
- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
大阪府大阪市天王寺区にある「四天王寺」は、日本仏法最初の官寺として聖徳太子によって創建された古刹です。御本尊・救世観音が祀られている「金堂(大悲殿)」の御朱印を基本に、広大な境内にあるたくさんのお堂・仏様に対応する20種類以上の御朱印が授与されています。
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大阪府大阪市天王寺区にある「四天王寺(してんのうじ)」は、1400年以上の歴史があるとされる古刹で、古墳時代後期から飛鳥時代にかけて活躍したといわれる皇族であり政治家の「聖徳太子(しょうとくたいし)」と関わりが深い寺院として知られています。
四天王寺は、今から1400年以上も前の推古天皇元年(593年)に建立されたと伝わっています。
奈良時代に成立した日本の最古とされる歴史書「日本書紀」の中で、物部守屋(もののべもりや)と蘇我馬子(そがのうまこ)の合戦に際して、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために自ら四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願したことが四天王寺建立のきっかけといわれています。
合戦の結果、蘇我氏は物部氏に勝利し、聖徳太子は誓願通り、四天王寺を建立したとされています。
四天王寺の伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、中国や朝鮮半島を源流として、日本では最も古い建築様式の一つとされています。この建築様式は、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式となっていることが特徴です。
長い歴史の中で、地震などの自然災害や火災で、何度も消失・倒壊にみまわれてきましたが、熱心な信者や地域の人々の協力を得て復興への努力がなされ、再建され、現代に壮大なスケールの寺院が受け継がれています。
四天王寺の宗派は、かつては天台宗(てんだいしゅう)に属していた時期もありましたが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学(はっしゅうけんがく、奈良時代から平安時代にかけて日本で隆盛した仏教の8宗派の教義を併せて学ぶこと)の寺でした。日本仏教の祖とされる聖徳太子創建の寺であり、「どの宗派の人でもお参りできるように」との願いを込めて、昭和時代の戦後間もない時期に和宗(わしゅう)を創立し総本山となりました。仏法興隆と聖徳太子精神の高揚を本願とする寺院としてあつい信仰をあつめています。
四天王寺では、20種類以上の多種多様な御朱印が西大門近くの納経所で授与されていますが、基本となる御朱印は「大悲殿」の御朱印です。
右上に「大日本佛法最初」、中央に「佛法僧」、左下に「荒陵山四天王寺」の朱印がおされ、右に「奉拝」「参拝日付」、中央に「大悲殿」、左に「四天王寺」の墨書きが書き入れられるデザインです。
右上の朱印の「大日本佛法最初」は、四天王寺が日本で最初に朝廷によって建立された仏教寺院であることを意味しています。
中央の朱印の「佛法僧」は、仏・法・僧が仏教における三つの宝であるということを意味する言葉で、仏は悟りを開いた人、法は仏の教え、僧はそれを奉ずる教団のことを表しています。
中央の墨書きの「大悲殿」の「大悲」とは、観音菩薩の別名です。衆生の苦しみを救おうとする観音菩薩の広大な慈悲の心を表しています。大悲殿とは、聖観音菩薩・千手観音菩薩・如意輪観音菩薩などの観音菩薩が祀られている建物を指します。
四天王寺では、聖徳太子の本地仏である救世観音(ぐぜかんのん)が御本尊であり、「金堂(こんどう、その寺院の御本尊が祀られている本堂のこと)」に祀られています。この金堂が大悲殿にあたり、四天王寺の大悲殿の御朱印は、金堂を参拝し御本尊・救世観音とご縁を結んだ証となるため、いろいろな種類がある四天王寺の御朱印の中でも、基本の御朱印に位置付けられています。
左下の墨書きの「荒陵山(あらはかさん)」は、現在の四天王寺の山号で、「荒陵」は昔のこの地域の地名としても使われていたり、四天王寺が「荒陵寺」と呼ばれていたという記録もあります。荒陵とは古墳を意味しているという説もあり、四天王寺周辺にある古代の有力人物の墓との関連もうかがうことができ、四天王寺の長い歴史を物語る山号です。
なお、写真の御朱印は、私が御朱印巡りで使っている特別な御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。千年帳の本紙は、楮(こうぞ)という伝統的な和紙原料を使って職人さんが一枚一枚手漉きした「土佐手漉和紙」です。
手漉和紙に書き入れていただいた墨書きは、かすれやにじみの出方が絶妙で、深い味のある仕上がりになるように感じます。特に今回の御朱印では、「大悲殿」の墨書きの力強さが強調されているように感じ、御朱印を眺めていると力がみなぎってくるように思えました。
※千年帳の本紙に関して、以下リンクをご参照ください。
四天王寺のたくさんの種類の御朱印の中で、寺院創設者である聖徳太子の墨書きが書き入れられる「太子堂」の御朱印も人気があります。また、私が令和7年(2025年)5月に参拝した際には、四天王寺とJR東海のコラボ企画として、四天王寺を象徴する「石ノ鳥居」や「五重塔」と、新幹線が颯爽と駆け抜ける様子が描かれた切り絵タイプの限定御朱印が新幹線のネット予約サービス・エクスプレス予約で電子チケットを購入した人限定で授与されていました。
四天王寺に参拝した際には、どのような御朱印が授与されているか、納経所でチェックして、お気に入りの御朱印を見つけてみてください。
四天王寺は寺院ですが、本来は神社を象徴する鳥居があり、見どころのひとつになっています。
寺院に鳥居がたっていることに違和感があるかもしれませんが、鳥居は聖地結界の四門として仏教の始まりの地のインドでも一般的なもので、日本では神仏習合の歴史も長かったため、それほど珍しいものではありません。
四天王寺の鳥居は、もとは木造でしたが、鎌倉時代の永仁2年(1294年)に石造で建て替えられ、現在ものこっている貴重な建造物で、国の重要文化財に指定されています。
鳥居の上部には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれていて、これは「おシャカさんが説法する場所であり、ここが極楽への東門の中心である」を意味しています。昔はこの鳥居のすぐ外までが海だったそうで、ここから西海に沈む夕陽を拝し、その彼方にある極楽浄土を想像する信仰の形が根付いていたようです。
四天王寺には他にもたくさんの歴史的建造物があり、創建当時の品々など500点あまりの国宝・重要文化財を所蔵する宝物館など見どころ満載です。毎月21日の「大師会」、毎月22日の「太子会」という縁日や、春秋彼岸、夏のお盆期間などには境内に露店が出店したいへん賑わいます。
地域の中心的な役割を長く担ってきていることがよくわかります。
四天王寺は、日本仏法最初の官寺という長く由緒正しき歴史があり、現在も広大な境内と多くの歴史的建造物・宝物を有する、日本を代表する寺院のひとつです。大阪市南部を訪れた際にはぜひ立ち寄って、境内をじっくり散策されるのをおすすめします。たくさんのお堂・仏様に対応する多種多様な御朱印が授与されていますので、いろいろな仏様とご縁を結んでみたください。
※四天王寺と関係が深く、近隣にある大江神社、堀越神社、安居神社、今宮戎神社、阿部王子神社、安倍晴明神社に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】大阪府「大江神社」の「阪神タイガースの聖地」の「狛虎」の御朱印
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ライター:洋介0522
旅行添乗員の経験があるWebライター兼ディレクター。20代の時に仕事で四国八十八ヶ所のツアーに3回添乗したことで御朱印に興味をもちました。現在はワーケーションしながら全国各地の神社を巡り、御朱印をいただくのを趣味の一つにしています。御朱印帳は現在6冊目で、お気に入りの御朱印帳は京都・建仁寺のものです。
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