【御朱印関連情報】日蓮宗の寺院で授与される「御首題(ごしゅだい)」とは
神社や寺院を参拝した証として「御朱印」をいただくことが一般的になっていますが、日蓮宗の寺院では御朱印にあたるものを「御首題(ごしゅだい)」と呼んでいます。日蓮宗で重要な「南無妙法蓮華経(御題目)」が中心に据えられ、独特の「ひげ文字」の書体が特徴です。
山口県長門市にある長門湯本温泉「恩湯」は、山口県内の温泉の中で最も古い歴史があるといわれています。室町時代の開湯伝説ゆかりの大寧寺と住吉神社の御朱印をあわせていただくことができる御朱印紙が販売されています。
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山口県長門市にある長門湯本温泉「恩湯(おんとう)」は、室町時代の応永34年(1427年)に、曹洞宗「大寧寺(たいねいじ)」の三世・定庵禅師が長門国一宮「住吉大明神(すみよしだいみょうじん)」からのお告げによって発見した「神授の湯」と伝わる、山口県内の温泉の中で最も古い歴史があるとされる寺湯です。
施設の老朽化や利用客の減少により、平成29年(2017年)5月に公設公営での営業を終了しましたが、地域の若手たちによって再建され、令和2年(2020年)3月にリニューアルオープンしました。
建物は泉源の真上に立ち、入浴時には「岩盤からの湧き出るお湯を見ることができる」全国でも珍しい温泉施設です。「足元湧出温泉」という稀有な泉源を活かした、深さ1mの湯船にゆっくりと浸かり、室町期より滔々と湧き続ける「神授のお湯」を楽しむことができます。
長門湯本温泉「恩湯」の開湯には、以下のような伝説がのこっています。
ある晴れた月の夜、定庵禅師が境内を散策していると、本堂の西側の磐石の上で座禅を組む老翁に出会いました。禅師が名を尋ねると、老翁は歌で応えました。
「松風の声のうちなる隠れ家にむかしも今も住吉の神」
一首の和歌を通じて、自分の棲家が住吉神社(長門国一宮)であることを明かしました。
老翁は、その後、幾度も禅師を訪れるようになり、最終的に、仏道を修めることとなります。禅師は老翁(住吉大明神)を部屋に招き、仏道の奥義を印可する菩薩大戒と錦の袈裟を授けます。老翁は、いたく感動し、その恩に報いるために、温泉を湧かします。
「大寧寺から8丁南の地(現在の恩湯の位置)に温泉が湧きい出る。衆僧の灌浴、そして地域のために活用されよ」と伝え、大きな龍となって雷雲とともに天空に去って行きました。
この開湯伝説の背景には、当時の守護大名・大内氏を頂点とした地域統治における、神道(住吉神社)と仏道(曹洞宗)との関係性が垣間見えます。
長門国一宮住吉神社の鳴瀬宮司によると、「室町期、大内家が頂点に立ち、仏道の大寧寺、神道の住吉神社という『トライアングルの関係性』が築かれ、大内家は中国エリアを戦略的に統治していったのではないか」ということでした。
大内氏は、神道は住吉神社と連携し、津島(長崎)・筑紫(福岡)・穴門(山口)から堺(大阪)までを走る瀬戸内ライン(≒古事記基準でいわれる応神ライン)を統治しつつ、また同時に、仏教とは曹洞宗と連携し、宗像・博多(福岡)から山陰地方の日本海側を統治するという地勢戦略学的な「大内ビジョン」を描いたと考えられていて、宗教界とも連携しアジアとの航路を強固に築いていったとされます。
大内氏・神道・仏道のトライアングルの関係性を巧妙に活用し、永享元年(1429年)に曹洞宗・瑞松庵で展開された住吉神話を、大寧寺バージョンで再構成し、「温泉の所有を大寧寺に移管させた」企画者が、当時の大寧寺の住職であった四世・竹居正猷(ちっきょしょうゆう)禅師ではないかといわれています。この神話は600年に渡り延々と語り継がれ、現在も恩湯の泉源は大寧寺の所領となっています。
恩湯の泉源の岩盤に鎮座するのは、リニューアル前の恩湯より守られてきた温泉神像です。湯溜まりとの間に張られた結界のしめ縄は、長門国一宮住吉神社より授けられたもので、この地で育まれた「温泉信仰」は、今もなお地域の人々によって大切にされています。
恩湯の開湯伝説(由緒ある大寧寺と住吉神社とのつながり)は恩湯の偉大なる文化資本で、単なる温浴行為にとどまらず、歴史的な重みも感じてもらい、この物語が後世に語り継がれていくために、どのような方法があるかを、恩湯運営者の長門湯守さんが模索した結果生まれたのが「御朱印紙」です。
恩湯で御朱印紙を購入し(大寧寺志納料と住吉神社初穂料が含まれて1,000円)、恩湯ゆかりの大寧寺と住吉神社を参拝して、御朱印を御朱印紙に並べて書き入れていただくと、たいへん珍しい神仏習合の御朱印が完成します。
恩湯に入浴したことをきっかけに、大寧寺と住吉神社にも参拝し、御朱印を完成させるプロセスにこそに真の価値があると考え、山口県の豊かな文化に触れることにもなり、お客様にとってここでしか味わえない特別な体験となるのではないか。長門湯守さんの想いを大寧寺の岩田方丈と住吉神社の鳴瀬宮司に伝えたところ、たいへんお喜びになられ、快く協力してくださったそうです。
御朱印の中央の紋は大内氏の家紋である「大内菱」、「天佑神助」は神道における守護的な意を表現した四字熟語、「佛天加護」は仏道における守護的な意を表現した四字熟語です。これらを、上でも下でもなく、並行的にデザインすることで、大内家・神道・仏道のトライアングルの関係性の歴史や、神仏習合の状態を表現しているそうです。
また、朱の線は「龍」を表現しているとのこと。
恩湯の開湯伝説では、最後に住吉神社を棲家とする老人は「龍」となって、天に消えていきます。
朱の線をデザインした大寧寺の岩田方丈は、「龍は、春分にして天に登り、秋分にして淵に潜む」という、春分と秋分における自然界の循環(土淵→天淵→淵在)を表した、中国の古語から着想を得て、龍の動きと自然のサイクル(温泉の自然界での循環)とを結びつけて、シンボリックに表現したそうです。
「温泉も理屈は全く同じ。水は雨から、山、川、地下水へと流れ、地上に温泉となって湧き出し、それはまた、川に流れ、再び海に戻る。」と岩田方丈がおっしゃっています。
恩湯でいただくことができる御朱印紙を使って完成する御朱印は、恩湯開湯伝説を反映し、ゆかりの大寧寺・住吉神社と連携した、神仏習合の唯一無二のものです。御朱印紙を携えて、恩湯に入浴し、大寧寺・住吉神社に参拝すれば、地域に語り継がれている歴史や神秘性を感じることができるユニークな体験になると思いますので、ぜひ一度訪れてみてください。
※恩湯を訪れることが難しい人のために、オンライン販売にも対応されています。
恩湯の御朱印紙オンライン販売: https://onto.jp/gosyuinshi/
※長門国一宮住吉神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】山口県「住吉神社」の四季折々の板戸絵が描かれた時季限定御朱印
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神社や寺院を参拝した証として「御朱印」をいただくことが一般的になっていますが、日蓮宗の寺院では御朱印にあたるものを「御首題(ごしゅだい)」と呼んでいます。日蓮宗で重要な「南無妙法蓮華経(御題目)」が中心に据えられ、独特の「ひげ文字」の書体が特徴です。
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オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」の表紙のひとつである讃岐のり染「竹雀」の図案は、厄除けと富や繁栄、生命力と成長を意味するたいへん縁起の良いもので、ベースの紫色は仏教で高貴な色とされ、魔除けの意味もあります。
兵庫県淡路島にある「おのころ島神社」は、国生み神話ゆかりの神社で、日本三大鳥居とされる大鳥居や鶺鴒石など見どころが多いです。御朱印は「日本発祥の地」と記載されるのが特徴で、月替わりのカラフルな限定御朱印も人気です。