- 【御朱印帳】土佐手漉和紙「朝光」 小判 38ページ 楮紙 白米×淡黄蘗
- ¥11,880
愛知県の知多半島には「知多四国霊場」の巡礼文化が根付いており、巡礼の重要要素である御朱印・納経帳を詳細にご紹介します。私は、手書き御朱印をいただくために、オーダーメイド納経帳・御朱印帳「千年帳」で、知多四国霊場巡礼専用の特注納経帳を注文し、使用しています。
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目次
愛知県の知多半島には、弘法大師空海ゆかりの寺院がたくさんあり、四国の八十八ヶ所霊場になぞらえて、88ヶ所の寺院と開山所・番外霊場の10ヶ所を加えた98ヶ所の寺院を巡る「知多四国霊場(ちたしこくれいじょう)」の巡礼文化が根付いています。
長い歴史があり、多くの巡礼者を迎え入れていることから、九州の篠栗四国八十八箇所、瀬戸内海の小豆島八十八ヶ所霊場とともに「日本三大新四国霊場」とされています。
※知多四国霊場の成り立ちや歴史、概要などに関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】開創を成し遂げた「三開山」の強い想いと大きな苦労・努力のエピソード
知多四国霊場を巡礼するにあたって、とても重要なのが御朱印と納経帳(のうきょうちょう)です。各札所を参拝した証として納経帳に御朱印をいただきます。
※知多四国霊場の参拝作法や参拝スタイル、準備物などに関して、四国遍路情報サイト「四国遍路」の以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【知多四国霊場】参拝スタイルや巡礼の準備物と弘法大師空海御生誕1250年記念特別企画
本記事では、知多四国霊場を巡礼する際に使用する納経帳や納経帳にいただく御朱印に関して、詳細に解説します。
現在、知多四国霊場の札所で構成する知多四国霊場会が公式に発行している納経帳は2種類あります。
厚手の白紙に弘法大師の肖像が印刷されたタイプと、赤の布地に金糸で花の模様が描かれた緞子(どんす)のタイプの2種類の表紙があります。
表紙は2種類ありますが、中のページは共通で、札所88ヶ寺、開山所3ヶ寺、番外札所7ヶ寺の合計98ヶ寺の「御本尊と弘法大師空海の御影」「御詠歌」「御本尊名」「弘法大師名」「地区と寺院名」が、順番にあらかじめ印刷されており、最後に空白ページが4ページあり、計102ページで構成されています。
この公式納経帳を持参して札所を参拝した場合は、墨書きの書き入れはなく、各寺の朱印のみをおしていただき、御朱印(納経)が完成します。公式納経帳に朱印をおす奉納料は100円で、通常の御朱印を書き入れていただくよりも安い料金が設定されているので、巡礼初心者の人も気軽にエントリーしやすいと思います。
日本全国各地にいろいろな霊場巡礼がありますが、このようにあらかじめ印刷された納経帳に朱印のみをいただいていくスタイルは珍しく、知多四国霊場巡礼のひとつの特徴ともいえます。
また、1回目の巡礼後、2回目以降も同じ納経帳を使い、各札所のページに印を重ねていく「重ね印」という習慣もあります。これは、知多四国霊場に限らず、他地域の霊場巡礼でも行われています。
巡礼を重ね、納経帳に朱印が重なっていくことが功徳をつんだ証になるといわれていて、各ページが真朱になることを目指して、何度も巡礼するお遍路さんがたくさんいらっしゃいます。
ただし、お遍路さんのなかには、1度満願した記念に重ね印をせずに保管して、新しい納経帳を購入して巡礼する人もいます。また、重ね印をどんどんしていくと、ページが真朱になっていって、何回朱印をおしたかわからなくなってきてしまうので、回数が確認できる20回程度を目途に、また新たな納経帳を用意して巡礼される人など、使い方は様々ですので、複数回巡礼するときに重ね印を必ずしなければいけないということではありません。
知多四国霊場では、10回・20回・30回・40回・50回・100回と満願して申請すると、毎年6月15日に褒賞式があり、表彰していただくことができます。納経帳で巡礼回数をわかりやすく把握したいお遍路さんは、区切りのよい回数ごとに納経帳を新調し、巡礼を重ねている場合もあります。
98ヶ寺のページのあとに、空白のページが4ページありますが、このページをどのように使用するのか、知多四国霊場巡礼のベテランお遍路さんでも意外に知らない人がいたりします。
このページは、すべての札所を参拝して終わったあとの「お礼参り」として、愛知県名古屋市昭和区にある「八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)」と、愛知県知立市にある「遍照院(へんじょういん)」と愛知県刈谷市にある「西福寺(さいふくじ)」「密蔵院(みつぞういん)」の3ヶ寺で構成される「三河三弘法(みかわさんこうぼう)」を参拝し、4ヶ寺の御朱印をいただくのに使用するのが一般的です。
※八事山興正寺と三河三弘法に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
【御朱印情報】愛知県「八事山興正寺」の「名古屋三大仏」の御本尊・大日如来の御朱印
【御朱印情報】愛知県「三河三弘法」の弘法大師空海の伝説を表した御朱印
空白ページに手書きで墨書きをしていただき御朱印をいただく、もしくは納経帳のサイズにあわせた書き置き御朱印も用意されているので、それをいただいて納経帳に貼り付けることもできます。
八事山興正寺の御朱印は、納経帳の最初のページの弘法大師空海の肖像が印刷されているページに朱印をいただく場合もあります。
これは、四国八十八ヶ所霊場専用納経帳で最初のページが高野山になっていて、四国八十八ヶ所霊場巡礼を終えたあとに弘法大師空海が入定されている高野山奥之院にお礼参りに行って御朱印をいただく習慣と同じような意味です。
八事山興正寺境内の西山本堂の前には、知多四国霊場専用の「納札」を入れる箱が現在でも設置されていて、お礼参りの習慣が今なお続いていることがわかります。
江戸時代後期に「准四国霊場」として開創されたと伝わる知多四国霊場ですが、明治26年(1893年)に「知多新四国霊場」の名称にかわった頃に、印刷技術の進歩により、現行版納経帳につながる各札所の情報がページに印刷された納経帳が誕生したとされています。
初期の印刷納経帳は、88の札所に開山所が加わった構成で、「奉納経」「札所番号」「御本尊名」「弘法大師名」「地区名と寺院名」が印刷され、参拝時に札所で「札所番号」「宝印」「寺院名」の朱印がおされる形式でした。
ただし、各札所のページに印刷されている項目が統一されておらず、配置もバラバラでした。
明治時代中期頃の納経帳は40銭から70銭ほどの価格だったそうなので、現代の価値になおすと8,000円から14,000円ほどになりますので、かなり高価なものであったようです。
大正時代に入ると番外札所がすべて正式に制定され、「八事山興正寺」や「三河三弘法」もお礼参りとして加わり、現代のような各ページの記載項目が統一化されたされた納経帳へと進化しました。この時代の納経帳に印刷されている「御本尊」「弘法大師名」「御影」「寺名」の墨書きは、当時の各寺院住職の手書きの御朱印の書体を元にして版をつくったそうで、過去の住職の筆跡を確認できる貴重な史料にもなっています。
この時期から納経帳を制作する印刷会社が複数になっていき、写真付きの納経帳などいろいろな種類の納経帳が登場しました。
しかし、時代が進むにつれ寺院の衰退や戦争などの影響も受け、知多四国霊場が厳しい環境におかれるようになります。
昭和58年(1983年)に札所や印刷会社など見直しが行われ、再出発として「知多四国霊場」に名称が変更され、納経帳もひとつの出版社で統一して発行されるようになりました。
ここまでご紹介してきたように、知多四国霊場では墨書きが印刷された納経帳に朱印のみをいただいて巡礼することがスタンダードではありますが、印刷されていない白紙の納経帳に手書きの御朱印をいただくことももちろんできます。
※札所事情で手書きしていただけない札所(29番正法寺、37番大光院、61番高讃寺、64番宝全寺、73番正法院、75番誕生堂、76番如意寺、番外札所東光寺)が一部あり、書き置き御朱印の授与となりますので、ご注意ください。無住の66番中之坊寺は、86番札所観音寺で手書き対応していただけます。
記載いただける内容は、「札所番号」「宝印」「寺院名」の朱印に、「奉拝・奉納」「参拝日」「御本尊名」「弘法大師名」「地区と寺院名」が墨書きされ、印刷の納経帳と同様に統一されています。
手書きの御朱印をいただく魅力は、なんといっても唯一無二・一期一会の特別感です。
書き手の個性が現れ、長年の修行で培われた熟練の書の技を目の前で見ることができ、自分のためだけの芸術作品をいただいているような感覚に私はなります。日本の伝統的な文化を身近に体感できる機会にもなると思います。
また、御朱印を書いていただく時間は、寺院の人と参拝者との貴重なコミュニケーションの時間でもあります。普段の生活でお寺の人と接する機会はあまりないと思いますので、ある意味非日常の希少・貴重な体験です。コミュニケーションにより参拝時に自分が何を感じるのかが信仰心にもつながるように思いますし、巡礼旅の思い出になることでしょう。
私は、手書きで書いていただいた御朱印をあとから見返すと、参拝時にあたたかく迎えてくださったお寺の人との会話や表情、札所の風景や参拝したときに感じたことなどが脳裏によみがえり、参拝の記録だけではなく、貴重な記憶や体験にもなっています。
上の写真の手書き御朱印は、私が知多四国霊場巡礼用に特注したオーダーメイド納経帳「千年帳」に書いていただきました。
本紙は、職人さんが1枚1枚手漉きした高品質の土佐手漉和紙の「楮紙(こうぞし)」という、和紙らしい表面感があり、あたたかみのある白色が特徴のものを選択しています。墨の染み込みが良いので、にじみが少なく、かすれが絶妙に出るので、美しい御朱印に仕上がっていると思います。
上の写真の御朱印を書き入れていただいた観音寺と安徳寺の住職からは、筆が滑らかに動くため思い通りに表現できると好評をいただき、他の札所の書き手の人達も他の納経帳との紙質の違いに気づいていただき、コミュニケーションのネタにもなっていて、とてもうれしいです。
見た目の美しさだけではなく、土佐手漉和紙の特筆すべき長所は耐久性と保存性です。
現行版の知多四国霊場公式納経帳も含め、一般に販売されている御朱印帳・納経帳の多くは、化学的に効率や経済性を重視して作られている紙で制作されているので、長期間また複数回数使用していると、どうしても紙が劣化してきてしまいます。特に霊場巡礼で重ね印を続けていくと、私の感覚だと20~30回をこえてくると、紙が破れやすくなったり、変色が目立ってきたりするように感じています。
その点、千年帳の土佐手漉和紙は、伝統的な原料と技術で、薄くても強靭な紙なので、長期間繰り返し使っても耐久性は安心で、むしろ経年変化で味が出てきて、紙が育っていくような感覚になります。また、伝統的な製法の和紙は虫がつきづらいなど保存性にも優れていて、平安時代の紙が現代にも伝わっていることが証明しているように1000年もつともいわれているので、後世に引き継いでいくという歴史的な価値も出てくると思います。
※千年帳の本紙に関して、以下リンクで詳しく紹介されていますので、ご参照ください。
今回私は、知多四国霊場専用仕様の納経帳にするために、札所88ヶ寺、開山所3ヶ寺、番外札所7ヶ寺に、お礼参りの八事山興正寺と三河三弘法の4ヶ寺88ヶ所の札所に加えた102ヶ寺の御朱印をいただくために102ページ仕様の特注をお願いしました。
さらに、題せんは書家さんに平安仮名で「ちたしこく はちじゅうはちかしょ のうきょうちょう」と特別に書き入れていただき、自分だけの完全オリジナルのフルオーダーメイド納経帳が完成しました。
江戸時代後期に開創した愛知県知多半島の霊場巡礼文化は、いろいろな変化もしながら、現代に受け継がれている貴重な地域文化です。霊場巡礼の重要要素である御朱印・納経帳も、知多四国霊場ならではのスタイルがあります。印刷された納経帳に朱印のみをいただく形式がスタンダードではありますが、手書き御朱印には様々な魅力があり、日本ならではの伝統的な文化でもあるので、ぜひチャレンジしてみていただければと思います。
※知多四国霊場の札所でいただける御朱印に関して、以下リンクの記事でご紹介していますので、こちらもぜひご覧ください。
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ライター:竹内友章
知多半島のお寺が好きで、知多四国霊場を中心にいろいろな霊場を巡礼し、観光やご当地グルメ(特にラーメン)を楽しんでいます。御朱印集めも趣味で、知多半島のお寺の御朱印はもちろん、全国各地の御朱印をもらいに巡り、アート御朱印などは取り寄せたりもしています。
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