四国の職人が心に響く手仕事で仕上げる
オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」

「千年帳」オンラインショップ
facebook twitter instagram
facebook instagram twitter

【御朱印情報】広島県「大願寺」の日本三大弁財天「厳島辯財天」の御朱印

広島県廿日市市の宮島にある「大願寺」は、明治時代に入るまでは厳島神社をはじめとする周辺の寺社とともに一大伽藍を築いていた寺院です。「日本三大弁財天」のひとつに選ばれている「厳島辯財天」の御朱印をいただくことができます。

スポンサーリンク



 

 

世界遺産「厳島神社」と一体だった歴史をもつ「大願寺」

広島県廿日市市の宮島にある「大願寺(だいがんじ)」は、高野山真言宗の寺院です。
開山の年代についてはっきりとわかっていませんが、鎌倉時代の建仁年間(1201~1204)に僧侶・了海(りょうかい)によって再興されたと伝わっています。

 

明治時代に入るまでは、東側は現在は豊国神社(ほうこくじんじゃ)がある塔の岡(とうのおか)周辺から、西側は経塚のある経の尾(きょうのお)あたりまでが大願寺の境内であったとされていて、隣接する厳島神社(いつくしまじんじゃ)や厳島神社の別当寺だった大聖院(だいしょういん)と一体となって「宮島伽藍(みやじまがらん)」と呼ばれる大伽藍を形成していました。

 

当時は、大願寺の本堂は宿坊であり、大経堂だった現在の豊国神社の千畳閣(せんじょうかく)が本堂となる予定(未完成のまま現在に至る)だったとか。
昔、宮島に訪れる参拝者は、海に浮かぶ大鳥居をくぐった後に、大願寺近くの砂浜に上陸し、大願寺の裏手にある大風呂で身を清めてから厳島神社に参拝するという風習があったそうです。

 

※同じ宮島にあり、大願寺と関係が深い厳島神社、豊国神社、大聖院について、以下リンクの記事で紹介されていますので、ぜひこちらもご覧ください。

 

【御朱印情報】安芸の宮島にある世界遺産の広島県「厳島神社」の御朱印

 

【御朱印情報】広島県「豊国神社」の豊臣家紋と宮島しゃもじがデザインされた御朱印

 

【御朱印情報】広島県「大聖院」の秀吉ゆかりの御朱印と秋の切り絵御朱印

 

明治期の神仏分離令により、大願寺と厳島神社は分離され、周辺の厳島神社や厳島神社末社の豊国神社の仏像が大願寺に託されました。

 

大願寺には、宮島に現存する仏像の中で最古とされている重要文化財の「木造薬師如来座像」や、千畳閣の本尊として祀られていた重要文化財の「木造釈迦如来座像」、釈迦如来像の両脇に鎮座していた阿難尊者像と迦葉尊者像をはじめとする数多くの歴史的価値の高い仏像が安置されています。

 

また、江戸時代末期の第二次長州征伐の際には、幕府側の勝海舟と長州側の木戸孝允ら長州志士との間で停戦交渉が大願寺で行われたとされています。一般非公開ではありますが、「勝海舟木戸孝允会見の間」や明治時代初期に伊藤博文が植樹したと伝わる「伊藤博文公御手植松跡」が境内にあるなど、幕末藩士ゆかりの地としても知られています。

大願寺_山門
大願寺では、重厚な造りの山門が参拝者を出迎えてくれます。

 

 

日本三大弁財天「厳島辯財天」の御朱印と「宮島しゃもじ」

大願寺の御朱印は、本堂の左手にある御朱印授与所でいただくことができます。
「厳島辯財天」「参拝日」の墨書きと、右上に「日本三辯天 厳島辯財天」、中央に「三つ亀甲に剣花菱紋」、左下に「大願寺印」の朱印がおされるデザインです。三つ亀甲に剣花菱は、亀甲の中に剣花菱を描いた文様を三角形に配置した紋で、この紋は厳島神社の神紋でもあり、厳島神社と大願寺のつながりの深さを御朱印からも感じることができます。

大願寺_御朱印_厳島弁財天
「日本三辯天 厳島辯財天」の朱印に注目の大願寺の御朱印です。

 

厳島辯財天(いつくしまべんざいてん)は、明治期の神仏分離の際に、厳島神社から大願寺に移された仏像です。
平安時代初期に仏師としても活躍した僧侶・弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)作と伝わる仏像であり、毎年6月17日の年に1度の開帳時のみ姿を拝める秘仏です。

 

御朱印右上の「日本三辯天 厳島辯財天」の朱印が示すように、本堂に祀られている厳島辯財天は、江の島(神奈川県)の弁財天、近江(滋賀県)の竹生島神社の弁財天と並ぶ「日本三大弁財天」の一つに数えられています。

 

弁財天は開運・商売繁盛・芸術などのご利益が期待できるといわれていて、大願寺には厳島辯財天のご利益にあやかろうとたくさんの参拝者が訪れています。

大願寺_本堂_厳島辯財天
どっしりとした本堂に厳島辯財天が祀られています。

 

また、宮島の名物になっている伝統工芸品に「宮島しゃもじ(杓子)」があり、厳島辯財天と関連しています。
江戸時代後期の1800年頃に、宮島島民が貧困にあえぐ様子を目にした宮島在住の僧侶・誓真が「島民の生活を支える産業を」との想いから、厳島大明神の辯財天が持つ琵琶の形を基にしたしゃもじづくりの技術を伝えたのが起源と伝わっています。
しゃもじでご飯をすくうことが「幸せや敵を召し取る(飯取る)」ことに繋がるとして、現在では宮島土産としても定着しています。

大願寺_宮島しゃもじ
大願寺の授与所に名物の宮島しゃもじがありましたので、私も参拝の記念に購入しました。

 

 

 

 

五穀豊穣・招福のご利益「厳島龍神」

大願寺を訪れた際には、本堂手前にある「厳島龍神」もぜひお参りください。
厳島龍神=宇賀神(うがじん)は、弁財天の使いとされ、人の頭に蛇体という異形の姿をした神様です。弁財天と同一視されることから、五穀豊穣や招福のご利益が期待できるといわれています。
大願寺の宇賀神は、かつては本堂内に安置されていたものの、「より多くの人に参っていただきたい」との想いから、昭和62年(1987年)に本堂前の目立つ場所に移されたそうです。

大願寺_厳島龍神
本堂前の小さな池の中にたつ祠に厳島龍神が祀られていますので、本堂の厳島辯財天とあわせてお参りください。

 

 

宮島にある大願寺は、明治時代に入るまでは厳島神社や豊国神社などとともに大伽藍を形成していた寺院で、宮島の歴史を語る上で外せない存在です。世界中から参拝者が訪れる厳島神社や大聖院など宮島の有名社寺の徒歩圏内に位置していますので、宮島を訪れた際にはぜひ立ち寄って、厳島辯財天に招福を祈り、参拝の証に御朱印をいただいたり、宮島しゃもじを拝受するのがおすすめです。

 

 

 

 

ライター:neko
学芸員の資格を持つWebライター。九州を中心に全国の寺社仏閣に出掛け、御朱印を集めるのが趣味です。今までにいただいた御朱印は、御朱印帳5冊ほどになりました。

 

 

スポンサーリンク



御朱印情報マップ

関連記事

千年帳バナー 千年帳バナー