- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
埼玉県川越市にある「仙波東照宮」は、江戸幕府初代将軍・徳川家康の遺骸を移葬する際に立ち寄った場所に創建された神社です。家康の強大な御神徳や、家康の側近であった南光坊天海の家康を崇敬する想いが詰まった御朱印を拝受することができます。
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埼玉県川越市、江戸時代に「小江戸」と呼ばれて栄えた土蔵造りの商家の街並みを現代に受け継ぐ「蔵造りの町並み」の一角にある「喜多院(きたいん)」の境内の一角にある「仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)」は、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が神格化された「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」を祀る神社です。
※喜多院に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】埼玉県「喜多院」の厄除けの願いが込められた「川越大師」の御朱印
慶長8年(1603年)に江戸幕府を開府し、征夷大将軍に任ぜられた徳川家康は、元和2年(1616年)4月17日に75歳で死去しました。
生前、側近の金地院崇伝(こんちいんすうでん)、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)、本多正純(ほんだまさずみ)を呼んで遺言を残しました。「遺骸は久能山(くのうざん、現在の静岡県静岡市の家康が晩年を過ごした地の要衝)に葬り、供養は増上寺(ぞうじょうじ、現在の東京都港区にある徳川家の江戸における菩提寺)で行い、位牌は大樹寺(だいじゅじ、現在の静岡県岡崎市にある家康の出身地の菩提寺)」に収め、1年後遺骸を日光(にっこう、現在の栃木県日光市にある日光東照宮(にっこうとうしょうぐう))にお堂を建て移葬し、京都の南禅寺(なんぜんじ、現在の京都府京都市にある金地院崇伝が住職を務める寺)」にもお堂を建てよ。」という内容でした。
家康が亡くなった翌年、遺骸を改葬するため、久能山から日光に至る道中、南光坊天海が住職を務める現在の埼玉県川越市にある喜多院に到着し、4日間にわたる丁重な法要を行いました。
※久能山東照宮、増上寺、大樹寺、日光東照宮、南禅寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
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その後、寛永10年(1633年)11月16日に喜多院の境内に「仙波東照宮」が創建されますが、寛永15年(1638年)1月28日、川越大火により全て焼失してしまいました。3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が、当時の川越藩主・堀田加賀守正盛(ほったかがのかみまさもり)に命じ、寛永17年(1640年)5月に再建されました。このときの建物や石鳥居が現代にも受け継がれています。
明治2年(1869年)の神仏分離令により、喜多院から分離され、「川越八幡宮(かわごえはちまんぐう)」の境外末社となり、現在に至っています。
仙波東照宮は無人で社務所に神職さんは常駐していません。以前は、日・祝日のみ川越八幡宮から神職さんが来て、門扉が開けられ参拝が可能となり社務所が開所されていました。しかし、多くの人に参拝して欲しいという川越八幡宮の願いから、令和6年(2024年)2月より境内にある「CAFE ANDON(カフェ アンドン)」が門扉の鍵を管理して、平日でも参拝できるようになりました。
参拝可能時間はCAFE ANDON営業時間中の、平日11:00~17:00、土日祝10:00~17:00です。毎週火曜日はCAFE ANDONの定休日のため仙波東照宮の門は開いていないのでご注意ください。
参拝ルートとして、喜多院境内の慈眼堂(じげんどう)の脇の小道を通ってCAFE ANDONの前に出るルートと、喜多院山門手前の道路を進み随身門から入るルートがあります。
通常時は拝殿前で参拝します。内部は文化財保護の観点から公開されていません。
本殿につながる扉は施錠されており、正月と年3回の例祭(1/17、4/17、8/17)の時のみ開けられて本殿の近くまで行くことができます。
※川越八幡宮に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】埼玉県「川越八幡宮」の「川越の守護神」「勝負の神様」の御神徳が凝縮された多種多彩な御朱印


仙波東照宮は、栃木県・日光東照宮、静岡県・久能山東照宮と並ぶ、日本三大東照宮のひとつとされる説もあり、徳川家康の御神徳を感じることができる聖地のひとつとして、大切に受け継がれています。
※日本三大東照宮に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
仙波東照宮の御朱印は、CAFE ANDONにて書き置きタイプの御朱印が授与されていて、土日祝の社務所開所時には社務所で拝受することができます。また、仙波東照宮を管理している川越八幡宮でも御朱印をいただくことができます。
今回私が川越八幡宮でいただいた御朱印は、右上に「奉拝」、中央に「仙波東照宮」、左側に「参拝日」の墨書き、中央に「東照宮」、左上に「丸に三つ葵(徳川家の家紋)」、左下に「川越仙波東照宮印」の朱印がおされるデザインで、持参した御朱印帳に直書きしていただき、初穂料は500円でした。なお、直書きの対応は川越八幡宮のみで、書き置きタイプのみの対応になる時期・時間帯もあるそうなので、直書きでの拝受を希望する場合は、事前に確認しておくことをおすすめします。

CAFE ANDONでも書き置きタイプの御朱印を拝受し、右上に「奉拝」、隣に「重要文化財」、中央に「仙波東照宮」、左側に「参拝日(日付は吉日と記載されていました)」の墨書き、中央上部に「東照宮」、中央下部に「神宮司印」の朱印がおされるデザインで、初穂料は300円でした。

南光坊天海は、生前に徳川家康から受けた恩に報いるため、遺骸を久能山から日光に移す道中で自らが住職を務める喜多院に一時的に留め、法要を行いました。喜多院が徳川家康ゆかりの聖地であることの証として、また、近隣の住民が徳川家康を崇拝できるように仙波東照宮を建立しました。徳川家康が江戸幕府を開き長期間にわたって安泰と繁栄の時代が続いたことから、仙波東照宮は仕事運・出世運・勝負運の向上、健康長寿、家内安全などのご利益があるとして広く信仰をあつめています。
江戸時代には、各地の大名が徳川家・江戸幕府への忠誠を示すために全国で500社余りの東照宮が創建されましたが、仙波東照宮は川越藩の管理ではなく、幕府の直営であったことからも、特に重要な神社として扱われていたことがわかります。創建直後に当時の第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が「東照大権現」の勅額を下賜するなど、朝廷からも重要視された神社で、仙波東照宮の御朱印には由緒正しき歴史と徳川家康の大きな御神徳、南光坊天海の想いが宿っているように感じました。
書き置きタイプの御朱印に記されている「重要文化財」は、現代の仙波東照宮の境内で受け継がれている本殿、拝殿及び幣殿、瑞垣、唐門、石鳥居、随身門が国の重要文化財に指定されていることを表してます。建築物の内部は入ることはできませんが、参拝の際には、江戸時代の雅な建築様式をじっくりと拝観し、大切に守られてきた徳川家康ゆかりの聖地の空気感を体感してみてください。




私が令和8年(2026年)6月に仙波東照宮に参拝した際には、日本を代表する切り絵作家・石井一臣(いしいかずおみ)氏による限定の切り絵御朱印も授与されていました。徳川家ゆかりの葵の御紋をデザインした授与品なども頒布されていましたので、参拝の際にはどのような御朱印・授与品があるかぜひチェックしてみてください。
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仙波東照宮の境内には、国の重要文化財に指定されている建造物以外にも、長い歴史浪漫を感じるものがあるので、ぜひじっくりと散策してみてください。
拝殿の前に安置されている狛犬と手水舎は、かつての江戸城紅葉山にあった「紅葉山東照宮(もみじやまとうしょうぐう)」から移設されたものです。紅葉山東照宮は江戸城が皇居になるのに伴い破却された経緯があり、江戸幕府の歴史が仙波東照宮に引き継がれているといえます。

拝殿・本殿の周囲には、歴代の川越藩主が奉納した石灯籠が26基並んでいます。「知恵伊豆(ちえいず)」と呼ばれ3代将軍・徳川家光を小姓・老中として補佐した松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)や、5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の側用人として権勢を誇った柳沢美濃守吉保(やなぎさわみののかみよしやす)の名前もあり、江戸幕府にとって仙波東照宮が重要な聖地であったことを物語る史跡です。

また、童歌「あんたがたどこさ」の「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 仙波さ 仙波山には狸がおってさ それを猟師が鉄砲で撃ってさ」という歌詞は、熊本県熊本市が舞台であるといわれていますが、仙波東照宮と関係しているともされています。江戸時代末期の戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に、肥後国(ひごのくに、現在の熊本県)の熊本藩の藩兵が川越の仙波山に進駐し、川越の子ども達とのやり取りを歌詞としたいう説です。仙波東照宮がある地域一帯は当時は「仙波山」、徳川家康は「狸」と呼ばれていたことから、鉄砲で撃つは徳川幕府を倒しに来たという意味だと考えられています。
この童歌の歌詞にかんする伝承からも、仙波東照宮が徳川家康ゆかりの江戸幕府にとって重要拠点であったことをうかがい知ることができます。
仙波東照宮は、江戸時代から変わらない厳かで静謐な空気をたたえる徳川家康ゆかりの聖地です。御朱印には東照大権現の強力な御加護が込められているように感じました。江戸時代の名残をとどめる人気観光地である小江戸川越で古くからの歴史を体感することができる知る人ぞ知るスポットですので、ぜひ参拝して御朱印を拝受してみてください。
※近くにある成田山川越別院本行院に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
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ライター:民蔵
埼玉県在住、歴史関係が好きで古銭の収集や神社仏閣・城郭・博物館などの見学をライフワークにしています。寺社を見学するついでにと思って御朱印をいただき始めましたが、御朱印に記載された内容の意味がわかってくるともっと知りたくなりました。御朱印に込められた思いを、現地の空気感も含めてご紹介できればと思っています。
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