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【御朱印情報】奈良県「橘寺」の「聖徳太子」の生誕地であることが記される御朱印

奈良県明日香村にある「橘寺」は、飛鳥時代に聖徳太子の生誕地に創建された古寺です。基本の御朱印には聖徳太子の生誕地であることや飛鳥時代の史跡が表現されるほか、聖徳太子・如意輪観音とご縁を結ぶことができる新西国霊場の御朱印もいただくことができます。

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聖徳太子生誕地に建立された「橘寺」

奈良県明日香村にある「橘寺(たちばなでら)」は、飛鳥時代に活躍した皇族・政治家「聖徳太子(しょうとくたいし)」の誕生地に建立されたことで有名な天台宗の寺院で、正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺(ぶっとうざんじょうぐうこういんぼだいじ)」と称します。

 

橘寺は、聖徳太子の生誕地で第29代・欽明天皇(きんめいてんのう)の別宮「橘の宮(たちばなのみや)」があった場所に、第33代・推古天皇(すこてんのう)の命によって推古天皇14年(606年)に聖徳太子が寺を建立したのが起源とされています。
創建当初は尼寺で、伽藍が広大な大寺院として栄えましたが、平安時代後期の久安4年(1148年)に落雷で五重塔が焼失し、文治年間(1185年 – 1189年)には三重塔として再建されたり、戦国時代の永正3年(1506年)の焼き討ちで建造物が焼失するなどの災難がありましたが、江戸時代末期の元治元年(1864年)に堂舎が再建され、現在に至ります。

 

境内には、創建当時の名残がある珍しい形の五重塔跡の塔心礎が残存するなど、飛鳥時代からの長い歴史を感じることができ、聖徳太子の生誕地という信仰の特別な聖地とされていることから、多くの参拝者が訪れています。

 

橘寺は、現在の奈良県斑鳩町にある「法隆寺(ほうりゅうじ)」・「法起寺(ほうきじ)」・「中宮寺(ちゅうぐうじ)」、京都府京都市にある「広隆寺(こうりゅうじ)」、大阪府大阪市にある「四天王寺(してんのうじ)」、廃寺になり場所が特定されていない「葛木寺(かつらぎじ)」と並んで、聖徳太子が存命中に創建したと伝わる「聖徳太子建立七大寺」の一つにも選ばれ、大切に受け継がれています。
※四天王寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】大阪府「四天王寺」の聖徳太子ゆかりの「大日本佛法最初」の御朱印

 

橘寺_本堂_灯篭
橘寺の東向きの本堂前の灯篭は、飛鳥時代の講堂の礎石を利用したものだそうです。

 

 

飛鳥時代からの歴史が記される「太子誕生所」の御朱印

橘寺の基本の御朱印は、「聖徳太子御霊跡第八番」「二面石」「橘寺」の朱印に、「奉拝」「参拝日時」「太子誕生所」「橘之宮橘寺」が墨書きされるデザインで、持参した御朱印帳に直書きしていただき、志納料は500円でした。

橘寺_御朱印
橘寺の由緒に関連するいろいろな要素が入った基本の御朱印です。

 

右上の「聖徳太子御遺跡第八番」の朱印は、橘寺が近畿圏にある聖徳太子ゆかりの28ヶ寺で構成される霊場の8番札所であることを示しています。中央には、橘寺が聖徳太子誕生地に建立された寺院であることを示す「太子誕生所」の墨書きがダイナミックに表現されており、聖徳太子御遺跡の中でも橘寺が特に重要な寺院であることがわかります。

 

中央のユニークな朱印は、橘寺に飛鳥時代から存在していたといわれる石造物「二面石(にめんせき)」を象っています。
善と悪のふたつの顔が背中合わせに彫刻された石で、人の心の善悪二面を表しているとされます。物事の捉え方や心の持ち方次第で、良くも悪くもなるといった、人間の心のあり方を示唆していると考えられており、聖徳太子の思想や橘寺が布教してきた教えを象徴しているかのようです。

橘寺_二面石
二面石は、「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の教えとも結びついているように感じました。

 

左下の朱印の形は、五重塔が建っていた場所に現存する塔の心礎の穴の形を表しています。
かつて存在した五重塔は高さ約40mの巨大なもので推測されており、当時すでに優れた建築技術があったことを示し、橘寺が先進的な寺院で国にとって重要な役割を果たしていたことがわかります。

橘寺_五重塔礎跡
五重塔心礎跡の穴は間近で見ることができますので、朱印の形と比較してみてください。

 

この御朱印は、私がオーダーメイドの注文をした御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の中でも「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。
巧みな筆の動きで書き入れられた線の強弱が美しいのは、筆の勢いをしっかり受け止め、墨の吸収がよくにじみが少ない土佐手漉和紙ならではだと思います。書き手が思いのままに表現できているなといつも感じています。
力強く堂々とした書体からは、聖徳太子の日本の仏教の祖としての威厳が表されているように感じました。土佐手漉和紙に墨が染み込んでいく様子は、私の精神にも聖徳太子の威光や橘寺の歴史的功績が深く浸透していくかのようでした。
※千年帳の本紙に関して、以下リンクをご参照ください。

 

千年帳とは:本紙

 

 

聖徳太子・如意輪観音とご縁を結ぶ「新西国霊場10番札所」の御朱印

橘寺では、新西国霊場の10番札所でもあり、新西国霊場の御朱印もいただくことができます。
右上から「新西国第十番」「梵字」「寺名」の朱印に、「奉拝」「参拝日」「聖徳殿(しょうとくでん)」「橘寺」の墨書きが書き入れられるデザインで、こちらも持参した千年帳に直書きしていただき、志納料は500円でした。

橘寺_御朱印_新西国霊場
見事な筆さばきで「聖徳殿」と書き入れられる新西国霊場10番札所の御朱印です。

 

新西国霊場は、昭和7年(1932年)に大阪時々新報、京都日日新聞、神戸新聞を母体とした三都合同新聞社が、近畿2府4県(大阪府・和歌山県・奈良県・京都府・滋賀県・兵庫県)の寺院の中から、日本の仏教の始祖である聖徳太子の「和の道」と、平和な世界建設を基調に、信仰と健全な探勝行楽を兼ねる巡拝コースとして、一般読者の意見を中心に33ヶ寺を選定したものです。その後、戦争により一時荒廃しましたが、戦後に霊場から辞退した寺院に変わって新たに2ヶ寺を加え、さらに5ヶ寺を客番として迎え、新西国三十八霊場として再出発し、現代に受け継がれています。

 

中央に墨書きされる「聖徳殿(しょうとくでん)」とは、聖徳太子を祀る建物を意味していて、橘寺においては御本尊・聖徳太子坐像が祀られている本堂(太子殿)を指します。
中央の梵字の朱印は、「意のままに願いを叶え、災難から救う」という功徳があるといわれる如意輪観音(にょいんりんかんのん)を表しています。

 

新西国霊場10番札所の御朱印は、聖徳太子と如意輪観音と深いご縁を結んだ証となることでしょう。

 

 

 

 

往生院の「花の天井」

橘寺を訪れた際にぜひ拝観してみていただきたいのが「往生院(おうじょういん)」です。
平成9年(1997年)に再建され、260点もの花の絵が奉納された格天井の天井画が圧巻で、話題になっています。「花の天井」とも称され、その華やかな美しさはSNSにも多数投稿されています。堂内に入って寝転んで見ることができるので、その美しさを心ゆくまで堪能してみてください。

橘寺_往生院_花の天井
往生院の花の天井は、見とれてついつい声が漏れてしまうほどの美しさでした。

 

 

橘寺は、日本の仏教を確立・発展させた立役者である聖徳太子ゆかりの古寺です。飛鳥時代の歴史散策で奈良県を訪れた際にはぜひ立ち寄っていただき、達筆な御朱印をいただいて、聖徳太子とご縁を結ばれてください。

 

 

 

 

ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。

 

 

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