録がのこっています。
現在の宗像大社は、全国に約7,000社あるといわれる宗像三女神を祀る宗像神社(むなかたじんじゃ)、厳島神社(いつくしまじんじゃ)などの総本社として信仰されています。天照大神を祀る伊勢神宮(いせじんぐう)と関係が深いことから「裏伊勢(うらいせ)」とも称されます。
※伊勢神宮に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
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沖津宮がある沖ノ島では、古代祭祀の奉献品が多数出土していて、その大部分は国宝に指定されており、「海の正倉院」とも呼ばれ貴重な文化財を現在に受け継いでいます。平成29年(2017年)には「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の一つとして、ユネスコの世界文化遺産にも登録され、たくさんの参拝者・観光客が訪れています。
古くから沖津宮がある沖ノ島への中継地点であった大島にある宗像大社の「中津宮」は、渡船で大島に渡り大島港渡船ターミナルから徒歩5分ほどの場所にあり、宗像三女神のうち「湍津姫神」を祀る神社です。
大島島内で最も高い標高224mほどの御嶽山(みたけさん)の山頂に湍津姫神が降臨したことが中津宮の起源と考えられていて、御嶽山山頂には湍津姫神の荒魂(あらみたま)を祀る御嶽神社が築かれました。現在は、御嶽山山麓に中津宮の拝殿・本殿があり、急な参道の石段を上った先にある本殿の周囲には恵比須神社や天満宮をはじめとする10以上の境内社があります。
宗像大社中津宮の御朱印は、本殿の左手にある社務所でいただくことができます。
右上に「奉拝」、中央に「中津宮」の墨書きと、右下に「七夕伝説発祥の地」の青印、右上に「楢の葉」の印、真ん中に「宗像大社 中津宮」の朱印がおされるデザインで、御朱印帳に直書きしていただき、初穂料は500円でした。
御朱印に記されているように、宗像大社中津宮は七夕伝説が生まれたと伝わる地です。
昔、唐の国につかえに行った貴公子が、織女を伴って帰国の途中、深い恋仲となりましたが、 それは一時的な縁で、ふたりは日本に着いて離ればなれになってしまいます。 貴公子は織女を想い日々を過ごしていましたが、ある夜、夢枕で神のお告げを受け、筑前大島の中津宮に来て、 天の川にたらいを浮かべ、水鏡に映る織女との逢瀬を楽しみに、神仕えの身になったという伝説があります。
境内には「天の川」が流れていて、川を挟むようにして本殿に向かって左手に「織姫神社(しょくじょじんじゃ)」が、本殿に向かって右手に「牽牛神社(けんぎゅうじんじゃ)」が鎮座しています。両社は縁結びや芸事上達にご利益のある神社として人気を集めています。
旧暦の7月7日に近い毎年8月7日には「七夕祭」が開催され、七夕限定朱印が授与されています。七夕限定朱印は、本土の辺津宮では授与されておらず、いただけるのは中津宮だけとあって、限定の御朱印目当てに多くの人が訪れています。
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玄界灘のほぼ真ん中、沖津宮が鎮座する沖ノ島は、島全体が御神体であり、「神宿る島」と称される神聖な島で、現在の沖ノ島は、宗像大社の神職など限られた人しか上陸できません。
そのため、大島から沖津宮を遥拝するために、中津宮から約2km離れた大島北部の沖ノ島を望む海沿いに「沖津宮遙拝所(おきつぐうようはいじょ)」が建っています。沖津宮遥拝所の本殿は沖ノ島の拝殿の役割を果たしているので、沖ノ島の方向を向いて建っています。遥拝所と沖ノ島は約48km離れていますが、途中に障害物はないので、天気の良い日には沖ノ島を肉眼で確認することができます。
かつては沖津宮の神事がここ大島の沖津宮遥拝所で執り行われていました。現在でも、毎年の春と秋の沖津宮大祭は沖津宮遥拝所で開催されていて、普段は閉じられている社殿の扉や窓が大祭当日には開放され、社殿から沖ノ島を遥拝できます。
宗像大社沖津宮遙拝所の御朱印も授与されていますが、沖津宮遥拝所には神職が常駐していないので、中津宮の社務所でいただく形になります。「遥拝」「沖津宮」「参拝日」の墨書きと、神紋である「楢(なら)の葉紋」「宗像大社沖津宮遥拝所」の御朱印がおされるデザインで、御朱印帳に直書きしていただき、初穂料は500円でした。
大島にある宗像大社中津宮を訪れた際には、沖津宮遥拝所までぜひ足をのばして沖津宮を遥拝し、沖津宮に祀られている田心姫神ともご縁をいただいてみてください。
宗像三女神を祀り、古代から航海安全・交通安全の神として信仰されてきた宗像大社の中でも、中津宮は本土から約11km離れた大島にあり、船でアクセスする必要があり参拝難易度は高いですが、豊かな自然に囲まれた神聖な雰囲気の境内での参拝は特別な体験になると思います。中津宮参拝の際には、大島島内にある沖津宮遥拝所にも足をのばして、七夕伝説発祥の地と記される中津宮の御朱印と、沖津宮遥拝所の御朱印を宗像三女神とご縁を結んだ証としてぜひいただいてみてください。
※宗像大社の辺津宮と沖津宮に関しては、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】福岡県「宗像大社辺津宮」でいただける神紋「楢の葉」が印象的な御朱印
【御朱印情報】福岡県「宗像大社沖津宮」の船上からの「遥拝」でいただいた御朱印
※宗像大社の辺津宮、中津宮、沖津宮の御朱印情報に関して、以下リンクの記事でまとめていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】福岡県「宗像大社」の「辺津宮」「中津宮」「沖津宮」の御朱印情報まとめ
ライター:neko
学芸員の資格を持つWebライター。九州を中心に全国の寺社仏閣に出掛け、御朱印を集めるのが趣味です。今までにいただいた御朱印は、御朱印帳5冊ほどになりました。
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