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【御朱印情報】高知県「秦神社」の戦国武将・長宗我部家ゆかりの高知の歴史を感じられる御朱印

高知県高知市にある「秦神社」は、日本で唯一の戦国武将・長宗我部元親を祭神とする神社です。長宗我部家の家紋と、坂本龍馬に影響を与えたという絵師が彫った貴重な印の朱印がおされる御朱印をいただくことができます。

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戦国武将・長宗我部元親を祀る「秦神社」

高知県高知市の南部、太平洋に面する高知の観光名所「桂浜(かつらはま)」の近くにある「秦神社(はだじんじゃ)」は、四国八十八ヶ所霊場33番札所として知られる「雪蹊寺(せっけいじ)」に隣接している神社です。日本で唯一の戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を御祭神としていて、秦家代々霊・家臣忠死徒霊も祀られています。

 

創建されたのは明治4年(1871年)で、比較的新しい神社です。元親の菩提寺である雪蹊寺が明治の廃仏毀釈によって明治3年(1870年)に廃寺となったため、元親の弟の子孫や地域の有志が協力して、元親を祀るための神社を建てたことが始まりです。雪蹊寺の本堂があった場所に社殿が建立されました。

 

※雪蹊寺に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】高知県「雪蹊寺」の戦国武将・長宗我部元親ゆかりの禅の精神が表現された御朱印

 

「秦神社」という社名は、長宗我部氏が中国秦朝の始皇帝の子孫とされる「秦河勝(はだのかわかつ)」の後裔(こうえい、昔の人物から代々続く血族のこと)であると称したことが由来です。秦河勝は6世紀後半から7世紀前半の飛鳥時代に活躍した人物で、第15代・応神天皇(おうじんてんのう)の時代に日本に来た渡来人の子孫とされています。

 

元親が社殿を寄進した土佐国一宮・土佐神社(とさじんじゃ)は「入蜻蛉(いりとんぼ)」、初陣の際に戦勝祈願をした若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は「出蜻蛉(でとんぼ)」という珍しい方式の社殿が特徴ですが、秦神社は一般的な「流造(ながれづくり)」の社殿です。
※土佐神社と若宮八幡宮に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】四国の「一の宮巡り」と御朱印一覧

 

【御朱印情報】高知県「若宮八幡宮」の長宗我部元親ゆかりの御朱印

 

秦神社_社殿
社殿の幕には秦神社の社紋、社殿前の幟には長宗我部氏の家紋が入っていました。

 

 

長宗我部家の家紋と坂本龍馬ゆかりの絵師作の印の朱印がおされる御朱印

秦神社では、2つの紋の朱印がおされる御朱印をいただくことができます。
御朱印の上部の左に秦神社の御神紋「酢漿草(かたばみ)紋」、右に長宗我部家の家紋「七つ片喰(かたばみ)紋」の朱印がおされ、墨書きは右上に「奉拝」、中央に「秦神社」、左側に参拝した日付が書き入れられるデザインです。

秦神社_御朱印
やわらかで美しい文字が印象的で、優雅な片喰紋とマッチしている秦神社の御朱印です。

 

家紋の下におされている印は、高知県出身の幕末の志士・坂本龍馬(さかもとりょうま)に西洋文化を教え、多大な影響を与えたといわれる絵師・河田小龍(かわだしょうりゅう)が彫ったものです。実際に手に取って見せていただきましたが、ずっしりとした重みがあり、ひんやりとした石の感触が印象的でした。こちらは明治12年(1879年)からずっと使われているという貴重なもので、見るからに歴史がありそうです。
希望すれば御朱印帳に自分でこの印をおさせてくれますが、失敗しそうなので神社の人におしていただきました。

秦神社_河田小龍作印
秦神社に伝わる貴重な印を、実際に手に取って見せていただくことができました。

 

秦神社の御朱印は、朱印に深い歴史が詰まっていて、戦国武将好きの人や歴史好きの人に特におすすめです。

 

 

 

 

長宗我部家最後の当主「長宗我部盛親」の墓

秦神社には長宗我部元親の四男で、戦国大名としての長宗我部家最後の当主となった「長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)」の墓があります。
盛親は元親が頼みとしていた長男・長宗我部信親(ちょうそかべのぶちか)が「戸次川(へつぎがわ)の戦い」で戦死した後、家督争いの末に元親の強力な後押しによって跡継ぎとなりました。

 

家督を継いだことによって盛親は気の毒な晩年を送ることになります。
盛親は天下分け目の合戦「関ヶ原(せきがはら)の戦い」では石田三成(いしだみつなり)率いる西軍に属しますが、敗色濃厚となると戦わずに土佐国へ帰国し、東軍の大将である徳川家康(とくがわいえやす)に謝意を表しました。ところが、帰国直後に重臣たちが「浦戸一揆(うらどいっき)」を起こしたことを家康にとがめられ、土佐国を没収されてしまいました。
浪人となった盛親は大坂や京都などを転々とし、長宗我部家再興の機会をうかがいます。江戸幕府と豊臣家の関係がだんだんと悪くなる中、慶長19年(1614年)に旧臣とともに大坂城に入城し、「大坂の陣」が勃発すると豊臣方の主力として盛親も戦闘に参加しましたが、豊臣側が敗北します。
盛親は再起を図るために逃亡しましたが、捕らえられて処刑され、41歳で亡くなりました。

秦神社_長宗我部盛親墓所
長宗我部盛親の墓所には立派な石碑が建っていますが、どこか寂し気な雰囲気でした。

 

雪蹊寺には元親の長男である長宗我部信親の墓所があり、長宗我部家の菩提寺となっています。すぐ隣なので、ぜひあわせて参拝してみてください。
また、秦神社から1kmほどの場所には長宗我部元親ゆかりの若宮八幡宮があります。社殿について少し触れましたが、こちらは元親が初陣の際に戦勝祈願をした神社で、勝利した御礼として寄進した珍しい形の社殿や若かりし頃の元親が槍を構えた勇ましい銅像「初陣の像」などがあります。

 

 

秦神社は、戦国武将・長宗我部元親を祭神とする長宗我部家ゆかりの神社で、境内には戦国武将としての長宗我部家最後の当主となった元親の四男・盛親の墓所があります。御朱印には、長宗我部家の家紋や、坂本龍馬に影響を与えた絵師・河田小龍が彫った貴重な印の朱印がおされ、高知県の歴史を感じることができます。隣接する雪蹊寺をはじめ、高知市内にある長宗我部元親ゆかりの寺社ともあわせて参拝してみてください。

 

 

 

 

ライター:kanakana
神社仏閣・御朱印ブロガー。徳島県を中心に四国や淡路島で神社仏閣巡りを楽しむ御朱印ガールで、年間300体以上の御朱印を拝受しています。御朱印を通じて神社仏閣の魅力をご紹介します。

 

 

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