- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
愛知県名古屋市中村区にある「豊国神社」は、戦国武将・豊臣秀吉の生誕地に鎮座する神社で、豊臣秀吉を主祭神として祀っています。豊臣秀吉の家紋「五七の桐紋」の金色の印と「豊臣秀吉公生誕之地」の朱印がおされる、豊臣秀吉ゆかりの御朱印をいただくことができます。
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愛知県名古屋市の中心市街地である中村区にある「豊国神社(とよくにじんじゃ)」は、戦国武将・豊臣秀吉(とよとみひでよし)を主祭神として祀る神社です。
明治16年(1883年)に、当時の県令・国貞廉平(くにさだれんぺい)をはじめとする地元崇敬者達により、豊臣秀吉の生誕地で秀吉を祀る神社を作ろうという運動が盛んとなり、同年7月に豊臣秀吉の生誕地とされる当地に豊国神社の創建が決定しました。明治18年(1885年)1月に竣工し、7月には神社が創建されましたが、県令の死去により以降の工事が中止となりました。その後、明治34年(1901年)に豊国神社周辺が中村公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれるようになります。
豊臣秀吉の配下として活躍し、築城や治水の名手としても知られる戦国武将・加藤清正(かとうきよまさ)も当地周辺で生誕したとされ、豊国神社の摂社として加藤清正も祀られていることから、中村公園は「秀吉清正公園」の愛称もあり、現代でも地元の人に愛されています。
豊臣秀吉といえば、戦国時代を代表する武将であり、農民の身分から天下人へと上りつめた希代のカリスマです。尾張国(現在の愛知県)の現在は中村公園として整備されている地域の出身だといわれ、織田信長(おだのぶなが)に仕えて頭角を現し、築城や戦の才覚で功績を重ねました。織田信長の死後は天下統一を果たし、全国を統治する初の武家政権を築いたことで日本史における「下剋上」の象徴的な存在です。
豊臣秀吉を主祭神として祀る豊国神社は、彼の人生になぞらえて、出世開運・厄除招福・商売繁盛などのご利益があるといわれ、特に必勝祈願に訪れるスポーツチームなどが多いです。
豊臣秀吉を神として祀る神社は全国に点在していて、豊国神社の総本社は京都府京都市東山区にある豊国神社だとされていますが、豊臣秀吉の生誕地とされる場所に鎮座する当地の豊国神社も歴史的・文化的な視点でたいへん重要な神社であるといえ、たくさんの参拝者・観光客が訪れています。
※広島県の厳島(宮島)にある豊国神社(ほうこくじんじゃ)に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】広島県「豊国神社」の豊臣家紋と宮島しゃもじがデザインされた御朱印
豊国神社では、当地が豊臣秀吉の誕生地であることが記される御朱印を、初穂料300円で御朱印帳に直書きしていただきました。
中央に豊臣秀吉の家紋である「五七の桐紋」の金色の印と、右側に「豊臣秀吉公生誕之地」、中央に「神社名」の朱印がおされ、「尾張中村」「豊国神社」「参拝日」が墨書きされるデザインです。
鮮やかな金色の印でおされる五七の桐紋は、桐の葉3枚の上に、左右に5つ、中央に7つの桐の花を配した文様で、皇族や権力者など尊い人しか使用を許されなかった、庶民からは憧れの紋です。豊臣秀吉が政権を担当する天下人になったのちに天皇家より下賜され、自分の家臣にも使用を許可することで、主従関係を強化したとされています。家臣達は、そのまま使うのは恐れ多いと、文様に手を加えて使用したそうです。
五七の桐紋が御朱印にデザインされるのは豊国神社ならではで、特に豊臣秀吉の生誕地でいただけることの特別感が珍しい金色の印に象徴されていると思います。
この御朱印は、私がオーダーメイドの注文をしたオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の中でも「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。
墨書きは、形にとらわれない独創性と柔軟性が感じられる特徴的な書体で、筆先の繊細な動きや計算された文字配置から豊臣秀吉の策略性を彷彿とさせるようにも感じます。土佐手漉和紙の楮紙が墨を瞬時に吸収することで、にじみが少なく、はらいの鋭さが際立ち、書き手の技術と土佐手漉和紙の品質が見事に調和していると思います。
豊臣秀吉の歴史や功績の重みが表現され、伝統的な芸術性も感じる、見事な御朱印に仕上げていただきました。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクをご参照ください。
豊国神社では、通常の御朱印の他にもいろいろな種類の御朱印が授与されています。
今回私が訪れた令和6年(2024年)12月には、令和6年の1年間限定の「能登復興祈念御朱印」が授与されていましたので、いただきました。
石川県の県花である「クロユリ」をイメージした台紙が使用されており、中央に豊臣秀吉の「五七の桐紋」と加賀を治めた戦国武将・前田利家(まえだとしいえ)の「梅鉢紋」が並ぶデザインです。
戦国時代に能登を含む加賀国(現在の石川県)を治めていたのは、豊臣秀吉が足軽時代から親友であったとされる前田利家(まえだとしいえ)で、そのような歴史的なつながりから、現在の豊国神社の宮司が令和元年(2019年)から「いしかわ観光特使」を務めていらっしゃいます。
そのようなご縁がきっかけで、令和6年(2024年)1月1日に石川県能登半島で発生し甚大な被害をもたらした「能登半島地震」からの復興を祈念するために、この特別御朱印が授与されることになり、御朱印の初穂料500円は全額が石川県令和6年能登半島地震災害義援金に寄付されるというすばらしい取り組みが始まりました。
豊国神社では、季節や祭事にあわせていろいろな限定御朱印が登場していますので、参拝時にどのような御朱印が授与されているか、ぜひチェックしてみてください。
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豊国神社を参拝した際の名物として知られているのが、大鳥居がある参道入口の老舗和菓子屋「孝和堂本店」の、豊臣秀吉にちなんだ「豊太閤もなか」で、私も買ってみました。
豊臣秀吉の馬印である 「千成瓢箪(せんなりびょうたん)」 の形のもなかで、富山県産のもち米「新大正糯(しんたいしょうもち)」を使い、サクッとした食感の皮と毎日丁寧に作られる 餡との相性がとてもよく、豊臣秀吉の縁起菓子として親しまれています。名古屋を訪れた際のお土産としてもおすすめです。
豊国神社は、豊臣秀吉生誕地に鎮座し、全国に点在している豊臣秀吉を祀る神社の中でも、信仰と歴史的意義が特に深い神社です。令和8年(2026年)のNHK大河ドラマは豊臣秀吉の弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)が主人公の「豊臣兄弟!」の放映が予定されており、今後ますます注目が集まると思いますので、名古屋を訪れた際にはぜひ参拝して、豊臣秀吉とご縁をいただける御朱印を拝受されてください。
※豊国神社すぐ近くにあり同じく豊臣秀吉を祀る常泉寺に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】愛知県「常泉寺」の「豊臣秀吉生誕地」ならではの御首題
ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。
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