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【御朱印情報】全国の有名な「豊国神社」でいただける御朱印情報まとめ

全国各地に複数社ある「豊国神社」は、戦国時代に活躍し天下統一を成し遂げた武将「豊臣秀吉」を祀っている神社です。オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」のサイトでご紹介している、いくつかの有名な豊国神社でいただくことができる豊臣秀吉ゆかりのデザインの御朱印の情報をまとめました。

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「豊国神社」とは

「豊国神社」とは、戦国時代に活躍し天下統一を成し遂げた武将「豊臣秀吉(とよとみひでよし)」を祀っている神社です。
全国各地に複数社あり、「国」の字が旧字体の「豊國神社」と表記されたり、「とよくにじんじゃ」「ほうこくじんじゃ」と読みが異なる場合もありますが、豊臣秀吉が祀られているという点は共通しています。

 

豊臣秀吉は、戦国時代に尾張国(おわりのくに、現在の愛知県)の大名であった織田信長(おだのぶなが)に仕え、若くして立身出世を果たし、本能寺の変(ほんのうじのへん)で主君の織田信長が討たれたあとは、織田家の主導権争いに勝利し、その後に天下統一を果たしました。

 

豊臣秀吉はその大きな功績から死後に神格化され、皇室から「豊国(とよくに)」の名が贈られたことから「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」として祀られることになり、全国各地の豊臣秀吉ゆかりの地などに豊国神社が創建されます。
豊国は、日本最古の史記である古事記・日本書紀の日本神話において、日本の美称として記されている「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国(とよあしはらのちあきながいおあきのみずほのくに)」「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)」が由来とされていて、豊臣秀吉が日本にとって重要な神の地域にのぼりつめたことを示していると考えられています。

 

徳川家康(とくがわいえやす)によって豊臣家が滅ぼされ、江戸幕府が成立したことにより、全国各地の豊国神社は廃絶されたり社殿が破壊されたりし、衰退しますが、明治時代以降に再興が進んでいきました。

 

豊国神社は、豊臣秀吉が天下人までのぼりつめたことにあやかって、出世開運のご利益を授かれる神社として信仰をあつめています。

 

オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」のサイト内の記事で、全国各地にある豊国神社のうちいくつかをご紹介していますので、以下に各社の概要といただくことができる御朱印の情報をまとめました。

豊国神社_豊臣秀吉像
京都府の豊国神社の境内には、太平洋戦争中に製作された陶製の豊臣秀吉像が安置されています。

 

 

京都府「豊国神社」の御朱印

京都府京都市東山区にある「豊国神社(とよくにじんじゃ)」は、豊臣秀吉を祀るために、秀吉が亡くなった翌年の慶長4年(1599年)に創建された神社です。秀吉の遺言に従って東山の阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、朝廷より「正一位豊国大明神(しょういちいとよくにだいみょうじん)」の神号を下賜され、阿弥陀ヶ峰中腹に秀吉を祀る社殿が建てられ、これが豊国神社の始まりとなりました。
御朱印には秀吉の馬印「ひょうたん」と家紋「五七桐」が記され、所蔵する刀剣「骨喰藤四郎」をモチーフにしたアート御朱印など限定御朱印が授与されていることでも話題になっています。
※京都府の豊国神社でいただける御朱印の詳細情報は、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】京都府「豊国神社」の豊臣秀吉ゆかりの馬印「ひょうたん」と家紋「五七桐」の御朱印

 

豊国神社_御朱印
「五七桐」と「ひょうたん」の朱印がアクセントになっている京都府の豊国神社の御朱印です。

 

 

大阪府「大阪城豊國神社」の御朱印

大阪府大阪市中央区の豊臣秀吉が築城し拠点とした大阪城跡の敷地内にある「大阪城豊國神社(おおさかじょうほうこくじんじゃ)」は、豊臣秀吉をはじめとした豊臣家の人々を祀った神社です。主祭神は、大阪城を建てた豊臣秀吉、秀吉の息子にあたる豊臣秀頼(とよとみひでより)、秀吉の弟にあたる豊臣秀長(とよとみひでなが)の三柱で、出世開運のご利益を求める多くの人が参拝に訪れています。
豊臣秀吉ゆかりの出世開運の願いが込められたシンプルなデザインの御朱印のほか、祭事や季節に合わせて授与される限定御朱印など、多種多様な御朱印が授与されています。
※大阪府の大阪城豊國神社でいただける御朱印の詳細情報は、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】大阪府「大阪城豊國神社」の豊臣秀吉ゆかりの出世開運の多種多様な御朱印

 

大阪城豊國神社_御朱印
流れるような書体で書き入れていただいた大阪府の大阪城豊國神社の御朱印です。

 

 

 

 

愛知県「豊国神社」の御朱印

愛知県名古屋市の中心市街地である中村区にある「豊国神社(とよくにじんじゃ)」は、豊臣秀吉の生誕地とされる場所に鎮座している神社です。明治16年(1883年)に、当時の県令・国貞廉平(くにさだれんぺい)をはじめとする地元崇敬者達により、豊臣秀吉の生誕地で秀吉を祀る神社を作ろうという運動が盛んとなり、同年7月に豊臣秀吉の生誕地とされる当地に豊国神社の創建が決定しました。明治18年(1885年)1月に竣工し、7月には神社が創建されましたが、県令の死去により以降の工事が中止となりました。その後、明治34年(1901年)に豊国神社周辺が中村公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれるようになります。豊臣秀吉の配下として活躍し、築城や治水の名手としても知られる戦国武将・加藤清正(かとうきよまさ)も当地周辺で生誕したとされ、豊国神社の摂社として加藤清正も祀られていることから、中村公園は「秀吉清正公園」の愛称もあり、現代でも地元の人に愛されています。
豊臣秀吉の家紋「五七の桐紋」の金色の印と「豊臣秀吉公生誕之地」の朱印がおされる、豊臣秀吉ゆかりの御朱印をいただくことができます。
※愛知県の豊国神社でいただける御朱印の詳細情報は、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】愛知県「豊国神社」の「豊臣秀吉公生誕之地」と記される御朱印

 

豊国神社_御朱印
豊臣秀吉の生誕地ならではの要素がつまった愛知県の豊国神社の御朱印です。

 

 

広島県「豊国神社」の御朱印

広島県廿日市市、瀬戸内海に浮かぶ宮島に鎮座する「豊国神社(ほうこくじんじゃ)」は、安土桃山時代の天正15年 (1587年)に豊臣秀吉が毎月1度千部経を読誦するための仏堂として、臨済宗の僧侶・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に命じて建立させた堂宇が起源です。その後、豊臣秀吉が急死してしまい工事が中止になったため、建物の天井はほとんど張られておらず、壁や畳もなく、どっしりとした太い柱と板張りの床が目立つ状態のまま現代に引き継がれている未完成状態ですが、それが逆に特徴的で、宮島島内最大の木造建築物「千畳閣(せんじょうかく)」として親しまれています。
創建を命じた豊臣秀吉に関連する家紋や宮島名物のしゃもじが可愛くデザインされた御朱印をいただくことができます。
※広島県の豊国神社でいただける御朱印の詳細情報は、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】広島県「豊国神社」の豊臣家紋と宮島しゃもじがデザインされた御朱印

 

豊国神社_御朱印
豊臣家との関係と宮島の特徴が表現された広島県の豊国神社の御朱印です。

 

 

 

 

全国各地にある豊国神社は、豊臣秀吉ゆかりに地に鎮座し、秀吉の功績やまつわる歴史を現代に伝える観光スポットとしても人気があります。いただくことができる御朱印には、秀吉や豊臣家に関係する家紋やマーク、その土地ならではのデザインが施されている特徴あるものばかりですので、秀吉とご縁を結び、出世開運のご利益にあやかった証としてぜひ拝受してみてください。

 

 

 

 

ライター:千年帳編集部
オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」の商品詳細情報や魅力、こだわりなどを発信しています。千年帳を携えて寺社を参拝し、実際に拝受した御朱印の情報など、御朱印巡り好きの人のためのお役立ち情報もお届けします。

 

 

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