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【御朱印情報】岐阜県「平尾御坊願證寺」の浄土真宗の珍しい御朱印

岐阜県垂井町にある「平尾御坊願證寺」は、美濃国の浄土真宗東本願寺派の信仰の拠点である寺院です。一般的には御朱印を授与しない浄土真宗の寺院としては珍しい、「真宗中興の祖」とされる蓮如上人とのゆかりを示す御朱印をいただくことができます。

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「長島願證寺」がルーツの「平尾御坊願證寺」

岐阜県垂井町にある「平尾御坊願證寺(ひらおごぼうがんしょうじ)」は、戦国時代の1500年代の創建された浄土真宗東本願寺派の寺院です。永正年間(1504〜1521年)に、現在の三重県長島町に、本願寺8世である「蓮如上人(れんにょしょうにん)」の六男「蓮淳法印(れんじゅんほういん)」が「長島願證寺」を開基したのが始まりと伝わっています。
浄土真宗の開祖といえば「親鸞聖人(しんらんしょうにん)」ですが、蓮如上人は親鸞聖人から約200年後に生まれ、親鸞聖人の教えをわかりやすく伝えるために「御文章(ごぶんしょう)」という手紙をたくさん書くなどして、浄土真宗を全国に普及させた「真宗中興の祖」とされています。

 

長島願證寺の歴史を紐解く上で外せないのが、天正2年(1574年)に起きた「長島合戦」です。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していた戦国武将「織田信長(おだのぶなが)」が、浄土真宗本願寺派に対し、拠点であった「石山本願寺」の明け渡しを要求しましたが、これを拒否し、戦が始まりました。
全国各地での一向一揆(浄土真宗の信徒による反乱)が起き、「長島一向一揆」は特に織田信長を苦しめ、その拠点になったのが長島願證寺でした。善戦・抵抗を続けた浄土真宗本願寺勢力でしたが、織田信長自らが率い多勢をもって戦った長島合戦により、長島願證寺は滅びてしまいます。

 

この時に逃げ延びた「榮壽僧都(えいじゅそうず)」は、天文年間(1532~1555年)に蓮如上人の外孫「證榮僧都(しょうえいそうず)」によって平尾に開創されていた「真徳寺(しんとくじ)」の3世住職となりました。
時代が進み江戸時代の安永2年(1773年)に、長島願證寺とのご縁から真徳寺が願證寺に改号され、現代では「平尾御坊願證寺」として、美濃地域の浄土真宗本願寺派の信仰の拠点として親しまれています。

平尾御坊願證寺_本堂
江戸時代の宝暦年間(1751~1764年)に約8年の歳月を費やして建立されたと伝わる立派な本堂です。

 

 

蓮如上人との関わりを示す御朱印

平尾御坊願證寺では、寺院のルーツと関係する蓮如上人と関係する御朱印をいただくことができます。
御朱印には、「蓮の花」「蓮如上人御菖跡」「花押」の朱印がおされ、「参拝日」「蓮如上人御旧跡」「寺院名」の墨書きを丁寧に書いていただけます。

平尾御坊願證寺_御朱印
平尾御坊願證寺のこの御朱印は、御朱印の種類としてとても珍しいものになりますが、理由は後述します。

 

中央の朱印の「蓮如上人御菖跡(れんにょしょうにんごあやあと)」、墨書き「蓮如上人御旧跡」とは、蓮如上人が関わった場所や記念物のことを意味し、蓮如上人が建てたお寺や滞在した家屋、講を開いた場所などがそれにあたります。平尾御坊願證寺は、蓮如上人の六男が開基した寺院であり、江戸時代に再興した際に、蓮如上人御廟造営の許しを賜り、京都東山の大谷祖廟と同じ様式で造営された由緒正しき歴史が反映されています。

平尾御坊願證寺_山門
江戸時代に整備された建造物の数々は見応えがあり、平尾御坊願證寺の歴史を物語ります。

 

 

 

 

浄土真宗の寺院としては珍しい御朱印

この御朱印はたいへん珍しい形式のものですが、理由はおわかりでしょうか。
寺院でいただく御朱印には寺院に祀っている仏様の名称が書き入れられることが一般的ですが、この御朱印にはそれがありません。
浄土真宗では、阿弥陀如来(あみだにょらい)が信仰の中心で、極楽浄土の仏である阿弥陀如来の慈悲にすべてを任せ、念仏(南無阿弥陀仏)を唱えることで極楽浄土に往生できると信じられています。平尾御坊願證寺の御本尊も阿弥陀如来です。

 

仏様の名称が入らない御朱印が授与されているのは、そもそもが浄土真宗の寺院では御朱印を授与しないことの方が一般的で、これには「他力本願(たりきほんがん)」という教えが背景にあり、形式的な儀式や証明書(御朱印)よりも、心からの信仰が重視されていることが関係しています。
御朱印は元々、参拝者が寺社を参拝したことや納経の証し、先祖供養の目的などで授与されてきた歴史がありますが、浄土真宗ではこのような考え方・形式が合わないとされるため、御朱印が授与されないことが基本になっています。
※浄土真宗の寺院でも、宗派や個別寺院の事情によって御朱印の対応は異なります。

 

よって、平尾御坊願證寺の御朱印は、仏様参拝の証ということではなく、蓮如上人ゆかりの場所を訪れた記念という意味合いが強いと考えます。
ある意味希少性の高い御朱印で、御朱印の左下におされている「花押(かおう、古来からの図案化された署名)」は、住職の名前を図案化したものであるなど、デザインも美しいものなので、貴重な御朱印であることには変わりありません。

 

この御朱印は、私がオーダーメイドの注文をしたオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。 本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。
丁寧に書いていただいた御朱印の文字は、筆の運びが滑らかで、線の太さや濃淡のバランスが見事です。力強さのなかにも繊細さが共存している、とても美しいものだと感じます。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。

 

千年帳とは:本紙

 

 

平尾御坊願證寺は、浄土真宗の寺院としては珍しい、御朱印をいただくことができる寺院です。「真宗中興の祖」と崇められる蓮如上人とのご縁をいただける御朱印をいただけますので、寺院の歴史を物語る立派な建造物の数々とともに、美濃国での浄土真宗の信仰の歴史を体感してみてください。

 

※近隣にある美濃国一宮・南宮大社、美濃国二宮・伊富岐神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】岐阜県「南宮大社」の「美濃国一宮」の由緒正しき御朱印

 

【御朱印情報】岐阜県「伊富岐神社」の「美濃国二宮」の由緒正しき御朱印

 

 

 

 

ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。

 

 

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