- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
高知県高知市にある「高知八幡宮」は、高知市中心市街地の氏神として、長く信仰されている神社です。「高知城下鎮守」と記され、八幡大神の御神徳を象徴する「三つ巴紋」「向かい鳩」の朱印がおされる基本の御朱印のほか、境内の様子を描いた限定アート御朱印が授与されています。
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高知県高知市の中心市街地、JR高知駅の南側を流れる江の口川のほとりにある「高知八幡宮(こうちはちまんぐう)」は、高知城下町の氏神として長く信仰されている神社です。
高知八幡宮の起源は、鎌倉時代末期にさかのぼるとされています。
現在の高知市中心市街地にあたる地域を当時治めていた領主・大高坂松王丸(おおたかさかまつおうまる)が、大高坂城(高知城の前身)の守護神として、京都の石清水八幡宮から神霊を城内に勧請したのが始まりと伝わっています。正確な勧請年月や創建当初の詳しい沿革については明らかになっていませんが、大高坂城内に祀られていた神社だと考えられています。
戦国時代の関ヶ原の戦い後に戦国武将・山内一豊(やまうちかずとよ)が土佐國(とさのくに、現在の高知県)に入国し高知城を築城すると、八幡宮は城内の本丸から西ノ口御門内へと遷座されました。以後、江戸時代約270年にわたり城内城下鎮守の神として崇敬され、特に土佐藩主からの信仰が厚く、藩主直祭社として位置づけられました。また、高知城下や周辺地域の氏神として、城外に遥拝殿を設けて氏子の祭祀が行われ、江戸時代には「高知祭」と呼ばれる盛大な祭礼が行われていたことが記録に残っています。
明治維新後になると、城下町の人々から「氏子の中心地に氏神を迎えたい」という強い要望が起こり、明治時代初期に現在のはりまや町へ奉遷されました。
昭和20年(1945年)の高知大空襲で社殿を焼失しましたが、氏子の尽力により昭和28年(1953年)に再建され、現在も高知市中心市街地の信仰の中心的役割を果たし、地元住民に親しまれています。
※高知城に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】高知県「高知城」の土佐藩主・山内家の歴史・功績や建造物の特徴を読み解く御城印


高知八幡宮では、社殿に向かって右側にある社務所で複数種類の御朱印が授与されています。
基本の御朱印は、「三つ巴紋」の金印、「2羽の鳩」「社名」の朱印、「奉拝」「高知八幡宮」「参拝日付」の墨書きに、「高知城下鎮守」のスタンプがおされるデザインで、持参した御朱印帳に直書きしていただき、初穂料は500円でした。

「高知城下鎮守」のスタンプは、高知八幡宮が古代より地域の氏神として信仰されてきた歴史の深さを象徴しています。
高知八幡宮の御祭神は、第15代・応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)・宗像三女神(むなかたさんじょしん)を総称した「八幡大神(はちまんおおかみ)」です。
応神天皇は、日本に初めて文字を伝え、学問を広めることで国威を挙げた天皇と伝わっていて、 産業開発や文化学問守護の御神徳が高い神とされています。
神功皇后は、第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の妻で応神天皇の母でもあり、九州から国を渡り新羅征討を成し遂げたといわれ、交通・文化・安産・勝運などの守護神とされています。
宗像三女神は、多紀理比賣神(たぎりひめのかみ)・市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)・多岐都比賣神(たきつひめのかみ)の三姉妹のことで、応神天皇・神功皇后から崇敬された九州から半島・大陸へつながる海の道を守護し天皇を助ける神であり、陸上海上交通守護・殖産興業の霊威高い神とされています。
八幡大神は、源氏が一門の総氏神としていたことから武門の守り神としても広く知られています。
御朱印に記される「三つ巴紋」は、全国にある八幡宮で広く使われている八幡大神を象徴する神紋です。
図案は、応神天皇は鞆(とも、弦の衝撃を防ぐために左手首につける半月形の袋状)を携えて生まれた、勾玉(まがたま)を図案化した、水が渦を巻くさまを図案化した、など由来が諸説あります。
※全国の八幡宮の総本宮である宇佐神宮と、全国の宗像三女神を祀る神社の総本宮である宗像大社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】八幡総本宮の大分県「宇佐神宮」の歴史を体感できる御朱印
【御朱印情報】福岡県「宗像大社」の「辺津宮」「中津宮」「沖津宮」の御朱印情報まとめ
この御朱印のデザインで印象的なのが「2羽の鳩」です。
八幡宮の総本宮である宇佐神宮の八幡神の古記録・神のお告げを記した「宇佐八幡宮託宣集・霊巻の巻5」で、応神天皇の神霊が山頂の巨石から「金色の鷹」となって出現し、鍛冶の翁、童子へと変わり、後に「金の鳩」に変じたと記されています。また、宇佐神宮から石清水八幡宮に分霊された時や、源氏が祈願した際に金の鳩が出現した、応神天皇が国内を平定する際に鳩が道案内をしたなど、鳩にまつわる伝説がいくつもあります。
そのため、鳩は八幡大神の使いと考えられ、全国の八幡宮には鳩の絵柄がいたるところに描かれています。
また、八幡宮の「八」の文字を2羽の鳩が向かい合わせになっている様子で表現する「向い鳩」も有名で、この御朱印に朱印で記されています。
八幡宮と鳩は非常に結びつきが強く、縁起良い鳥として親しまれています。
私が今回いただいた御朱印は、株式会社四国遍路が制作・販売しているオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。
本紙は、高知県で伝統的に受け継がれている「土佐和紙」の中でも、現地で栽培・収穫された楮(こうぞ)という植物原料を使い、伝統的な製法で職人さんが1枚1枚手漉きした「土佐手漉和紙」です。社務所の係の人が丁寧に書き入れてくださった墨書きは、はらいやはね、横線に絶妙なかすれが出ていて勢いを感じる仕上がりで、線の太い部分が浮かび上がっているように見え、墨の染み込みがよく独特の凹凸感がある楮紙だからこそできる表現になっていると思います。
高知県で作られた特別な和紙に、高知県の中心地を守護する神社の御朱印をいただき、いつにも増して御朱印に特別感が感じられ、参拝の思い出とともに大切にしていきたい気持ちを強く持ちました。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。
高知八幡宮では、基本の御朱印のほかにも、境内の様子が描かれた月替わり御朱印や切り絵御朱印などのアート御朱印も授与されていますので、参拝の際にはどのような御朱印が授与されているか、社務所でチェックしてみてください。

高知八幡宮には、いくつかの神社が合祀されていて、その中でもユニークなのが「釣船神社(つりふねじんじゃ)」です。
昔、御畳瀬浦(みませのうら、高知市南西部の浦戸湾の海域)の船が釣りをしているとキスゴの漁が多く、その中に御神体が上がり、釣船大明神として祀ったところたちまち御神威を発揮し、熱病退散の霊験あらたかで熱切りの神様と信仰されるようになった、という伝説があるそうです。
この伝説から、「きすご様」の愛称でも親しまれていて、熱冷ましの祈願に参拝する人が多く、転じて、受験生が風邪をひかずベストコンディションで受験できるようにと願い参拝する人も多いとのことです。



高知八幡宮は、高知城下町の鎮守として地域の人々を見守り続け、多様なご利益をいただける神社として地元の人が折に触れて参拝に訪れています。御朱印には、八幡大神の御神徳を象徴する三つ巴紋や向かい鳩の印がおされ、八幡大神とご縁を結んだ証としてたいへんありがたいものです。高知市中心市街地を訪れた際にはぜひ立ち寄って、地域の歴史を感じてみてください。
※高知県高知市で御朱印が人気の寺社が、以下リンクの記事でまとめて紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
ライター:千年帳編集部
オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」の商品詳細情報や魅力、こだわりなどを発信しています。千年帳を携えて寺社を参拝し、実際に拝受した御朱印の情報など、御朱印巡り好きの人のためのお役立ち情報もお届けします。
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島根県出雲市にある「出雲大社」は、ご縁を求める人が全国から集まってくる「縁結びの神様」として知られています。御本殿、神楽殿、出雲教北島國造館、天神社の4種類の御朱印をいただくことができ、どれも伝統的なシンプルなデザインで風格があります。
岩手県平泉町にある「達谷窟毘沙門堂」は、巨大な岩壁にくいこむように建てられたお堂で、国の史跡にも指定されている名勝です。戦を勝利に導く仏神として信仰されている毘沙門天の使いである「虎」の朱印が印象的な御朱印をいただくことができます。
岐阜県垂井町にある「伊富岐神社」は、聖山として信仰される伊吹山の麓に鎮座し、関ケ原の戦いともゆかりがある古社です。美濃国二宮として地域に大切にされてきた歴史があり、由緒正しき御朱印をいただくことができます。
山口県長門市にある「元乃隅神社」は、120基以上もの鳥居と日本海が織り成す絶景が話題になっている神社です。稲荷神社との関わりの深いきつねが可愛く描かれた御朱印のバリエーションを目当てに参拝に訪れる人も少なくありません。