- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
愛知県三河地方の知立市にある「遍照院」、刈谷市にある「西福寺」「密蔵院」は、弘法大師空海の伝説がのこる寺院で「三河三弘法」と呼ばれています。3ヶ寺それぞれで弘法大師空海がお手彫りしたと伝わる座像にまつわる伝説を表した御朱印をいただくことができます。
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愛知県三河地方の知立市にある「遍照院(へんじょういん)」、刈谷市にある「西福寺(さいふくじ)」「密蔵院(みつぞういん)」は、弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)の伝説がのこる寺院で「三河三弘法(みかわさんこうぼう)」と呼ばれています。
平安時代初期の弘仁5年(814年)に、関東地方を旅していた弘法大師空海は、古くから知立神社の門前町として栄えていた現在の愛知県知立市エリアに約1ヶ月間滞在したそうです。滞在中に弘法大師空海は地域の3ヶ寺に立ち寄り、自らの姿を彫った座像を祀ったことで、この3ヶ寺は弘法大師空海ゆかりの寺院として、のちの世まで長く信仰されることとなります。
弘法大師空海は知立エリア滞在後に、舟で知多半島に渡り、大井の浜から上陸しました。このことが、後世の知多四国霊場の誕生へとつながっていきます。
※知多四国霊場に関係する弘法大師空海の伝承について、以下のリンクの四国遍路情報サイト「四国遍路」の記事でご紹介していますので、ぜひこちらもご覧ください。
「三河三弘法」の名称と霊場が成立したのは、明治時代初期の頃とされています。
遍照院の「主杲賞和尚(しゅこうしょうおしょう)」が、弘法大師空海への深い信仰心と敬意から、弘法大師空海お手彫りの座像が祀られている3ヶ寺を巡る霊場を組織し、三河三弘法と名付けました。和尚は講と呼ばれる団体もつくり、自らが先達となって、巡礼文化の普及に努めます。
また、江戸時代後期に成立していた知多半島の四国八十八ヶ所霊場の写し霊場である知多新四国霊場(現在の知多四国霊場)との関係性が、三河三弘法の認知拡大や巡礼者の増加に深く関係してきます。
※知多四国霊場の成り立ちに関して、以下リンクの四国遍路情報サイト「四国遍路」の記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】開創を成し遂げた「三開山」の強い想いと大きな苦労・努力のエピソード
四国八十八ヶ所霊場巡礼では、すべての札所をまわり終えた後に、弘法大師空海が開き入定している和歌山県高野山にお礼参りに行く習慣があるので、知多新四国霊場でもそれにならいお礼参りが行われるようになります。
知多半島地元の巡礼者や名古屋市近郊から知多半島を巡った巡礼者は、江戸時代中期に高野山において弘法大師空海の五鈷杵を授かった天瑞圓照が創建し、その後は尾張徳川家の祈願寺として繁栄し「尾張高野」とも称される、現在の愛知県名古屋市昭和区にある「八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)」にお礼参りに行きました。
三河地方から知多半島巡った巡礼者は、三河三弘法のうちの1ヶ寺である遍照院にお礼参りに行くことが習慣として定着し、弘法大師空海ゆかりの三河三弘法の参拝者が増加していきます。
明治時代の知多新四国霊場の納経帳には、八事山興正寺と遍照院がお礼参りの寺院として、また、三河三弘法の西福寺と密蔵院も弘法大師空海ゆかりの寺院として、ページに印刷されていました。
現行版の知多四国霊場の納経帳には、八事山興正寺や三河三弘法のページは印刷されていませんが、数ページの余白があるので、お礼参りをした巡礼者は、余白ページに御朱印をいただく習慣がのこっています。
※八事山興正寺に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】愛知県「八事山興正寺」の「名古屋三大仏」の御本尊・大日如来の御朱印
三河三弘法の遍照院、西福寺、密蔵院では、それぞれの寺院で弘法大師空海のお手彫り像の伝説に関係する御朱印をいただくことができますので、以下でそれぞれの寺院の概要と御朱印の情報をご紹介していきます。
愛知県知立市にある「遍照院」は、真言宗豊山派の寺院です。
弘法大師空海が赤目樫の木から彫ったと伝わる3体の座像のうち、1番根元から彫られたとされる「見返弘法大師像(みかえりこうぼうだいしぞう)」が祀られています。この像は、顔が右側を向いており、振り返っているようにも見えることからその名が付けられました。三河地方に滞在した弘法大師空海が、居心地が良く、京都に戻りたくても身体が動かず、顔だけが京都の方角を向いた状態を表したことでこのような形態になったという説があります。
現在この像は「秘仏」とされており、1年に1度、旧暦の3月21日の御祥当にのみ特別御開帳されます。
遍照院では「見返弘法大師」と記される御朱印をいただくことができます。三河三弘法霊場巡礼においては遍照院が1番札所なので、「三河三弘法第一番札所」の朱印もおされます。
愛知県刈谷市にある「西福寺」は、曹洞宗の寺院です。
室町時代に兵火で消失した天台宗の雲涼院(うんりょういん)と真言宗の西福寺が、後に草堂に御本尊を祀り、戦国時代の慶長元年(1596年)に合併して現在の西福寺となり、曹洞宗に改宗されたと伝わっています。
弘法大師空海がこの地を離れる際に、地元の人々が別れを惜しんで見送ったことから「見送弘法大師(みおくりこうぼうだいし)」と呼ばれる、弘法大師空海お手彫りと伝わる座像が祀られています。
西福寺では「見送弘法大師」と記される御朱印をいただくことができます。三河三弘法霊場巡礼においては西福寺が2番札所なので、「三河三弘法第二番札所」の朱印もおされます。
愛知県刈谷市にある「密蔵院」は、臨済宗永源寺派の寺院です。元は真言宗の寺院として現在の境内の近隣にありましたが、江戸時代の正徳4年(1714年)に臨済宗になりました。安永3年(1774年)には、落雷により焼失しています。やがて、現在の知多四国霊場87番札所長寿寺の2世が現在地に移し、再建されています。
この地域は昔から干ばつに苦しんでおり、人々を救うために弘法大師空海が雨乞いの祈祷を行った際に、涙を流しながら心から祈る姿に感動した地域の人々が、弘法大師空海お手彫りの座像を「流涕弘法大師(りゅうていこうぼうだいし)」と呼ぶようになったという伝説がのこっています。
密蔵院では「流涕弘法大師」と記される御朱印をいただくことができます。三河三弘法霊場巡礼においては密蔵院が3番札所なので、「三河三弘法第三番札所」の朱印もおされます。
三河三弘法の御朱印は、私がオーダーメイドの注文をしたオーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」にいただきました。 本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。各寺の担当者さんが、一文字ずつ時間かけて丁寧に書き入れてくださり、土佐手漉和紙の質感と組み合わさって、それぞれに特徴のある芸術的な御朱印に仕上がっていると思います。
それぞれの寺院に伝わっている弘法大師空海に関する伝説を知った上で、これらの御朱印を特別な千年帳にいただいたので、より愛着がわいてきました。
※千年帳の本紙に関しては、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。
また、三河三弘法の3ヶ寺では、上記でご紹介した直書きの御朱印のほかに、少し大きめの紙に墨書きが印刷された書き置きの御朱印もいただくことができます。これは、知多四国霊場の現行版既成の納経帳の札所ページと同じ体裁で、貼り付けるのにもちょうどよいサイズになっていますので、知多四国霊場の既成の納経帳を使用している人は、こちらの御朱印をいただくのもよいと思います。
愛知県三河地方にある三河三弘法は、弘法大師空海に関係する伝説が現代にも語り継がれ、地域に根付いた弘法大師信仰を象徴する寺院です。弘法大師空海の月命日とされる毎月旧暦の21日には、今でも「弘法さんの縁日」が行われ、多くの参拝者や地域住民でにぎわっています。
三河三弘法の3ヶ寺では弘法大師空海お手彫りと伝わる座像にまつわる御朱印をいただくことができ、比較的コンパクトなエリアで気軽に巡礼することができる霊場でもあり、御朱印巡りや霊場巡礼の初心者さんにもおすすめなので、ぜひ一度訪れてみてください。
※知多四国霊場の御朱印と納経帳に関して、以下リンクの記事で詳細にご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。
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東京都墨田区にある「高木神社」の御祭神・高皇産靈神は「結びの神」といわれています。御祭神にちなんだ「おむすび」をモチーフにした授与品が話題になっていて、御朱印にもかわいらしいおむすびのスタンプがおされます。
オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」のメイン素材である「土佐手漉和紙」は「流し漉き」の手法によって製造されています。1000年以上の歴史をもつ高知県の製紙産業に脈々と受け継がれ、絶えず新技術も開発されてきました。
島根県津和野町にある「弥栄神社」は、全国の祇園社の総本社である京都・八坂神社から勧請された神社であり、「津和野の氏神さま」やユネスコの無形文化遺産登録の神事「鷺舞」で知られる神社です。約600年の歴史と京都・八坂神社との関係の深さを物語る御朱印をいただけます。