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埼玉県川越市にある「成田山川越別院本行院」は、種々のお願い事の成就を祈る護摩祈祷所として広く信仰をあつめている寺院です。厄難消除の願いが込められた「不動明王」の御朱印のほか、多種多彩なアート御朱印や霊場巡礼の御朱印が授与されています。
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目次
埼玉県川越市、江戸時代に「小江戸」と呼ばれて栄えた土蔵造りの商家の街並みを現代に受け継ぐ「蔵造りの町並み」の一角にある「成田山川越別院本行院(なりたさんかわごえべついんほんぎょういん)」は、真言宗智山派の寺院です。
成田山川越別院本行院は、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)に僧侶・石川照温(いしかわしょうおん)によって開創されました。
明治6年(1873年)に本堂が建立され、明治9年(1876年)に現在の千葉県にある成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)の末寺となり、翌年に土地建物すべてを本山の管理に移し、成田山新勝寺の最初の別院となり、それ以後は住職は本山の住職が兼務しています。
※成田山新勝寺に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】千葉県「成田山新勝寺」の「御堂めぐり」でいただく6種類の御朱印
成田山川越別院の境内には、御本尊・不動明王を祀る本堂を中心に、大師堂、開山堂、福寿殿、出世稲荷などの諸堂が整然と配置され、複数の神仏が祀られています。厄難消除をはじめとした心願成就の護摩祈祷を日々行い、「川越のお不動さま」と呼ばれて広く信仰をあつめ、常にたくさんの人が参拝に訪れています。毎月28日の不動明王の縁日には境内で蚤の市が開かれ、古着や骨董品などを扱う店を中心に約100店ほどの出店が並び、特に多くの訪問者でにぎわいます。


成田山川越別院本行院では、私が参拝した令和8年(2026年)6月には本堂左脇のお守り・御朱印受付で、直書き2種類・書置き7種類の多種多彩な御朱印が授与されていました。

基本の御朱印は、直書き対応可能な黒墨の通常御朱印と金墨の特別御朱印で、私は特別御朱印を拝受しました。右上に「奉拝」、右下に「参拝日」、中央に「不動明王をあらわす梵字」「不動明王」、左側に「川越 成田山」の墨書き、右上に「成田山本行院」の丸印、中央に「火焔光と宝珠の中に不動明王の梵字」、左下に「成田山本行院」の角印の朱印がおされるデザインで、志納料は800円でした。

成田山川越別院本行院の御本尊・不動明王には、寺院開創にまつわる伝承がのこっています。
成田山川越別院本行院を開創した石川照温は、文化2年(1805年)に下総国(しもうさのくに、現在の千葉県北部)の農家の三男として生まれ、留五郎と名付けられました。幼少より他国に出て、様々な困難にあうなどの波乱にとんだ生活を送る中、両眼を失明してしまい、3度にわたり自殺を計りましたが果たせませんでした。死ねなかったのは、神仏が自分を見捨てていないからだと信じて、下総国の成田山新勝寺において21日間の断食の行に入りました。この修行で不思議なことに両眼は少しづつ見えるようになり、修行を終えるころには、ほぼ元通りに完治しました。
成田山新勝寺の御本尊・不動明王の偉大なる加持力、また大慈悲に心から感激し、一生を不動明王のために捧げることを誓い、天保13年(1843年)に成田山新勝寺において出家得度し、照温の法名を授かり、不動明王の霊験を広めるために諸国巡歴の旅に出ました。各地で信徒の数が増していき、川越の信徒十数名が世話人となり、川越藩から許可を得て、当時廃寺になっていた本行院を再興し、不動明王を安置しました。本行院が久保町にあったことから「久保町のお不動さま」と呼ばれて親しまれ、現代にも続く川越における厄難消除の不動明王信仰の礎になっています。


成田山川越別院本行院の不動明王の御朱印には、開山・石川照温が修行に励み不思議なご利益を授かった伝承や不動明王に対するあつい信仰心、また、その霊験を川越の地で広げていこうと活動した人々の努力の歴史が込められているように感じ、金文字の特別な墨書きと相まって、厄難消除の不動明王に常に守っていただけるような気持ちになりました。

複数種類ある書置きタイプのアート御朱印の中から、「空海(くうかい)のお言葉御朱印」を拝受しました。
見開きの右側の中央に空海の言葉、右下に青字で「夏詣」、左側全体に大きく銀文字で「空海」、背景は水面に太陽の光が反射する様子が描かれ、見開き左側は、右上に「奉拝」、中央に黒墨・金墨で「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」、左上に「参拝日」、左下に「川越 成田山」の墨書き、中央に「弥勒菩薩(みろくぼさつ)の梵字印」、右下に「空海の御姿」、下に「密教の法具の五鈷杵(ごこしょ)」、背景に「ヱ霞文様(えがすみもんよう)」が描かれるデザインで、志納料は1,000円でした。

空海は、平安時代初期の高僧で、真言宗の開祖であり、後に朝廷より送られた弘法大師(こうぼうだいし)の諡号でも知られています。
讃岐国(さぬきのくに、現在の香川県)で生まれ、14歳で京に上り勉学・修行を行い、31歳の時に遣唐使の一員として唐(とう、現在の中国)に渡り、わずか2年で密教修行を終え帰国し、紀伊国(きいのくに、現在の和歌山県)の高野山(こうやさん)に真言宗総本山となる金剛峰寺(こんごうぶじ)を開きました。また、文化・芸術や様々な社会事業、さらに朝廷から京都の東寺(とうじ)を下賜され政治にも大きな影響力をもつなど、多岐にわたる分野で活躍し、62歳の時に高野山奥之院で入定(にゅうじょう)しました。入定とは、悟りを開いたまま永遠に瞑想を続けることで、弥勒菩薩が現世に現れる時まで空海は瞑想に入っていると考えられており、現在も衣服と食事が1日2回届けられる風習がのこっています。
※金剛峯寺、東寺、高野山奥之院に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
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空海の言葉「夏月の涼風 冬天の渕風 一種の気なれとも 嗔喜同じからず(かげつのりょうふう とうてんのえんぷう いっしゅのきなれども しんきおなじからず)」は、空海の弟子が集成した「遍照発揮性霊集(へんじょうほっきしょうりょうしゅう)」に収められているもので、「夏の日にそよぐ涼風と冬の日に吹きわたる川風は同じ風ではあるが、人は夏の風は喜び冬の風は嫌う。同じものでも、受け取る心によって感じ方は異なる。」という意味です。
「物事そのものよりもそれを受け取る心の在り方が大切である」という空海の教えを表しています。
「南無大師遍照金剛」とは、「南無」は仏などに帰依する気持ち、「大師」は弘法大師、「遍照金剛」は空海が唐で密教修行をした際に授けられた名前で真言宗の最高位の仏である大日如来(だいにちにょらい)の別名でもあります。まとめると、大日如来の化身である空海に帰依するということを意味します。
空海は不動明王を念持仏(ねんじぶつ、常に身近におく守護本尊)とし、唐からの帰国時に暴風雨に遭遇した際には不動明王に祈願して危機を救われた、空海が入定する時には涙を流して見送ったなど、数々の伝説がのこっています。現在は東寺の御影堂(大師堂)に秘仏として大切に安置されています。
成田山川越別院本行院を開創した石川照温の不動明王信仰は、空海の教えとも深くつながっていて、空海のお言葉御朱印から真言宗の信仰の形を体感することができると思います。


成田山川越別院本行院は霊場巡礼の札所にもなっていて、それぞれ専用の御朱印も授与されています。
「小江戸川越七福神(こえどかわごえしちふくじん)の恵比須天(えびすてん)」の御朱印は、右上に「奉拝」、中央に「恵比須天」、左側に「成田山川越別院」の墨書き、右に「小江戸川越七福神」、中央に「火焔光と宝珠の中に不動明王の梵字」、左上に「参拝日」、左下に「成田山本行院」の朱印がおされるデザインで、志納料は300円でした。

日本における七福神信仰は、室町時代末期頃から庶民の間で広がり、恵比須天は七福神の中では日本古来の福の神で、外人を意味するエビスという言葉と同じで、本来は海の向こうから来臨して人々に幸せをもたらす神とされています。日本神話における伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の間の子の蛭子命(ひるこのみこと)であるという説と、大黒天と習合した大国主命(おおくにぬしのみこと)の子である事代主神(ことしろぬしのかみ)という説があり、大黒天と一緒に祀られることもあります。釣り竿と鯛を持っていることから海上守護・漁業の神として信仰され、魚を取引する市場の神、商売繁盛の神としても崇敬されています。
川越地域で7ヶ所の寺院を巡る「小江戸川越七福神」は昭和61年(1986年)から始まり、成田山川越別院は恵比須天を祀る第4番札所になっています。全7ヶ所を回ると約6kmの行程で、江戸時代の風情がのこる川越の町並みの観光とあわせて巡るのにちょうど良いコースになっています。年の初め、月の初めに巡ると特にご利益が大きいといわれ、1月の元日から7日、毎月1日がご縁日になっていて、成田山川越別院では恵比須天をたくさんの人が参拝しています。

「関東三十六不動尊霊場 川越不動尊(かわごえふどうそん)」の御朱印は、見開きサイズで、向かって右側に御朱印、左側にお札を貼る形態です。
見開き右側は、右上に「奉拝」、中央に「不動明王をあらわす梵字」「不動明王」、左側に「川越不動 成田山」の墨書き、右上に「関東三十六不動尊霊場第二十七番」、中央に「火焔光と宝珠の中に不動明王の梵字印」、左上に「虚空護童子(こくうごどうじ)」、右下に「成田山本行院」の朱印がおされ、下部には寺院名・札所番号・不動尊名・郵便番号・住所・電場番号が印刷されているデザインです。見開き左側は、御本尊の川越不動尊の尊影図のお札と虚空護童子のお札を貼るようになっていて、志納料は500円でした。

虚空護童子は、不動明王の眷属の三十六童子の中の27番目の童子で、広大な宇宙(虚空)を守護する存在で、宇宙の力を具現化し、無限の可能性をもたらす存在として信仰されています。
関東三十六不動尊霊場は昭和62年(1987年)に開創された霊場巡礼で、神奈川県7寺、東京都19寺、埼玉県5寺、千葉県5寺の36ヶ所の不動明王を祀る寺院で構成されています。36の霊場数は、不動明王の眷属の三十六童子に由来していて、全国各地で同様の不動尊霊場巡礼が存在します。
私が小江戸川越七福神と関東三十六不動尊霊場の御朱印を拝受するのは、近くにある喜多院(きたいん)に続いて2寺目でした。2寺の御朱印ともに墨書きやデザインが美しく特徴があって、引き続き札所を巡拝してすべての御朱印を集めてみたいと思っています。
※喜多院に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】埼玉県「喜多院」の厄除けの願いが込められた「川越大師」の御朱印

私が成田山川越別院本行院を参拝した令和8年(2026年)6月には、「川越成田山風鈴まつり(青葉まつり)」が行われていました。
弘法大師空海の誕生を祝う行事で大師堂にたくさんの風鈴が飾られます。これは、参拝者が願い事を書いた木製の短冊を奉納するごとに吊り下げられる風鈴で、短冊は割札になっていて、お願いと名前を書いた方を奉納し、川越成田山風鈴まつりと書かれた方をお守りとして持ち帰ります。


成田山川越別院本行院では、定期的にいろいろな行事が開催されていますので、行事にあわせて参拝し、参拝者でにぎわう境内の様子を楽しむのもおすすめです。
成田山川越別院本行院は、川越地域に根差した護摩祈願所「川越のお不動さま」として親しまれている身近な寺院です。開創の原点であり信仰の礎になっている不動明王の御朱印をはじめとする多種多彩な御朱印には、様々な仏様の霊験が込められています。小江戸・川越での歴史散策の際にはぜひ立ち寄ってみていただきたい寺院のひとつです。
※成田山新勝寺の別院である成田山横浜別院延命院、犬山成田山に関して、以下リンクの記事で紹介されていますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】神奈川県「成田山横浜別院延命院」の成田山信仰の歴史が凝縮された「不動明王」の御朱印
【御朱印情報】愛知県「犬山成田山」の交通安全・厄除け祈願の不動明王の御朱印
ライター:民蔵
埼玉県在住、歴史関係が好きで古銭の収集や神社仏閣・城郭・博物館などの見学をライフワークにしています。寺社を見学するついでにと思って御朱印をいただき始めましたが、御朱印に記載された内容の意味がわかってくるともっと知りたくなりました。御朱印に込められた思いを、現地の空気感も含めてご紹介できればと思っています。
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香川県琴平町にある「金刀比羅宮」は、全国各地にある金刀比羅神社の総本宮で、「こんぴらさん」の通称で親しまれています。本宮と奥社のそれぞれの授与所で、金刀比羅宮ならではの風景や風習が描かれたアート御朱印をいただくことができます。
三重県桑名市にある「多度大社」は「伊勢国二の宮」とされ、伊勢神宮との関係が深い古社です。「馬」に関わる伝説や神事で知られ、馬が表現された、伝統的な直書き御朱印や芸術的な限定アート御朱印をいただくことができます。
鹿児島県霧島市にある「鹿児島神宮」は、日本神話「海幸山幸」を伝える由緒ある古社で、皇室ゆかりの神々を祀る格式高い神社です。この地に伝わる物語と「大隅国一之宮」として長く信仰されてきた歴史を感じられる御朱印をいただくことができます。
神奈川県横浜市西区にある「伊勢山皇大神宮」は、明治時代初期の創建から150年以上にわたって横浜の街を見守り続け、「関東のお伊勢さま」として親しまれています。桜の名所であることが由来の桜紋の朱印がおされる御朱印からは、「横濱総鎮守」として地域の繁栄と安寧を祈る中核的な役割を果たしてきた歴史を感じることができます。