- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
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京都府京都市右京区にある「天龍寺」は、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した寺院です。南北朝時代の歴史と禅寺としての格式の高さを感じる「覚王寶殿」の御朱印のほか、「曹源池庭園」の四季折々の絶景を表現した季節限定御朱印も授与されています。
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京都府京都市右京区、京都屈指の景勝地である嵯峨嵐山エリアの中心部にある「天龍寺(てんりゅうじ)」は、室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が開基となり、第96代・南朝初代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の菩提を弔うために建てられた寺院です。正式には「霊亀山天龍資聖禅寺(れいきざんてんりゅうしせいぜんじ)」と称します。
創建は歴応2年(1339年)で、開山は夢窓疎石(むそうそせき)です。夢窓疎石は、鎌倉時代後期から南北朝時代、室町時代初期にかけての禅僧であり、作庭家・歌人としても知られる人物です。
足利尊氏と後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒す際には協力関係にありましたが、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇が公家中心の政治(建武の新政)を進めたことに尊氏が反発し、敵対関係になりました。尊氏との戦いに敗れた後醍醐天皇は、奈良の吉野に逃れ「南朝」を開きます。一方の尊氏は、京に光明天皇(こうみょうてんのう)を立てて「北朝」を成立させ、南北朝時代が始まりました。そして南朝の劣勢を覆せないまま後醍醐天皇が崩御したのが、歴応2年のことでした。
尊氏は無念の中で亡くなった後醍醐天皇の魂を鎮めるため、また、後醍醐天皇と親交のあった夢窓疎石の助言により、天龍寺を建立を発願、康永3年(1344年)に壮大な七堂伽藍が整った大規模な寺院が完成しました。
広大な寺域と壮麗な伽藍を誇った天龍寺は、「京都五山(きょうとござん)」の第一位に叙され、長くその格式を守っていました。
京都五山とは、室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が定めたもので、京都にある臨済宗(禅宗)の寺院の格付けのことです。別格として南禅寺(なんぜんじ)が京都五山の上にあり、第一位が天龍寺、第二位が相国寺(しょうこくじ)、第三位が建仁寺(けんにんじ)、第四位が東福寺(とうふくじ)、第五位が万寿寺(まんじゅじ)とされました。ただこの格付けはあくまで室町幕府の政略として定められたもので、現在の京都禅宗寺院の格付けではありません。
※南禅寺、建仁寺、東福寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】京都府「南禅寺」の複数の場所・塔頭寺院でいただける仏教の教えが詰まった御朱印
【御朱印情報】京都府「建仁寺」の禅の心を映し出す「拈華堂」の御朱印
【御朱印情報】京都府「東福寺」の境内の風景がよみがえる「大佛寶殿」と「通天」の御朱印
しかし江戸時代末期までに大きなものだけでも8度もの度重なる火災に遭い、創建当時の建物はことごとく焼失してしまいました。災禍の度に再建されましたが、明治時代に入ると上地令によりほとんどの境内を上地することとなり、現在の境内はかつての10分の1、約3万坪に、また最盛期には150を数えた塔頭も現在は境内境外合わせて12の寺院となっています。
ただし、現代においても高い格式と伝統は受け継がれ、臨済宗天龍寺派の大本山として広く信仰をあつめるほか、歴史的・芸術的な建造物が高く評価されていることから、平成6年(1994年)には「古都京都の文化財」の構成資産の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。
※世界文化遺産「古都京都の文化財」に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】世界遺産「古都京都の文化財」構成寺社の御朱印情報まとめ


天龍寺では「覚王寶殿(かくおうほうでん)」の御朱印が授与されていて、私が参拝した令和8年(2026年)8月には、基本の御朱印のほかに季節限定の刺繍御朱印もありました。
基本の御朱印は、中央に「覚王寶殿」、右に「奉拝」、左には「大本山天龍寺」と墨書きされ、右下に「参拝日付」のスタンプがおされ、朱印は右から「霊亀山」「三宝印」「天龍禅寺」がおされるデザインです。

「覚王寶殿」の「覚王」とは、天龍寺の御本尊・釈迦如来の尊称ですが、天龍寺の場合は後醍醐天皇のことも指すそうです。その覚王を奉安するお堂が「寶殿」で、天龍寺では「法堂(はっとう)」がそれにあたります。また、中央の朱印「三宝印」は、仏教の3つの寶である「仏・法・僧」を表しています。
天龍寺法堂は、庫裏の手前にある建物で、江戸時代後期の元治元年(1864年)に発生した長州藩と幕府側の軍勢による武力衝突「蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)」で焼失後、焼失を免れていた「雲居庵禅堂・選仏場(うんごあんぜんどう・せんぶつじょう、座禅をする場所)」を明治時代に入ってから移築したものです。

法堂の天井には明治時代から大正時代にかけて活躍した画家・鈴木松年(すずきしょうねん)が明治32年(1899年)に描いた雲に乗る龍の絵がありましたが、損傷が激しかったため、平成9年(1997年)の法堂移築100年・夢窓国師650年遠諱記念事業として、京都市生まれの画家・版画家の加山又造(かやままたぞう)が新しく雲龍図を描きました。迫力ある雲龍図は、堂内のどこへ移動しても龍の眼がにらんでいるように見えることから「八方睨みの龍」と呼ばれています。なお、鈴木松年による雲龍図は、毎年早春に大方丈にて一般公開されています。
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天龍寺の覚王寶殿の御朱印は、後醍醐天皇を弔うために創建された歴史や、多数の寺院がある京都の中でも特別に高い格式を有する禅寺として崇敬をあつめる信仰の大きさを表しているように感じました。
季節御朱印として授与されていた刺繍御朱印は、墨書き・朱印は基本の御朱印と同じデザインで、加えて青もみじが刺繍で表現された美しいものでした。

天龍寺の境内は、四季折々の自然景観が素晴らしく、特に紅葉の時期は多くの見物客が訪れ、紅葉の名所がたくさんある嵐山エリアの中でも特に人気の紅葉狩りスポットになっています。
御朱印に描かれた青もみじが一斉に色づく晩秋の天龍寺にもまた訪れてみたくなりました。
天龍寺の景観として見逃せないのが、大方丈の背面にある「曹源池庭園(そうげんちていえん)」です。作庭家としても名を残した天龍寺の開山・夢窓礎石によって作庭され、大正12年(1923年)に日本で最初に史跡・特別名勝に指定された名園です。
背後にある嵐山・亀山を借景とした広大な庭園は、曹源池を中央に配した雄大な池泉回遊式庭園で、多くの名庭園がある京都においても特にスケールの大きなものです。曹源池の背後中央にある巨石は、中国の故事「登龍門」を表現したもので、その石組の力強さと周囲の景色の優雅さが合わさり、独特の景色を見せてくれます。
方丈から眺めたり、ゆっくりと池の周囲を歩きながら景色を楽しんだり、庭園背後の「望郷の丘」から見下ろしたりと、さまざまな角度から楽しめることも魅力で、天龍寺参拝の際にはじっくりと時間をかけて楽しんでいただきたいと思います。



天龍寺は、その成り立ちや歴史的価値、見事な襖絵や美しい庭園など見どころがたっぷりの寺院です。天龍寺がある嵯峨嵐山エリアには自然の中にひっそりとたたずむ寺院や、「竹林の小径」や「渡月橋(とげつきょう)」などの人気観光スポットもあります。その中でも天龍寺は必ず訪れていただきたい寺院なので、ぜひ参拝して、歴史と格式を感じることができる御朱印をいただいてみてください。
ライター: iroha
京都市在住で副業ライターとして活動してます。仕事の合間をぬって京歩き・御朱印集めをする中で、ますます京都が好きになっていき、京都検定2級にも合格しました。歴史ある御朱印や可愛くて素敵な御朱印などをたくさん紹介できればと思っています。
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岐阜県岐阜市にある「常在寺」は、戦国武将・斎藤道三ゆかりの日蓮宗の寺院です。参拝の証としていただける御首題には、日蓮宗の御題目「南無妙法蓮華経」と「斎藤家菩提所」の墨書きがのびやかに美しく記されます。
京都府京都市左京区にある「銀閣寺」は、室町幕府第8代将軍・足利義政が造営した山荘「東山殿」を寺院に改めたもので、侘び・寂びの世界を表現した代表的な寺院のひとつです。銀閣寺の代名詞である「観音殿銀閣」を意味する「観音殿」の御朱印は、室町時代の様式美を感じさせる仕上がりです。
福岡県北九州市にある「篠崎八幡神社」は、1400年以上の歴史があり、江戸時代には小倉藩の大社にも選ばれました。優美な随神門をモチーフにした御朱印や、祭事の際に授与される期間限定御朱印が人気を集めています。
「京都こだわり御朱印三社巡り」は、京都市内にある「八大神社」「元祇園梛神社」「梨木神社」の3社が連携して毎年秋に開催している御朱印巡りイベントで、3社すべてで御朱印をいただくと、イベント限定の特別御朱印を拝受できます。イベントの内容と、3社の概要・御朱印をまとめてご紹介します。