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【御朱印情報】岡山県「最上稲荷」の日蓮宗ならではの御朱印と御首題

岡山県岡山市北区にある「最上稲荷」は、「日本三大稲荷」のひとつされ、岡山県内で屈指の参拝者数の多さを誇る日蓮宗の寺院です。日蓮宗ならではの「妙法」の御朱印や「南無妙法蓮華経」の御首題をいただくことができます。

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日本三大稲荷のひとつ「最上稲荷」

岡山県岡山市北区にある「最上稲荷(さいじょういなり)」は、正式には「最上稲荷山妙教寺(さいじょういなりさんみょうきょうじ)」と称する日蓮宗の寺院です。

 

奈良時代の天平勝宝4年(752年)に、備前国(びぜん、現在の岡山県)出身であったといわれる報恩大師(ほうおんだいし)という僧が孝謙天皇(こうけんてんのう)の病気平癒の勅命を受けて、吉備山中の八畳岩で修法したところ、最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうだいぼさつ)を感得し、孝謙天皇が全快したという伝説があります。
後に桓武天皇(かんむてんのう)の病気平癒祈願の功徳により、寺院建立の寄進申し出がありました。報恩大師が霊地を求めていたある日、最上位経王大菩薩より「備中国、龍王山麓に堂宇を定むるべし」との宣告があり、桓武天皇は祈願所として龍王山神宮寺を寄進創建し、これが現在の最上稲荷山妙教寺の始まりだと伝わっています。

 

最上稲荷は、明治時代初期の廃仏毀釈を逃れ、特別に神仏習合の祭祀形態が許された、仏教の流れをくむ貴重な稲荷として知られています。寺院でありながら、参道には鳥居が複数あり、お堂も江戸時代の寛保元年(1741年)に建立された霊応殿(旧本殿)、昭和54年 (1979年)に建立された霊光殿(本殿)ともにしめ縄がかけられた神宮形式です。

最上稲荷_大鳥居
境内の3kmほど手前にある、高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇るベンガラ色の大鳥居が最上稲荷の目印です。
最上稲荷_鳥居_駐車場
境内は龍王山の中腹にあり、麓の石造の鳥居の周辺にたくさんの民間駐車場が整備されています。
最上稲荷_参道商店街
麓からの参道は屋根付きの商店街になっていて、飲食店やお土産物屋が並んでいますが、私が訪れた2月中旬の平日午前中は営業しているお店が少なかったです。
最上稲荷_本殿霊光殿
開山千二百年記念事業として計画され、5年かけて昭和54年に完成した本殿(霊光殿)は壮大なスケールでした。
最上稲荷_旧本殿(霊応殿)
本殿背後の斜面をのぼった先にある、江戸時代再建の旧本殿(霊応殿)は、長い歴史を感じる檜皮葺が美しい建造物です。

 

最上稲荷は、その長く由緒正しき歴史から、京都府京都市にある伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)と愛知県豊川市にある豊川稲荷(とよかわいなり)と並び「日本三大稲荷」といわれています。
※豊川稲荷に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】愛知県「豊川稲荷」の稲荷の由来になった吒枳尼眞天の御朱印

 

悪縁を絶つ「縁きり」と良縁を結ぶ「縁むすび」を合わせて行う縁の願掛けが特に有名なほか、祈祷本尊の最上位経王大菩薩(稲荷大明神)は五穀豊穣、商売繁盛、開運など多くの福徳をそなえているとされ、ご利益を求めて年間300万人ほどの参拝者が訪れているそうです。特に正月の初詣期間には岡山県内で随一の60万人ほどの参拝者をあつめているとのことです。

 

 

「妙法」の御朱印

最上稲荷では、複数種類の御朱印が授与されていて、本殿近くの祈祷受付でいただくことができます。今回私は、代表的な御朱印である「妙法」の御朱印を志納料500円で御朱印帳に書き入れていただきました。

 

「日本三大稲荷」「最上位経王大菩薩」「最上稲荷総本山」の朱印に、「妙法」「寺名」「参拝日付」の墨書きが入るデザインです。

最上稲荷_御朱印
迫力のある書体で表現された最上稲荷の「妙法」の御朱印です。

 

「妙法(みょうほう)」とは、正しい教えという意味で、「妙法蓮華経(法華経)」を表します。
法華経はお釈迦さまが晩年に説いたもので、お釈迦さまの教えの大切なことが凝縮された尊いお経といわれ、日蓮宗の宗祖・日蓮上人(にちれんしょうにん)が法華経を護持すれば困難な世であっても人々は救われると悟り、法華経の布教に生涯を捧げたことから、日蓮宗で特に大切にされています。
このことから、日蓮宗の寺院では、御朱印に妙法と記されることが多いです。

 

また、中央の朱印に記されている最上稲荷の祈願本尊・最上位経王大菩薩は、法華経のこころをもって、衆生の悩み苦しみを和らげ安らぎを与える最尊最上の存在であると考えられています。実りの象徴として左手には稲穂をもち、厄災をなぎ払う象徴として右手には鎌をもった、白狐にまたがる天女の姿で表されます。
最上位経王大菩薩の姿は、稲荷神の本地とされる荼枳尼天(だきにしてん)の像容とその特徴を同じくしていて、稲荷大明神として信仰されてきました。

 

この御朱印は、株式会社四国遍路が制作・販売しているオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきました。
本紙は、高知県で伝統的に受け継がれている「土佐和紙」の中でも、現地で栽培・収穫された楮(こうぞ)という植物原料を使い、伝統的な製法で職人さんが1枚1枚手漉きした「土佐手漉和紙」で、迫力ある妙法の書体のとめ・はね・はらいのかすれや濃淡が絶妙な具合に表現されていて、字の力強さがより強調されているように感じます。
御朱印受付の担当者さんが「このような特別な紙は見たことがないです。書き入れる僧侶が少し緊張しながら、丁寧に書き入れさせていただきました。」とおっしゃっていました。普段からいろいろな御朱印帳や紙を見たり書き入れをされているお寺の人だと、紙の質をよくわかってくださるのだなあとうれしくなりました。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。

 

千年帳とは:本紙

 

 

日蓮宗ならではの「御首題」

日蓮宗では、「崇高な法の蓮華経に帰依します」という意味の「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と繰り返し唱えることで修行し悟りを求める教えがあります。南無妙法蓮華経は「御題目(おだいもく)」と呼ばれ、日蓮宗の信仰の核心である法華経の教えが、ここに集約されているといえます。
この南無妙法蓮華経(御題目)を参拝の証として記すのが「御首題(ごしゅだい)」で、日蓮宗の寺院の特徴です。
※御首題に関しては、以下リンクの記事で詳細に解説されていますで、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印関連情報】日蓮宗の寺院で授与される「御首題(ごしゅだい)」とは

 

最上稲荷でも御朱印受付で御首題をリクエストすると書き入れていただくことができます。今回私は、御朱印帳とは別に持参していた新しい帳面に御首題を書き入れていただき、志納料は御朱印と同様の500円でした。
日蓮宗の御首題は、神社や他宗派の御朱印と同じ帳面に混在することはよくないこととされていて、御朱印帳・納経帳に御首題の書き入れをお願いしても断られることがあるので、日蓮宗の寺院を訪れる際には日蓮宗専用の御首題帳を用意することがおすすめです。

 

最上稲荷の御首題のデザインは、基本スタイルは妙法の御朱印と同様で、中央に「南無妙法蓮華経」の墨書きが書き入れられ、御朱印と比較すると寺名が「最上稲荷山妙教寺」と寺院としての正式名称が記されるのが特徴です。

最上稲荷_御首題
私が普段使っている御朱印帳よりも大きなサイズの帳面に御首題を書き入れていただいたので、南無妙法蓮華経のたくさんの文字もバランスよくおさまっています。

 

南無妙法蓮華経の書体が特徴的で、法の字を覗く6文字の筆端を勢いよく四方にはねのばす書体で、その見た目が長くのびた髭のように見えることから「ひげ文字」「髭題目」などとも呼ばれています。この書体は、日蓮宗では法の光に照らされて万物が真理を体得し活動するさまを表現するものとされ、南無妙法蓮華経と書き記す際の宗派内で共通のものです。

 

この御首題も、株式会社四国遍路が制作・販売しているオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」に書いていただきましたが、本紙は御朱印帳でご紹介した楮紙とは異なり、日本銀行券(紙幣)にも使われている三椏(みつまた)という植物を主原料にした土佐手漉和紙「三椏紙」です。三椏は繊維が短く、仕上がった紙の表面が滑らかになるのが特徴です。
比較的細い字で繊細に表現されるはらいが特徴の御首題を書き入れていただくのにはぴったりだと思いチョイスし、想像していたとおり、細かいところもラインがはっきりと浮き出るように美しく仕上がっているように感じます。帳面のサイズを大判にしたことも、文字数が多い御首題には適していると思いました。
※千年帳のサイズに関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。

 

千年帳とは:サイズ

 

 

 

 

絶景スポット「秀吉本陣」と遺構「備中高松城跡」

最上稲荷は龍王山の山頂から山麓まで広大な境内を有していて、見どころがたくさんあります。

 

山頂方面に登っていくと、報恩大師が修行し最上位経王大菩薩が降臨したと伝わる八畳岩などの聖地もあるのですが、それなりの傾斜の登山のようだったので今回私は訪れるのはあきらめました。
登山までは難しいにしても、本殿から5分ほど坂をのぼったところにある「秀吉本陣(一の丸)」はぜひ訪れてみていただきたいおすすめスポットです。

最上稲荷_秀吉本陣
秀吉本陣は山の麓の平野部を一望できる絶景スポットです。
最上稲荷_秀吉本陣_日蓮上人像
秀吉本陣には麓を見下ろすように日蓮宗の宗祖・日蓮上人の像もありました。

 

秀吉本陣は名前の通り、羽柴秀吉(はしばひでよし、のちの豊臣秀吉)が砦を築き陣を構えたとされる遺構です。
戦国時代の天正10年(1582年)に、織田信長(おだのぶなが)の命令で中国地方を平定するために西に進んできた羽柴秀吉は、この地で中国地方を治める毛利氏の手勢と対峙します。沼地の要害に守られた備中高松城を攻めあぐね、この陣で悩む羽柴秀吉に軍師の黒田官兵衛(くろだかんべえ)が水攻めを献策し、本陣を石井山に移したのちに、平地を流れる足守川の水取口に大規模な堤防を短期間で築き、備中高松城周辺を水没させ、孤立させることに成功します。
この戦いのさなか、中国地方に軍を進める用意をしていた織田信長が京の本能寺で明智光秀(あけちみつひで)に討たれたことで、羽柴秀吉は毛利氏との和睦を急ぎ、備中高松城主・清水宗治(しみずむねはる)の自刃を条件に和睦が成立し、急ぎ京に戻って明智光秀を討ち、天下人への階段を駆け上っていくことになります(中国大返し)。

 

秀吉本陣は、羽柴秀吉が備中高松城を見下ろしながら策を練ったことを追体験できる、戦国武将好きの人や戦国時代の歴史ファンにはたまらない歴史スポットだと思います。現在でも備中高松城跡がある平野部を見渡すことができますし、最上稲荷から約3kmほどの距離にある備中高松城跡は公園として整備され資料館もあるので、最上稲荷を訪れた際にはあわせて巡ってみるのもおすすめです。

備中高松城跡_清水宗治首塚
備中高松城跡の本丸跡には、自身の命と引き換えに城民を守った清水宗治の首塚があり祀られています。
備中高松城跡
備中高松城跡は、沼地の要害であったことを現在でも彷彿とさせます。

 

 

最上稲荷は、日本三大稲荷とされる岡山県屈指の日蓮宗の名刹です。広大な境内には、長い歴史を物語る建造物や遺構が多数あり、じっくりと散策したり、聖山・龍王山の登山もおすすめです。日蓮宗ならではの御朱印や御首題をいただくことができるので、岡山県での御朱印巡りの際には外せない寺院のひとつです。

 

※同じ岡山市北区にある岡山県を代表する神社である吉備津神社と吉備津彦神社に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。

 

【御朱印情報】岡山県「吉備津神社」の「三備一宮」と記される伝統的な御朱印

 

【御朱印情報】岡山県「吉備津彦神社」の備前国一宮の「桃太郎」にちなんだ御朱印

 

 

 

 

ライター:千年帳編集部
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