- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
東京都千代田区にある「神田明神」は、江戸幕府の庇護を受けた歴史をもち、庶民からも崇敬される「江戸総鎮守」です。日本三大祭のひとつ「神田祭」が有名で、通常の御朱印の他に祭礼限定や期間限定の御朱印も企画されています。
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東京都千代田区にある「神田明神(かんだみょうじん)」の正式名称は「神田神社(かんだじんじゃ)」で、東京都の中心エリアである神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、また、旧神田市場や豊洲魚市場、108町会の氏神様として「明神さま」の名でも親しまれています。
御祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」「少彦名命(すくなひこなのみこと)」「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」で、それぞれ、縁結び、商売繁昌、除災厄除にご利益があるとされています。
神田明神の歴史は、天平2年(730年)に遡ります。出雲氏族の「真神田臣(まかんだおみ)」により、現在の東京都千代田区大手町、将門塚の近くに創建されたのが始まりです。その後、延慶2年(1309年)に平将門の霊を相殿に祀り、神田明神と名付けられました。江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616年)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、幕府のみならず江戸庶民からも崇敬を受ける「江戸総鎮守」として知られるようになりました。
神田明神では全国的にも有名な「神田祭(かんだまつり)」が開催されます。隔年で5月中旬に行われる祭礼で、日枝神社(ひえじんじゃ)の「山王祭(さんのうまつり)」、富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の「深川祭(ふかがわまつり)」と並んで江戸三大祭の一つとされています。さらに、京都府・八坂神社(やさかじんじゃ)の「祇園祭(ぎおんまつり)」、大阪府・大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)の「天神祭(てんじんまつり)」と共に日本三大祭の一つにも数えられています。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康が合戦に臨む際、神田明神で戦勝の祈祷が行われました。徳川軍は以前に祭礼が行われていた旧暦9月15日に勝利し、天下統一を果たすことになります。これ以降、縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう徳川将軍家より命ぜられたのが神田祭のはじまりとされています。
現在の主な行事としては、祭神を御輿に移す鳳輦神輿遷座祭(ほうれんみこしせんざさい)、各町内会の連合渡御である氏子町会神輿神霊入れ、伝統の神事能である明神能・幽玄の花、そしてすべての神職が奉仕する例大祭などがあります。また、太鼓フェスティバルなど各種イベントも併催されるなど、祭りの時期はたいへんにぎわいます。
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神田明神でいただける通常の御朱印は、きりりとした印象で、手に取ると、身の引き締まるような気分になります。
右下にある「元准勅祭十社之内」という印が押されています。これは明治政府が東京近郊の12の神社を皇城(今の皇居)を守護する准勅祭社と定めたものが、後にそのうちの10社を巡る「東京十社巡り」と企画されたもので、神田明神もそのうちの1社であることを示しています。
通常の御朱印以外にも期間限定の御朱印も多数企画されており、中でも神田祭の限定御朱印は、祭礼の伝統を感じさせる重厚さと華やかさがありますので、神田祭を訪れた際にはぜひチェックしてみてください。
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御朱印は、境内の「文化交流会館EDOCCO」でいただくことができます。初穂料は令和6年(2024年)9月現在で通常の御朱印が500円で、限定の御朱印は種類によって初穂料がそれぞれ変わるようです。文化交流会館EDOCCOは、芸能・アート・食など、日本文化を様々な視点で楽しむことができるスペースになっていて、江戸から現在へ、そして、人から人へ、文字通り文化交流できる場として、素敵な空間です。
神田明神の見どころといえば、なんといっても壮麗な「社殿」です。
かつて江戸幕府によって造営された神田明神の社殿は、木造の権現造、総朱漆塗のものでした。江戸時代後期を代表する神社建築として貴重なものでしたが、大正12年(1923年)の関東大震災により焼失してしまいました。
その後、昭和9年(1934年)に再建された新しい社殿は、権現造の総朱漆塗が再現され、当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリートでの建造でした。小屋組を鉄骨にすることで荷重を軽減し、柱間を狭めるなどして木造建築の姿に近づけるような工夫が施されているため、鉄骨鉄筋コンクリート造であることを感じさせません。
設計を担当したのは、伊東忠太(いとうちゅうた)、大江新太郎(おおえしんたろう)、佐藤功一(さとうこういち)といった近代の神社建築や都市建築を代表する建築家たちで、特に伊東は、日本の神社仏閣建築の価値を学問的に示した、日本建築史の創始者としても知られており、1943年(昭和18年)に建築業界から初めて文化勲章を受章しています。
彼らの設計には、当時としては革新的な様式が随所に取り入れられていました。本殿、幣殿、拝殿や神饌所、宝庫は重なり合うように造られていますが、昭和初期の神社建築としては画期的なものでした。拝殿の手前を土間にし、その先を畳敷きの床にすることによって、参拝者が靴を履いたまま立って拝礼でき、神職が床において祭式を行うこともできるようになっています。昭和初期の段階で、現代にも通じる社会様式に対応した構造を採り入れていた先進性がうかがえます。
昭和20年(1945年)の東京大空襲により東京都の中心部は一面焼け野原となりましたが、鉄骨鉄筋コンクリート造で耐火構造だった神田明神の社殿は、わずかな損傷のみで戦災を耐えぬきました。
平成15年(2003年)には、国登録有形文化財に登録されるなど、歴史的にも、建築物的にも、たいへん価値のある社殿です。
神田明神には、社殿以外にもたくさんの見どころがあります。
力石(大盤石)は、かつて若者たちが「力くらべ」に使っていたとても重い石で、直径80cm、短径67cm の大きさで、文政5年(1822年)に神田仲町2丁目の柴田四郎右衛門が持ち上げたという記録が残っています。江戸時代の若者たちの生活や娯楽の様子を垣間見れる史料として、千代田区の文化財に指定されています。
石獅子は、江戸時代に奉献された関東三大獅子の一つで、千代田区内に現存する数少ない江戸時代の石造物の一つでもあります。当時の庶民の信仰を伝える貴重な史料です。
大公孫樹(おおいちょう)の巨木は、江戸時代から境内にあると伝わっています。大正時代の関東大震災により社殿をはじめ神社の諸施設がことごとく炎上し崩壊したなか、焼け跡に残りました。江戸時代に月見の名所に植えられた大公孫樹は、大正時代や昭和時代に幾度となく災害に遭遇しながらも、この地の歴史を伝えてきた大切な御神木とされています。
江戸総鎮守として、東京の中心部を今も変わらず見守り続けている神田明神。参拝し御朱印をいただいて、この地に刻まれてきた江戸の歴史に想いをはせてみてください。
ライター:wami
ボサノバなどブラジル音楽を歌う傍ら、趣味の旅行や落語を中心に、好きなことを徒然と綴っているライター。御朱印を集める母の影響で自身も御朱印好きに。拝受した御朱印は御朱印帳で10冊程になりました。
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